化け猫の棲む村 その五
夕方になり、役場に村人が続々と集結しつつある。小さな集落だが、女子供も集まればそこそこな人数になっていた。既に宮子と柚希はステージ状になった正面に置かれた椅子に腰掛け、全員が揃うのを待っている。あかりは来武と会話をしつつ、役場の広間の一番後ろに立っていた。司の姿はなく、それがあかりをイラつかせていたが、来武は気にすることもなく会話を続けている状態だった。そうして6時になり、ほとんど全員が揃ったところでステージに設置されている壇の上に宮子が立った。マイクを手に全員を見渡せば、当たり前だが皆不安そうな顔を向けている。特にターゲットになるであろう2つの家の家族は青白い顔をしているほどだ。
「みんな、わざわざご苦労様。さっそくだが、明日のことのついて説明をしたいと思う」
村の長老的な立場にいる宮子の言葉にピンと張りつめた空気が広間を覆う。宮子はそんな空気の中、遅れて入ってきた司を見て少しだけ口元を緩めたが、それはほんの一瞬のことだった。
「明日は40年に一度の忌まわしき日だ。まずは我が鳳凰院家の失態が招いたことをお詫びしたい。いつまでも退治できずにいることをな・・・・申し訳ない」
そう言い、宮子は深く頭を下げた。由緒正しい除霊の家でありながら、化け猫を撃退することしかできないことは恥である。少なくともあかりはそう受け取っていた。その上、外部の人間にそれを委ねるのだ、それは恥の上塗り以外の何物でもなかった。
「じゃが、今回は助っ人を呼んでおる。退魔、除霊に関しては日本、いや、世界でも一番の者たちじゃ」
そう言い、宮子は司と来武に手招きをした。来武は村人たちの注目を浴びつつあかりと共に壇上に向かい、司もまためんどくさそうな顔をしつつもまた壇上へと向かった。
「神手司殿と未生来武殿じゃ。これまで化け猫以上の化け物たちを退治してきた実績を持つ者たちで、今回、この村の化け猫を滅ぼしてもらうために来ていただいた」
その説明にざわつきが大きくなったが、やがてそれは収まっていく。
「明日の夜は夕刻から外には出ず、家の中にいること。窓もドアも閉めておくこと」
それは40年前を知る者であればあたりまえのことだった。住結界、すなわち人の住む家そのものが結界になるためにそうさせるのだった。
「あと、田中家、遠藤家の2つには多重結界も施してある。安心していなさい」
40歳の男がいるその2つの家にはすでに来武と司が結界を張っている。準備は万端なのだ。
「明日は15時で全ての仕事を終え、家にこもること。好奇心はあれど、子供たちの監視は怠るでないぞ?」
宮子がやや厳しめの言葉でそう言い、今度は司を見やった。その視線を受けてもぼーっとした顔を崩さない司に替わり、来武が宮子の横に立ってマイクを受け取る。
「未生来武です。今回、化け猫退治を依頼されてやってきました。全力を尽くしますので皆様のご協力のほど、よろしくお願いします」
そう挨拶をした来武に拍手が起こる。だが、何人かの男たちはそんな来武に不信な目を向けていた。鳳凰院の者が倒せない化け猫を、果たしてよそ者が倒せるのかといった目だ。来武はそんな目を受けつつも頭を下げ、横にいる司を見やった。司は来武が差し出したマイクを手にすると、一歩進み出る。珍しく積極的な司に嫌な予感を覚える来武だったが、とりあえず見守ることにするのだった。
「神手司です、よろしく。ここにいるばーちゃんの依頼を受けて来ました。けど、正直、今回の件はいろいろ変なことばかり。だから、この中で化け猫のことを知ってる人がいたら話を聞きたいんだけど」
「出来なかったときの言い訳か?コビでも売る気か?」
司の言葉に反発したいかつい顔の男がそう野次を飛ばすが、司は平然とした顔で男を見つめた。
「出来る出来ないは知らない。ただ、化け猫って言うけどさ、本当に悪いヤツなのかってね」
「被害に遭ってるんだぞ!40年ごとにな!うちのじいさんの弟も死んだ!」
「そっか。で、何か知ってる?」
怒気にも怯えず、平然とそう言う司にざわつきが大きくなった。男は司を睨んでいたが、それ以上に厳しい目を自分に向けている宮子のせいか、それ以上は何も言わなかった。
「んー、やっぱ情報はない、か・・・・」
「化け猫は私が倒します!安心して!」
司の横にやってきたあかりが高らかにそう宣言した矢先、拍手が巻き起こる。やはり没落したとはいえ、鳳凰院の名はこの地方では絶大なのだ。どこの誰とも分からないよそ者に対し、あかりならばという思いもあるのだろう。宮子と柚希、そして来武は少し困った顔をするが、司は涼しい顔であかりを見つめている。
「だってさ、よかったな」
まるで他人事のようにそう言い、にんまり笑った司は宮子の横に立った。困った顔をしたままの宮子に笑みを見せ、司は拍手の鳴り止まない空間を見つめ続けるのだった。
*
集会の後であかりは宮子にがっつりと怒られたが、悪びれる様子もなかった。どのみち、明日の夜は家を抜け出して化け猫退治に行く気でいたし、何より鳳凰院の者がそれを成すべきだという考えもあっての悪態だった。そんなあかりにため息をつきつつ、明日の夜はあかりを監禁することに決めた宮子は少々疲れた顔をしつつチビチビと酒を飲んでいた。
「ばーちゃん、ちょっといいかな?」
襖の向こうからする司の声に返事をした宮子は酒を置き、姿勢を正す。これは当主として染みこんだ癖のようなものだった。司は部屋に入ると小さなテーブルを挟んで座り、珍しく真剣な顔で宮子を見やった。
「明日な、あかりも連れて行く」
「・・・ダメじゃ」
「監禁しても、あいつは抜け出してくるぞ。なら最初から同伴させる」
渋い顔をした宮子を見た司は微笑を浮かべ、それからくつろいだ体勢を取った。
「心配なのはわかるけどさ、こういう経験も必要だよ。俺は小学生の時に術を覚えてからは師匠にくっついて除霊をした。経験がものをいう、じゃないけどさ、でも一度危険な目に遭うのもまた経験だよ」
「しかし・・・」
「大事な孫娘だ、なんだかんだで心配なんだろう?でもさ、村のみんなも俺たちじゃなく、あんたらに期待してんだ。あかりがその場にいた、それだけでいいじゃん」
「たしかに、な」
「退治は俺がする。あかりのお守りはらいちゃんがする。らいちゃんは好きじゃないけど、信頼はしてる」
その言葉に宮子は笑った。前世の因縁のせいか、司は来武を毛嫌いしていた。しかし、霊能者としては信頼をしている。そこにあるのはかつてのアマツとカグラの関係だ。裏切る前の、そして裏切ってからの関係。転生しても尚、2人の間に溝があり、しかしそこには小さな橋が架かっている、そんな関係だ。
「光天翼を持つそなたを信頼しましょう」
「自由に使えないけどね」
「それでもそなたから感じる霊圧はとんでもない」
「人間じゃないほどに、だろ?」
宮子は笑い、司は苦笑した。自分でもわかっている。人間というよりは霊に近い存在だということを。
「弓も引けない未熟者だが、よろしく頼みます」
「引けなくてもいいじゃん。でもね、必ず引けるよ」
頭を下げた宮子にそう言い、司は部屋を出て行った。宮子は最後に司が言った言葉を今更思い返し、驚く顔をしながら司の消えた襖を見つめつつ、そっと手を合わせる。伝承にあるアマツとは似ても似つかないほどの性格だが、それでもやはり彼はアマツの転生だ。そう思う宮子は彼こそがあかりの婿にふさわしいと思う反面、それはあまりに高望みだと苦笑を漏らすのだった。
*
翌朝、突然宮子から化け猫退治への同行許可が下りたあかりは腑に落ちない状態だったが、満足していた。自分が化け猫を退治すればいい、そう考えるあかりは宮子の部屋を出た後で引くことができない魔封弓の手入れを始めていた。来武は神妙な面持ちでそんなあかりを見つめ、司は珍しく早朝から出て行ったきり朝食になっても戻ってこなかった。怖くなって逃げたというあかりを制し、宮子と柚希も顔を見合わせていた。そんな司が戻ったのは昼前であり、どこで何をしていたのかは一切話さずに昼食を取ると昼寝をしていた。そうして指定された15時になると外に人の気配は消えていた。もともと昼前で帰宅した者が多く、夕焼け空が見え出す頃には廃村かと思うほどの人気のなさを見せているほどだ。明かりもほとんどなく、夕闇に怯えるかのようにして音もなくただじっとしているのだろうか。早めの夕食を終え、司は来武とあかりを伴って玄関へと向かった。宮子と柚希が見送りに来る中、布でくるまれた魔封弓を持ったあかりは自信に満ち溢れた顔を2人へと向けていた。
「行って来ます。ちゃんと退治してくるから」
「お2人の言うことを聞きなさい。絶対に1人で突っ走ってはダメ」
「はい」
しおらしく返事はしているが、絶対に暴走するだろうとわかっている。だからか、宮子は来武に頭を下げ、来武もまた微笑みながら頭を下げた。
「赤い月、かぁ」
玄関を出ていた司がそう呟きながら空に浮かぶ月を見上げていた。雲のない夜空に浮かぶ月は赤みが濃い色をしていた。
「さて、んじゃ行くか」
まるで遠足に行くかのような口調でそう言い、司はズボンのポケットに手を入れたまま歩き出す。それにあかりが続き、最後に来武が歩いていた。
「どうか無事で」
「頼みましたぞ、司殿」
2人は早々と玄関を閉めて鍵をかける。今夜だけは何があろうとも外に出てはならず、また外を覗くこともできない。心配は募れど、今は司と来武を信じることしか出来ないのだ。そんな想いを受けているはずの司は鼻歌を歌いながら歩いていく。虫の声も風が木を揺らす音もない静寂の世界は不気味以外の何物でもなかった。やがて村の中心部にやってきた司はそこにあった石の上に腰掛け、くつろぎ始める。あかりはそわそわしつつ弓を握り、来武はじっと山の方を見つめていた。3人に会話はなく、ただゆっくりと時間だけが流れていく。そうして9時を回った頃、最初の異変が起き始めた。臭気のようなものが空気に混じり始めたのだ。あかりは魔封弓を取り出し、それを握る。来武は警戒を強くしていたが、司はぼーっとした顔を山へと向けているだけだ。1人だけ緊張感がない。
「霊圧は感じないけど、臭いなぁ・・・生臭い」
「ホント・・・・これって猫の死体のせい?」
「人、かもしれん」
来武が司の言葉に反応したあかりにそう言い、山から標的になるはずの家へと顔をやる。臭いは少しずつ濃くなっていくが、それでも不穏な気配はまだなかった。
「人って?」
「死んだのは猫と女・・・・もしかしたら、の話ってことさ」
来武に替わってそう説明をしたが、この状況で微笑む司が怖くなる。あかりは緊張のせいか表情は強張り、どこか声も震えているというのに。そんなあかりは不快な霊圧を感じて山の方へと顔を向けた。横に立つ来武は既に臨戦態勢に入っているのか、上着の胸ポケットから短刀を取り出している。先月、遮那から送られてきた霊的なエネルギーを込めた短刀であり、魔封剣には遠く及ばないまでも自身の霊圧を力へと変える特殊なものであった。
「猫だな」
司の言葉と同時に猫の鳴き声が周囲に響く。途端に足が震えるあかり、汗を流す来武をあざ笑うかのようなその霊圧の中、司はどこか嬉しそうだ。
「ありゃ猫だけど・・・・じゃ、こっちの霊圧はなんなんだ?」
山から迫る霊圧は不気味であってもどこか邪悪さは感じない。むしろ、今地面から滲み出ている霊圧の方がかなり不気味で濃い邪気を含んでいた。来武もあかりも感知できなかったその邪気はゆっくりながら確実に大きくなっている。その証拠に司は地面から黒い霧のようなものが発生しているのを見ていた。金色に輝くその瞳は闇よりも濃い黒い霧をはっきりと認識している。一方で山から来る霊圧は結界の外で停止した。徐々にその霊圧は形を成し始め、黒いもやのかかった猫の形を取ったのだった。思わず一歩下がるあかりが魔封弓を持っていない左手に木でできた小さな槍のようなものを取り出す。来武は一瞬その槍を見たが、視線はすぐに化け猫へと戻した。大きな霊圧はゆらめき、地面から湧き上がってくる霧と同調しているかのように徐々に大きくなっていった。
「神手!」
「ちょっと待って!やっぱなんか変だ」
来武の叫びにそう返し、司は金色の瞳で猫と霧とを交互に見据え、来武ですら初めて見せるほどの動揺をしていた。化け猫の霊圧は巨大だが、何故か邪気は感じない。それに比べて黒い霧のそれは霊圧も不安定だがかなり邪悪だ。猫の霊圧がそれを発生させているのかと金色の瞳、霊視眼により力を込めるが、それは完全に別個のものだった。それよりも気になるのは化け猫の霊圧が霧の大量発生を阻止しようとしている雰囲気もあるということだった。ますます混乱する司が思案に暮れる中、しびれを切らせたあかりは槍を手に猫の方へと駆け出した。あかりにしてみれば猫の霊圧が黒い霧の霊圧に感じられ、それらは同一のものという判断を下した結果だった。
「あかりさん、待って!神手!」
首を交互に動かしつつ困り果てた来武は仕方なく右手を化け猫の方へと突き出す。
「乱!」
叫ぶと同時に化け猫の霊圧が弱まり、揺らいで霞んでいく。その瞬間、あかりは手にした槍に自分の霊圧を込めてふりかぶった。
「ダメだっ!」
司がそう叫んだが、同時に槍が猫を貫いていた。周囲に絶叫する猫の悲鳴。揺らめく霊圧が霧散し、あかりは息を切らせながらも微笑を浮かべていた。
「やった・・・私が倒した!私が化け猫を滅ぼした!」
喜びに震えるあかりを見つめる来武の表情が強張り、すぐに司を見やる。司は地面から勢い良く立ち上る黒い霧に覆われていた。結界など意味はなく、徐々に霧は広がりつつあった。来武は咄嗟にあかりの手を引いて霧から離れるようにしてみせるが、司はもう見えないほど霧に覆われている。
「なんで?猫は滅ぼしたのに・・・」
「まさか・・・・・逆だった?」
来武のその言葉に疑問を生じさせながらも、あかりは化け猫を倒した余韻に浸っている。こんな霧はすぐに消えると思っているのだろう。
「防」
来武が短刀を霧に向けつつそう呟けば、霧は来武とあかりの手前で揺らめき、そのままその場に滞留するだけだった。だが霧は濃く、司のいた場所の霊圧が凄まじい速度で大きくなっていく。
「神手・・・」
渦を巻きつつ霧が濃さを増す中、来武は防の術に霊圧を込め続けるのだった。