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浴衣

 新鎌ヶ谷(しんかまがや)駅に来る途中、ちらほらと浴衣姿の人を見かけた。なんとなく町に漂うお祭りムードを感じながら、暁人はぼんやりとスマートフォンを眺めていた。


 雨上がりのせいか、じめっとした空気がアスファルトからにじみ上がってくる。捲りあげた長袖に絡みつくその湿気を、振り払う手段はないように思う。約束の時間より五分早く着いた暁人は、西陽をまともに受けるロータリーでみんなを待っていた。


 会場までは、花菜の母親が車で送ってくれることになった。自転車でもいける距離だったが、花菜が浴衣を着るとあって車になった。


 殺風景な西の空に、じんわりと陽が沈んでいく。薄っすらと横長に伸びた灰色の雲が、夜と夕方の境界線をはっきりと示していた。


 遠くから踏切の音が響いてきた。不純物を失った澄んだ空気は、よく音を響かせている気がする。鳴り響くベルの音を遮るように、夕陽色の塗装を重ねたピンク色の車両が景色を縦断していく。その車両を追うように、暁人は振り返り時計台の時刻を確認した。


 約束の時間、十八時半。六と七の間で、長針と短針がわずかにずれ合う。秒針が十二のところへと戻ってきた。カチリと長針が短針の方に身を寄せる。


「おーす」


 暁人は、見上げていた顔を声のする方に向けた。


 ガッチリとした体格、さらけ出された腕に薄っすらと静脈が浮かぶ。相変わらず白いシャツを着たジュンだ。その二歩ほど後ろに、白いレースのブラウスを纏った友美がいた。


「やっぱり、似合ってんじゃん」


 自らがセレクトした服を、ジュンは満足げに褒める。

 まぁね、と友美もどこか似た表情で微笑んだ。


 ふと、暁人はジュンから聞いた話を思い出す。



 ――地方の大学に行くんだ。



 そのことを、友美はすでに知っているのだろうか。それを告げられていて、彼女はまだジュンと恋人関係を続けているのだろうか。おせっかいに思える思考を、暁人は脳内から消そうとする。


 自分には、分からない二人の世界がある。それは分かっていても、こういう話は気になるもので、ふらふらと視線がパラついた。


「あんだよ?」


 ジュンの眉間に皺が寄る。察しがいいのか、すぐにその表情は和らいだ。


「受験のことなら、友美も知ってるよ。別に離れたからって別れるわけじゃないねぇし。友美も‥‥ 理解してくれてる」


 ジュンが、恥ずかしい言葉を選び抜いたことが分かり、暁人はクスクスと笑いを殺す。


「笑うなよ」


 少し本気で怒るジュンを、友美がなだめる。慣れた手付きで背中をさすられ、主に飼いならされた動物のように大人しくなった。


 ほんのりと頬を朱色に染めたジュンの後ろで、友美はどことなく寂しげな顔をしている。離れることが、寂しくないわけがない。そう言いたげな瞳が、大きな背中を映す。沈んでいく陽射しが、その横顔を激しく照りつけて銀色のイヤリングがチラチラと揺れた。


 それでも、彼女がジュンの選択を受け入れるのは、ジュンも同じ気持ちだと信じているからなのかもしれない。

 擦った背中から伝わる温もりが、彼女に安心感を与えている。ジュンのわずかな心の動きを彼女は分かっているのだ。



 友美は、ドンッとジュンの背中を叩いた。

 寂しげに曇った顔がパッと華やぐ。



「さぁ、お祭りでしょ。楽しんでいくわよ」



 作り込まれた笑顔は、悲しさなんて滲み出ていなかった。ほんの少しの不安と寂しさを、希望と信頼が塗りつぶしている。

 夕陽色に染まった頬をジュンから隠すように、友美は暁人の方に歩み寄った。



「山中も楽しまなきゃ」



 友美の細い腕が、革紐のネックレスへと伸びる。肩を透かせるレースのブラウス越しに、肌着のような薄い生地が見えた。大きくはない彼女の胸でも、その存在を暁人に示す。透明なマニキュアの光る指が暁人の胸に少し触れた。



「こんな色気づいた格好して」



 柔らかに唇が動く。艶のあるリップが、パッと開いた唇を弾く。甘い香水の香りが、雨上がりの町の匂いと溶け合う。鼻の奥を刺激する甘美に、暁人の脳内からイケナイ物質が分泌される。 


 ゴクリと、感情を押し殺すように、暁人は固唾を飲み込む。顔の筋肉が、固まり表情が変わらない。自分は。どんな顔をしているのだろう、と友美の瞳を見下ろす。


 暁人を視界から消すように、友美はニッコリと目を細めた。皺が寄った目尻に、わずかにラメがキラキラと光る。



「なーちゃんに、褒められるといいわね。まぁ、うちのジュンのセンスだからダメだったら代わりに私が謝るわ」


「おい」


 失敬だな、と言いたげにジュンが咳払いをする。


 イタズラな笑顔を作りながら、友美が踵を返してジュンの方を見た。


「今回は、いい感じだと思うよ。ちょっと、背伸びしてる感があるけど」


 まぁーな。ジュンもそう感じていたらしく頷く。


「やっぱり、そうだよな?」


 暁人は、慌てながら自分の全身をくまなく見渡した。


 それを見て、二人が声を揃えて笑う。


「なに、笑ってるんだよ」


「大丈夫、大丈夫。似合ってるから」


「本当に?」


 少し流れた涙を指で拭いながら、友美が頷いた。


「大丈夫だって」


「ならいいけど」


 友美の人差し指の第一関節のあたりが色めく。拭った際に、ラメが付着したらしい。赤い陽を受け、細かい粒子が緑や黄色に瞬いていた。


 暁人は時計を眺める。長針がすでに、短針を追い抜いていた。


「牧野はまだか?」


 ジュンも腕時計を気にしながら、友美に声をかけた。


「もうすぐ来ると思うけど、車混んでるのかな?」


 そんなことを話していると、一台の黒いワゴンがロータリーの中へと入って来た。他のバスなどを避けるようにしてカーブを曲がると、暁人たちのそばで車が停まる。


「花菜の家の車だ」


 友美が呟いた。それとほぼ同時に車の扉が開く。



 中から、窮屈そうな動きで花菜が出てきた。浴衣の裾を手で押さえながら、車の段差を降りる。



 赤と水色の花柄が散りばめられたアイボリーの浴衣が、沈みきった夕陽を吸い込む。花緑青(はなろくしょう)の帯が、細い花菜の体をしっかりと締め付けていた。少しだけ動きづらそうに、桃色の鼻緒を気にする。コツリと、レンガ造りのタイルに草履が擦れた。


「どうかな?」


 友美の方を見ながら、花菜が少し照れながら言った。嬉しそうに破顔しながら、浴衣を見せびらかすようにその場でくるりと回る。


「すごくかわいい!」


 友美は、花菜の浴衣姿に惚れ惚れした様子で手をたたく。ジュンに同意を求めるように、視線を送ると、コクリとジュンが照れながら首を縦に振った。


「本当? すごく嬉しい。浴衣が着れて良かったよ」


 そう言うと、花菜がこちらに目を向けた。どう? と言いたげに微笑みがわずかに傾く。


 美しい色めきが、激しく暁人の心を揺さぶった。セミロングの髪は後ろでまとめられ、真っ白な項が顕になっている。ほっそりとした彼女の輪郭に、湿った空気がまとわりつき、しっとりとした肌の艶をさらに妖艶なものへと昇華する。


 くっきりとした双眸が、コロコロと暁人を映しながら転がる。キラキラと反射するその輝きは、夕陽なのか街頭なのかも分からない。

 桃色の紅を指した唇が、ゆっくりと開く。その婀娜な動きに、暁人は思わず喉の奥が引けた。


「似合ってる?」


 暁人の鼓膜を、丸みを帯びた声が揺らす。身を震わせるほど婉麗な声色は、暁人から思考を奪い去っていく。

 すごく綺麗だ。そんな言葉が、腹の底あたりからこみ上げてきた。本能的になる自分を、押さえ込んでくれる理性がなんとか働く。


「すごく似合ってる」


 暁人の言葉に、花菜は満足そうに口端を上げた。


「もう少し気の利いた言葉はないの?」


 友美が、暁人の背中をパンと叩いた。小さな彼女の手のひらは柔く痛みはほとんどなかった。

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