化け猫の棲む村 その六
盲目になったのかと錯覚するほどの黒い霧が自分の周囲を覆っている。その霧から感じる霊圧のせいか、来武とあかりの居場所と状態も把握できない司は大きなため息をついていた。
「まったく、あのバカ女が・・・・それよりも、出てきなよ、女の霊さん」
司は両手にはめた数珠を外しつつそう言い、ニヤリと微笑む。すると目の前の霧がさらに濃さを増し、人の形を成し始めるではないか。
「地主の息子に殺された女の霊か・・・完全に悪霊になってるな」
揺らめく霧が徐々に色味を帯びていき、着物を来た黒く長い髪の女へと変貌していく。同時にその霊圧は怨念を帯びて巨大になり、さらに濃さを増していった。
「なるほどな・・・化け猫があんたの恨みを薄めてきたんだな・・・・」
女は黒目だけの目を司に向ける。その目は恨みだけを湛えており、普通の人間であればそれだけで死に至っているだろう。
「猫はあんたを哀れんで、徐々に暴走を始めたあんたの怨念を癒しにかかった。でもそれは40年しか効果が続かなくて、あんたは40年に一度、この日にだけこの世に現界できたんだ」
女は恨みを残して死に、その怨念で地主一家を呪い殺した。だが、それでもその恨みは晴れずに邪念となって滞留し、やがて暴走を始めたのだ。そんな中、猫は彼女を不憫に思い、その怨念を癒そうと自身の霊圧をもって押さえ込んできた。だが40年しか効果がなく、猫の霊圧が消滅する時にだけ女はこの世に現れては地主の息子に似た年齢の男を殺してきたのだ。猫は一晩で霊圧を回復させ、女を再び癒す。その周期を重ねながら、いつかは女の怨念を晴らそうと頑張ってきたのだった。
「村人が化け猫だって言ったのは間違いないけどな・・・あんたは狡猾に霊圧を隠し、猫の封印を逃れようとしたんだから。けど、やっとそれがわかったってのに、あのバカ女が猫の霊を滅ぼしやがって」
吐き捨てるようにそう言い、司は強い怨念のみとなった女を見やった。猫の霊圧は完全に復活していなかったが、女の傍にやって来た。いつもそうだったのだろうが、今回はまだ弱い霊圧だったが司という媒体を介してその姿を見せてしまい、あかり程度の霊圧でも滅ぼされてしまったのだ。本来であれば復調して姿を見せ、退魔師が撃退する前に女の怨念を抱えて姿を消していたのだろう。つまり、歴代の退魔師は皆何も出来ていなかったことになる。
「しかもこの霧、俺の術を無効化しやがる・・・・結界を張ったのが失敗だったなぁ・・・結界を利用して逆に俺の術を緩和しやがるのかよ」
防の術で怨念の侵食は防いでいるが、攻撃しようが霊圧を乱そうが効果がなかった。困った顔をする司だが悲壮感はない。いつも通りニヤニヤしつつ女を見据えるだけだ。
「逆に言えば、俺に掛かりっきりで外には手は出せないもんな」
両手をズボンのポケットに入れ、余裕の笑みを浮かべた。邪気は大きくなるが、それでもその霊圧は司を蝕むことが出来ないのだ。
「あとは外からこいつをなんとかしてもらうか」
他人事のようにそう言い、笑みを濃くする。自分を睨む女の怨念は増大を続ける一方の中、司はそっと目を閉じるのだった。
*
霧は一定の場所から大きくならず、ゆっくりと渦を巻きながら滞留している状態だった。ただ中にいる司の状態が気になるが、どんなに集中しても霧の霊圧しか感じられずに来武は焦りの色を見せていた。
「なんで?なんで霧が消えないの?」
「これは推論だが、猫が女の霊を封じていたんだろう」
そう言い、来武は司と同じ結論に至った経緯を話して聞かせる。あかりは呆然としつつ、首を横に振ってそれを受け入れまいとしていた。自分が滅ぼした化け猫こそが女の霊を封じていたなどありえない。だが、目の前の霧は濃さを増し、その霊圧もどんどん大きくなってきている。
「そんな・・・・なんで・・・・なんでこんな・・・」
「くそっ!神手が中にいるのはいいが・・・どうやったらいいんだ?」
霧の中にいるのはあの司だ。なのに霧は濃さを増しているということは司を封じていると考えていいだろう。司が対応しきれない相手を未熟な自分とあかりで倒すことなど不可能に近い。現に短刀で霧を薙いでもまったく効果はなかった。
『弓で霧の中の女を射抜け、だってさ』
突然女の声が周囲に響き渡る。体をビクつかせたあかりは怯えた目を空中にさまよわせるが、来武はニヤリと笑うとどこか安堵した表情を浮かべて見せた。
「美咲ちゃんかい?」
『そうだよ!あのね、私、高3だよ?イヤイヤながらも受験勉強してるってのに・・・』
不機嫌そうにそう響く女の声にますます混乱するあかりだったが、来武はそんなあかりに向き直った。
「弓で射抜け、か・・・・美咲ちゃん、その女の霊、どこにいるかわかる?」
『わかんなーい!じゃぁ、あとは勝手にどうぞ』
それを最後に女の声は消えた。おそらく危険を察知して逃げたのだろう。
「まったく・・・・・似たもの兄妹だよ」
がっくりとしながらも苦笑は消えていない。
「今の、誰?なんなの?」
「神手の妹の美咲ちゃんだ・・・詳しい話は後でな、とにかく、今はその弓で女の霊を射抜くんだ」
「射抜くって・・・まず弓が引けないんけど」
「引ける・・・神手がそう言うなら間違いない」
力強くそう言う来武の言葉に疑問しか浮かばない。何故あの司をそこまで信用できるのか、そもそも、何故司は自分ならば弓が引けると思っているのか。
「神手に言われたことを思い出すといい・・・あいつはいつも正しいんだから」
そう、いつも正しい。言っていることはむちゃくちゃでも、いつでも正しい方向へと導いてきた。あかりはそんな顔をしている来武から自分が手にしている魔封弓へと目をやった。ぎゅっと弓を握り締め、そして闇を見つめた。この弓を引くことが家の存続に繋がるのだ、だからこそ自分が引く必要がある。そう思うあかりは弓を構えて弦を引くが、やはりビクとも動かない。何度力を込めても霊圧を込めても同じ状態だった。焦りが募るがどうしようもない。そうしていると徐々に闇は渦を巻きつつ上空へとその侵食範囲を広げていくのだった。
「神手を救えるのは君だけなんだ。家もクソもない、ただ目の前の人を、生きている命を救ってくれ!」
来武のその叫びにあかりは闇を見据える。中がどうなっているかは分からないが、結界に加えて来武が術で相手の霊圧を防いでくれていてもそのおぞましい邪気は体の芯を捕らえて離さない。小刻みに震えているのは恐怖からだ。ここでこうならば、中の司はどうなっているのか。闇の侵食を受けて瀕死なのかもしれない。目の前で人が死ぬ、あかりはそれを強く意識した。昔、幼い頃に同級生を池で亡くしている記憶が蘇る。祖父の葬式や、父親の死も思い出したあかりは自分のせいで司の命をも失おうとしていると事実に身を震わせた。自分のせいで人が死ぬ、それはあってはならないことだ。鳳凰院の家に生まれた人間としての誇りも尊厳もいらない、ただ救うべきものを救いたい、そう願った。
「お願い!助けたいの!命を!」
焦りは決意へと変化し、あかりは弦を引いた。家のこと、継承のこと、権威の復興など頭にない。あるのはただ司を、村を救うんだという強い意志だった。
「お願い!」
言葉と同時に右手が引かれる。するとあんなにビクともしなかった弦が軽やかに後ろに引かれていくではないか。自分でも驚きつつ、あかりは限界まで弓を引き絞った。だが霊を滅ぼす聖なる矢は出現しない。焦るあかりだが、闇を見つめたまま弓に意識を集中した。
「私の気持ちに応えてくれてありがとう。だから、今度はあなたの気持ちを見せて」
宝具と使い手は1つ、そう言っていた司の言葉を思い出し、気持ちを霊圧に込めて闇を睨む。その瞬間、引き絞った弦の先から金色の輝きを放つ矢が出現する。驚くあかりと来武だが、今は目の前の闇に集中した。
「相手は・・・・どこ?」
どんなに霊力を込めても濃い闇の向こうが感知できない。それは来武も同じであり、これではせっかく覚醒した魔封弓も役に立たない状態だ。あかりはとりあえず射抜く決意を固めるが、もし司に当たったらと思うとその決意も消えてしまった。そうしている間にもあかりの霊圧が矢に吸い取られていくような感覚が続いていた。
「どこなの!」
悲壮な叫びが虚しくこだましたその瞬間、渦巻いていた闇が一瞬止まり、揺らいで霊圧が薄まった。
「そこっ!」
その一瞬であかりは闇の中にいる巨大な霊圧を見つけていた。ただそこへ向かって矢の先を向け、さらに霊圧を込める。
「いっけぇぇぇっ!」
絶叫と同時に引き絞った弓を持つ手を解放する。その瞬間、光の矢が一瞬で闇に消え、そして矢の通った部分が渦を巻いて穿たれ、そこに闇が全て吸い込まれるようにして霧散して消えた。同時に女の悲鳴、怒号、叫びのような声が村中に響き渡る。その声に思わず身を怯めたあかりに対し、来武は苦笑を浮かべつつ消えた闇の中から現れた司を見つめていた。
「どんピシャだったな」
にんまり笑ってそう言い、いつもと変わらぬ様子の司が歩み寄る。見たところ元気そうだ。司は笑みをそのままにあかりの前に立ち、そして魔封弓へと目をやった。
「弓があんたを認めた。これでこれはあんたにしか使えない」
「・・・うん」
頷くあかりだが、その表情はどこかさえないものだった。そんなあかりに笑みを濃くしてから司は来武の方へと歩いていく。
「1ついいかな?」
自分を無視してそのままあかりの家に向かおうとした司を呼び止めた来武の口元にはずっと苦笑が浮かんでいる。司は立ち止まり、ゆっくりと振り返った。
「彼女に弓を引かせるため、わざと何もしなかった・・・・・じゃないよな?」
その言葉に笑みを濃くした司はさっさと来武に背を向けた。
「わざとだ。あいつが女をやっつけたら楽できるからな・・・俺の霊圧を使う必要ないし疲れないし、めんどくさいこともない」
素っ気無くそう言い、歩きだした。来武はそんな司の背中を見つつ、苦笑を微笑へと変化させていく。
「まったく・・・本気を出してればさっさと終わっていただろうが、ま、結果オーライ、か」
司が本気になっていれば、あの闇の中であっても女の怨霊など簡単に消滅させられただろう。現にあの中にいても美咲に連絡を取り、あかりに女の位置を特定させるために一瞬とはいえ闇の動きを止めてみせたのだ。
「いつも正しい・・・ってことか」
横に並んだあかりがその言葉に首を傾げる。そんなあかりを促し、来武もまた司の後を追うようにして歩き出すのだった。