化け猫の棲む村 その四
夕食の時間になり、一同が居間に集結した。決戦は明後日の夜だが、明日のことについての話し合いとなった。結界は張ったが、それが効果を促すかどうかはわからない。出来ることは襲われる2人の男性の家にも多重結界を張る、その程度しかなかった。あかりは来武の横に座ってかいがいしく世話を焼いている。そんなあかりを困った顔で見つめる柚希だったが、それをやめさせるようなことは口にしなかった。宮子は黙々と食事を進める司を見ている。
「霊玉を消滅させたというのは、本当なのかい?」
不意にそう言われた司は宮子を見やるが、口はもぐもぐと動いたままで頷く。宮子は驚いた顔をしつつもどこか納得したような感じで頷いていた。
「まさに神の化身よな」
「悪魔だよ」
「何故に?」
「霊玉を取り込んだ覇王ってのがさ、自分こそが神だと言ったんだよね。その神を滅ぼした俺は悪魔さ。それに、悪魔のほうが俺には似合っている」
「そうかの?」
「そうだよ」
にんまり笑う司につられてか、宮子も微笑む。そんな2人を冷たい目で見つめていたあかりだったが、それをすぐに消して甘えるように来武にしだれかかった。
「来武さんの方が神様っぽいよね」
「そうかな?」
「うん、そう思う」
あかりはそう言い、微笑む。来武は困った顔を司に向けるが、司は煮物を食べてご満悦な表情を浮かべているだけだ。
「明後日の夜は誰も家から出さないようにしといて欲しい」
2人のやりとりを無視したのか、ご満悦な顔をそのままに司が誰に言うでもなくそう口を開く。宮子も柚希も頷き、来武は苦い顔をしてため息をついた。今回の敵は得体が知れなさ過ぎる。情報もほとんどなく、下準備はしたものの果たしてそれが正解かどうかはわからない。これまで鳳凰院家の人間が対処した歴史があるとはいえ、邪気を持った猫、ということしか分からないのだ。
「了解した。お2人以外は外出禁止にしておく。まぁ、何も言わなくても皆そうするがの」
そう言った宮子の言葉にあかりが不満に満ちた顔を向けた。何かを言おうとするあかりを制するように、宮子はややきつい目をあかりへとやったのはその目からあかりの言いたいことを悟ったからだ。
「お前もじゃぞ」
「な、なんで?」
「足でまとい、ってヤツだな」
何故か司があかりの質問にそう答え、優雅にお茶をすする。あかりは宮子から司へと視線を変え、そのまま憎悪に満ちたような目で睨みつける。
「私だって退魔ぐらいできる!そういう修行もしてきた!」
「あの弓が引けたら了承してやるよ。ばーちゃんもそれでいいよね?」
「うむ、それなら構わん」
厳しい顔をしながらも頷く宮子だったが、そこには孫を心配する気持ちも滲み出ていた。来武は司を睨み続けるあかりにため息をつき、目で司に合図を送った。こうやって2人で行動するようになって三ヶ月ほどだが、意思の疎通は出来ている。ただ、司は前世の因縁のせいか自分を心底信頼していないと分かっていたが。それでも肝心な時は自分を頼り、背中を預けてくれる。前世で裏切ったからではなく、純粋に今は司を助けてやりたい気持ちが強い来武の目を見た司もまたかすかに頷いた。
「さて、もう一風呂浴びてくるかな」
司はそう言うとごちそうさまと言い、部屋を出て行った。宮子もお茶を飲み、柚希は片付けに入る。あかりは憮然とした表情のまま座り込んでいたが、やがてそそくさと部屋を出て行った。
「明後日はあの子を閉じ込めておく。足手まといにはさせんよ」
「お願いします」
「鳳凰院の名ももう地に落ちておる・・・あの子にはそれを理解させたいんじゃが・・・」
「天に神の龍が駆け、地にも神の竜が住まい、人の王が神から授かった大地を管理する。人は死ぬが、神は蛇の管理する黄泉の世界に天駆ける鳳凰の力をもって人の魂を再生させ、天の龍と地の竜がそれを人に還す」
詠うようにそう言う来武の言葉に柚希は手を止め、宮子は目を細めた。それは5つの家に伝わる5つの家の繁栄を示した唄である。神地王家を指す『天』と『地』そして『人の王』、我龍泉家を示す『龍』、幽蛇宮家を示す『蛇』、竜王院家を示す『竜』、そして鳳凰院家を示す『鳳凰』。天に住まう龍と大地に住まう竜が人の世界を管理し、その管理下で人間の王が人々を管理する。やがて人は死に、死者の世界を管理する蛇が死んだ人の魂を解放して鳳凰の力でそれを蘇生し、魂を転生させる。人の魂の循環を示すその唄は宮子も柚希もよく知っている。逆に言えば、5つの家の者でない来武がそれを知っていることが異常なのだ。どの伝承にもないその唄を正確に詠う、それは代々受け継ぐべき継承の儀式の際にのみ発せられる言葉なのだ。つまりは5つの家にのみ語り継がれる伝承、それは門外不出の唄でもある。
「鳳凰は不死鳥、燃え尽きても灰の中から復活し、炎と共に現れる。この家に没落はありません」
「でも、今はもう神地王、幽蛇宮ぐらいしか強い術者はいないでしょ?」
柚希の言葉に宮子は目を閉じたが、来武は小さく微笑んだ。
「魂は循環します。それに、血が残っている限りは受け継がれていきます。神手がいい例ですよ。アマツは蘇り、そして今でも人のためにその力を振るっている。神地王の家に生まれなかったのはカグラの目を逸らすためでしょう。まぁ、そのカグラだった僕が言うのもなんですけどね・・・自分もまた幽蛇宮の家には生まれなかったわけですし」
苦笑しながらそう言う来武を見ていた宮子の表情が緩んだ。
「そなたもまた幽蛇宮家の元に生まれなかったのは後悔からか?ミコトはアマツを追うことだけを求めて竜王院の家を捨てたと?」
言い方は厳しいが表情は柔らかい。来武も小さく微笑んで頷いた。
「アマツもミコトも、カグラも、家を捨てたわけじゃない。ただ、そうしなかった理由が存在した。アマツはカグラの邪念を倒すため、ミコトはアマツを愛するため、カグラはアマツを救うため。それぞれが裏を読み、策を講じて生まれ変わった。結局、意味はなかったけど・・・それに、どの家にも強力な術者がいました。いずれはその者たちが転生する。それぞれの家に、必ず。僕たちは大きな例外なんです」
中には我龍泉覇王のような野心に取り憑かれた者も生まれてくるだろう。それでも、そうやって血は繋がっていくのだ。
「2千年の時を超えたカグラ殿の言葉、と取っておきまする」
宮子は深々と頭を下げ、柚希もまたそれに習った。困った顔をするしかない来武だったが何も言わずただ頷くだけだった。
*
視線の先にあるのは大きな桜の木だ。つい先日まで満開の花を咲かせていたその木には緑の葉とわずかばかりのピンクの花がついている状態だった。東北の山奥だが、今年は暖かかったせいか咲くのも散るのも平年よりも早かった。上空に浮かぶ丸い月は完全なる円ではない。その月の明かりの照らす中、あかりは手に持った魔封弓を構えてみせた。時刻は丑三つ時、つまりは深夜である。今にも切れそうなほど細い弦をつまみ、腕に力を込める。だがはやり弦はピクリとも動かずにいた。どんなに力を込めても、意識を集中しても、霊圧を込めても同じだった。やはり自分にはその資格がないのかと打ちひしがれ、膝をついて地面にへたりこんだ。自然と涙が溢れ、声を殺して泣いた。
「宝具、だっけ?それは使うんじゃない、使わせてもらうもんでもない・・・武器と人が1つになって自分の力にするんだよ。認めてもらうってのは、武器自体がこの人間と1つになりたいと、そう思わせることだ・・・って俺は師匠から教わった。困ってる人を、大切な人を救いたい、その気持ちが魔封剣に伝わって俺は所有者となった」
いつの間にそこにいたのか、縁側に座って月を見上げていた司が立ち上がる。明かりは涙に濡れた目を司に向けるが、放心した状態にあるのか悪態をつくこともしなかった。
「家の威厳のために力を欲しがるなよ?そんな不純な動機じゃ、弓は眠ったままだよ」
その言葉に目に意識を宿したあかりが睨むように司を見やる。司はそんなあかりを見ていたが表情に変化はなかった。
「家を、威厳を取り戻したいのがそんなにいけないの?弓はこの家のものだ!だからこの家のために使って何がいけないわけ?」
「弓は家の威厳のために作られてないからな」
「あんたは前世の記憶はないんでしょ?よくそんなことが言えるわね?」
「なら、お前は何のために生まれてきたんだ?」
「何のって・・・この家を継ぐためよ!」
「はぁ、そう・・・・明後日は家で寝てろ。絶対についてくるなよな」
ため息をついて呆れたようにそう言い、司が歩き出す。あかりは素早く動き、怒りに燃えた目をして司の前に立ちはだかった。右手に握った弓を壊れるほどに握りしめながら。
「化け猫は私が倒す!」
「無理だから」
「弓がなくても出来る!」
そう言ったあかりが何かを呟き、右手を前に突き出す。
「おやすみ」
だが何も起きずに司はあかりをかわすようにして行ってしまった。霊圧を込めた一撃は確かに放ったはずだ。なのに何故何も起きなかったのかがわからない。あかりは呆然と自分の右手を見つめつつ、声を殺して泣き始めていた。
「彼女に対して乱の術、か・・・・確かに、今の彼女じゃ弓は引けないな」
廊下を曲がった先に立っていた来武の言葉ににんまりと微笑み、司は寝室へと消えた。来武は泣き続けるあかりの声を聞きながら、しばらくその場に立って何かを考えるようにしてみせるのだった。
*
翌日、鳳凰院家の当主として宮子が明日のことを話すために、村人全員に今夜役場に集まるように触れて回った。40年に一度のこととはいえ、この村に住む者たちにとってはよく知る風習のようなもののためにすんなり了承された。ただ今回は司と来武という客人もおり、少し浮き足立った様子が見られていた。いよいよ退治を明日に控えた中、来武は結界のチェックに奔走し、あかりはただ弓を引くことだけに専念している。一方で司は縁側に座って緊張感もなくぼーっと雲を眺めていた。そんな司の横に宮子が座る。司は顔を宮子に向けるが、宮子は庭に咲くわずかばかりの桜を見つめていた。
「遮那殿があなたを紹介したのが何故か、わかりましたよ」
穏やかな表情と口調に珍しく司が苦笑した。
「めんどうを押し付けただけ、だよ」
「めんどうをかけます」
それは化け猫のことか、それとも別のことか。宮子は優しい顔を司に向け、司はますます苦笑を濃くしていった。宮子はそんな司を見てにんまりと微笑むと音もなく立ち上がって廊下を去っていく。小さなその背中が大きく見える司は苦笑を微笑に変えて桜を見つめた。
「5月に桜かぁ・・・こういうのもいいなぁ」
そこでふと凛のことを思い出す。こっちに来てからラインはすれど電話はしていない。めんどくさい、というよりはあれこれ心配されるのが嫌だったのだ。司は桜をスマホで写真を撮り、ラインに添付して送信する。それから電話をかけた。数度のコールの後、電話はすんなりと繋がった。
「よぉ、凛か?」
『あのね司君・・・・・・あまりにほったらかしにされると、さすがの私も我慢の限界になるよ?』
「我慢の限界って?ってかそんなに怒らないでいいじゃん」
『怒ってるからこそそっちに押しかけるってこと!』
久しぶりの会話が喧嘩とはこの2人らしい。離れた場所からたまたまそれを聞いていた来武もまた苦笑しつつ未来に電話をかけていたところだった。
「押しかけないでいいよ、明日の夜には全部終わるからさ」
『・・・・危険じゃないでしょうね?』
「遮那の依頼だぞ?無駄に危険に決まってる」
『遮那さんが聞いたら激怒ものだよ?でも、絶対無理しちゃダメ』
「わかってる」
『あと、桜・・・まだ咲いてるんだね』
「ああ、綺麗だろ?」
『うん』
その後は他愛のない会話を続ける。凛にとってこうした除霊の出張は傍にいられないために心配だったが、来武が必ず同行するために引き止めることはしていない。それでもやはり心配は尽きない。一度その死を目の当たりにしているのだ、無理もなかった。
『じゃ、明後日、無事帰ってくるのを待ってるね』
「晩飯は豪華に頼む」
『連絡不足だったので質素にします』
「マジかぁ~・・・」
『一緒にお風呂に入ってくれるなら考えます』
「・・・・質素でいいや」
『もう!』
「なっはっは・・・じゃぁな、もう切るぞ」
『うん、気をつけてね』
「片付いたら連絡する」
『うん、待ってる』
珍しくどこか名残惜しそうにしつつ電話を切り、再度桜を見つめた。2年の遠距離恋愛を経てから1年と少し、2人の関係に大きな変化はない。再生された愛情は過敏すぎ、司はまだ凛とせいぜい大人のキスをするのが精一杯だった。一緒に寝ることはできてもそういった関係にもなれずにいる。それでも不満な顔1つしない凛は聖母だとみんなが言うが、凛にとってはそれが全てだとは思っていなかった。ただ一緒にいられるだけで幸せなのだ。そしてそれは司も同じだ。
「風呂、ね」
想像しただけで気を失いそうになるが、ここは我慢すべきなのかなとも思う。
「ったく・・・めんどくさい感情だよ」
ため息と共にそう呟き、桜を見つめて小さく微笑むのだった。