化け猫の棲む村 その一
新幹線と電車を乗り継ぎ、さらにはバスに揺られること半日。早朝に家を出たのにも関わらず、うっそうとした山道は夕日も届かない高い杉の木のせいで夜のような暗さを持っていた。長い移動時間の上にこうした山道を既に1時間も歩かされているのだ。目的地に向かうバスは昼12時でもうなくなっており、その集落へ向かうにはこの山道が最短ルートだった。
「もうさ、今日はここで寝ようぜ」
立ち止まり、近くにあった石の上に座り込んでそう言うのは神手司だ。目が隠れるほどの長い前髪に、襟足は和紙のようなものでその少し長めの髪を結んでいる。伸ばし放題のその髪形は高校時代から変わっておらず、去年までいた宮司養成所に通っていた際まで短めの髪型だったにも関わらず元に戻っているのだった。恋人からは不評だったが、司にしてみれば髪型などずっと同じでいいという思考のために意識改革はない。長袖シャツに上着を羽織ったその両手首には金と銀の数珠がはめられていた。
「5月だが、山の中は寒いぞ・・・あと2キロほどだ、歩こう」
毅然としつつも疲れの見えた顔でそう言う未生来武は背負ったバッグからペットボトルのお茶を取り出して一口飲んだ。見上げる空はほとんど見えず、ただ高い杉の木で埋め尽くされているようだ。花粉症でないことがありがたいが、それでもこのうっそうとした森は神経をすり減らさせた。肉体的な疲労よりも精神的な疲労の方が大きい。ため息をついた来武は座り込んでいる司を無視し、再び歩き始めた。遠ざかっていくその背中を見つつ、司はのっそりと立ち上がると疲労感を全身で表しつつ山道をとぼとぼと歩いていく。こんな地方の山奥からの依頼を受けた父親を恨みつつ、臨時収入にしては大きすぎる金額につられてしまった自分も呪った。山の稜線に消えた夕日が見える場所まで出た2人は、そこから見える集落に小さく微笑んだ。田んぼや畑にまみれていくつかの家が軒を並べている。田舎の山奥村らしいその景色はタイムスリップでもしたかのような感覚を植えつけるほどのどかであり、そしてどこか古臭くもあった。集落までの距離はそこそこあれど、周りが木だけの山道に比べれば目的地が見える分、足取りも軽かった。そうして村の入り口のような部分に足を踏み入れた矢先、司は遠くに見える大きな屋敷の方へと目を向けた。
「妖怪みたいな人間がいるなぁ」
その言葉に前を歩いていた来武もまた立ち止まり、屋敷の方へと顔を向けた。
「確かに大きな霊圧は感じるが、邪悪ではないぞ」
「邪悪って意味の妖怪じゃないさ」
どこか敵意にも似た感じで素っ気無くそう言い、歩き出す。そんな口調には慣れている来武は苦笑し、司に並んで歩いた。そうして2人の目的地でるその大きなお屋敷の門の前に立つ。その巨大な門はどこか鳥居のごとく赤くそびえていた。
「鳳凰院家の末裔、ね」
ピンともこないその家の名を口にした司と違い、前世の記憶を全て持っている来武にすればその家の名は巨大で、そして特殊であることはよく知っている。かつて前世の自分と同じく特殊な霊能力を持った一族の末裔たちが住む屋敷。それだけでどこか身が引き締まるような感じがしていた。そんな来武がインターホンか何かがないかと門の周囲を探るが、何もない。かといって勝手に門を開けるのも失礼だと思った矢先、司が門を押すようにしてみせた。途端に門は開いていき、人が通れるほどの隙間が出来たところで司はさっさとその門をくぐってしまった。非常識極まりないその行為に大きなため息をついた来武だったが、仕方なく司に続いて門をくぐる。門の向こうには石の階段があり、その上に屋敷が存在しているようだった。司はさっきまでの疲れはどこへやら、軽快な足取りで階段を登っていく。そうして階段を上りきったところで不意に足を止めた。来武もまた司の横に並んで立ち止まる。2人の目の前には1人の少女が立っていたのだ。肩に触れるか触れないかといった箇所でばっさりと切られた髪は赤味がかった色をしていた。夕日のせいかと思ったがどうやら違うらしい。憮然として腕組みをしているが、身長が低いこともあって威圧的には見えなかった。身に着けている巫女装束に似た感じの服は赤と白である。
「お前、この家の人か?」
初対面の相手に言う言葉ではないが、にんまりと笑ってそう言う司に悪意はない。だが、相手の少女はそうは受け取らずにいた。
「お前?失礼な男ね・・・鳳凰院といえば昔からこの土地を治め、日本の中枢に関わる者たちからも畏怖と尊敬の眼差しを集めている一族なのよ?」
「へぇ・・・なのに化け猫一匹退治できないんじゃ、仕方ねーな」
ニヘラと笑ってそう言った言葉に少女は顔を真っ赤にして司を睨みつけた。
「あんなの!私1人でどうとでも出来る!」
「なら、なんで俺たちを呼んだわけ?」
「それはおばあさまが・・・」
そう言いかけたところで奥から女性が姿を現す。着物姿であり、今が現代の日本であることを忘れさせるほど、その人物は古風な雰囲気を身にまとっていた。長い黒髪を後ろでまとめ、肌も白く美しい。
「あかり、お客様に対して失礼です」
「お母様!でも、こいつが!」
「勝手に門を開けて入ってしまったことはお詫びします。私は未生来武です。神咲神社から来ました、よろしくお願いします」
丁寧に頭を下げた来武に着物の女性もまた頭を下げる。そんな2人を見つつ、司は屋敷の奥へと意識を向けていた。なんともいえない重厚で濃密な霊圧を感じているのだ。
「こちらは神手司」
来武のその言葉に我に返り、司も頭を下げた。こういうことはしっかりやりなさいとしつこく恋人に言われているためにそうしたのだ。司に欠けているのは一般常識だけではないが、その欠けた部分は恋人の努力のおかげか少しは埋まってきていた。
「あなたが・・・お話は神地王遮那さんから伺っております」
丁寧に頭を下げた着物の女性がそう言い、頭を下げた。
「鳳凰院柚希です。これは娘のあかり」
着物の女性である柚希はそう言い、司を睨んだままのあかりを紹介した。司はにんまりと笑うと再度屋敷の奥へと目をやった。
「遮那ってか、ほかの4つの家とは交わりあるの?」
「いいえ・・・そのことに関しては後ほど。遠方からいらしてお疲れでしょう。お部屋も用意しておりますので、どうぞ」
柚希に先導されて2人が歩き出す。あかりはずっと司を睨んでいたが、2人が奥に消えるとあからさまなため息をついてから星がきらめき始めた空を見上げた。
「あんなのが伝承にあるアマツ様の転生?吐き気がするよ・・・」
そうつぶやき、足元の石を蹴飛ばしてから玄関へと向かうのだった。
*
屋敷は大きく、離れもまた大きかった。古風な造りは歴史を感じさせ、そして家自体が纏っている神聖な雰囲気は心を落ち着かせた。司と来武は大浴場のような大きな風呂に案内され、旅の疲れを流した。5月の半ばとはいえ、東北地方の山間部はまだまだ寒い。厚めの服を持ってきて正解だったと思う2人はそのまま大広間へと案内された。美味しそうなご飯が並び、お酒もまた用意されていた。来武は既に20歳を超えている大学生であり、仲間内での飲み会もあってお酒はたしなんでいるが、司は20歳になっているとはいえお酒は一滴も飲めなかった。柚希は来武に地酒を注ぎ、司はあかりが差し出したウーロン茶を受け取る。そうしていると襖が開いてそこからやや腰の曲がった老婆が姿を現した。来武は老婆の放つ重厚な霊圧に押され気味になるが司は平然としている。そんな老婆は司を見るとしわくちゃの顔をさらに皺だらけにして微笑むと上座に腰掛けた。
「鳳凰院家当主の宮子です。どうぞよろしく」
東北訛りでそう自己紹介し、クッと頭を下げる。来武は深く頭を下げるが、司は小さく頭を下げたもののまじまじと宮子を見つめていた。
「ばーちゃんの霊圧、厚みが凄いね」
「年のせいじゃよ・・・もう百二になる」
「ひゃくに?百二歳?長生きだなぁ・・・」
とても百二歳には見えないそのしっかりとしたたたずまいに感心する司に笑みを濃くし、宮子はビールの入ったコップを手に取った。それを見た来武、司、それに席についた柚希とあかりもコップを手に取る。
「はるばるいらした客人に、乾杯」
「乾杯」
宮子の音頭で乾杯をし、それぞれが飲み物を口にした。司はさっさと箸を伸ばして郷土料理を口一杯に頬張っていった。
「都会と違って田舎すぎて大変だと思いますが、よろしくお願いしますね」
柚希の言葉に頷く2人を見やるあかりは憮然としたままだ。
「鳳凰院は東北の土地神として長く治めてきたが、今はもうその力もない」
「そんなことない!」
宮子の言葉にそう反応したあかりを見やった来武は何か深い事情があるのだなと察したが、司は興味がないのか食べることに必死だった。電車の中で弁当を食べた以外は何も口にしていなかったこともあってかなり空腹だったのだ。
「男子も絶え、お前が婿を取らねばならんような家が没落といわずになんと言う?」
宮子のその言葉に返す言葉が見つからず、あかりは不貞腐れた顔をしつつ煮物を口にした。
「鳳凰院は今、消えようとしています。夫は亡くなり、後を継ぐのはこの娘のあかり。そのあかりも婿養子を取らねばならず、他の家系同様このままでは消え去るでしょう」
「強力な霊能者が残っているのは神地王、幽蛇宮、そしてこの鳳凰院の家だけですからね」
来武がそう言い、柚希と宮子がうなずいた。かつて日本の悪しき魂を浄化、消滅させてきた5つの家はもう滅びの道を歩んでいる。特に竜王院家と我龍泉家は継承者を失って今や滅びの一途を辿っている。いや、もはや霊能者が生まれる確率がゼロに近いためにその能力者の家系は途絶え、ただの家に成り下がるだろう。2つの家に課せられた呪いともいうべき惨状。それはこの世にあってこの世のエネルギーではない霊玉と深く関わった我龍泉の家、それに加担した竜王院家はもはや霊的な因子を失った者たちしか残っておらず、特異なる者が生まれない限りはもう除霊すらできない家になることは確定済みだ。霊圧も霊力もほとんどない者しか残っていないために、もうその家を頼る者すらいないのだから。
「神地王家は高い霊能者である遮那殿と、上坂家の跡取りであるこれまた素晴らしい能力者の刃殿との婚姻が決まっておる。5つの家の頂点に立つのだ、あの家だけでも残ればええ」
「鳳凰院も残ります!残してみせます!」
いきり立ってそう言うあかりをギロリと見やり、宮子はビールを口へと運ぶ。その威圧的な視線にしゅんとなったあかりはちびちびと味噌汁を飲むのが精一杯だった。
「強い継承者を残そうと思えば、神手殿と子を成せばよい」
その言葉にあかりは味噌汁を噴き出したが司は平然とお茶を飲んでいる。そんな光景を見つつ呆然とする来武と違い、柚希も宮子も微笑を浮かべていた。
「あー、俺、無理だし。そういう気持ちとか感情がないからさ」
「ただ1つの例外を除いてな」
司の言葉にポツリと付け足し、来武もまた味噌汁を飲んだ。
「俺は壊れてるんだってさ。愛やら恋とか、そういう感情を失くしてる。まぁ1人だけ例外がいるけど」
「ミコト殿の生まれ変わり、かな?」
「だね。さすがばーちゃん、凄いね」
「ほっほっほ・・・まぁ、このぐらいしかできんがね」
そう言い、2人は笑いあう。あかりは憮然としながらご飯を食べ、来武は柚希が注いだ酒を飲んだ。
「こんなことしかできんからこそ、お二人を呼んだのじゃよ。遮那殿に助けを求めたら、紹介されたものでね」
「めんどくさい仕事ばっか寄こすんだよなぁ、あの女は」
心底うんざりしたような司の言葉に来武もまた苦笑する。宮司の養成所を卒業した司は父親から神社の仕事を任されていた。そんな中、神社の経営を担っている恋人である桜園凛は司を頼ってやってくる霊障に苦しむ人たちを見て神社のホームページにある記載をしたのだ。
『霊的な相談、受け付けます。必ず解決します』
その日から全国からの依頼が殺到した。中には冷やかしや、本当にそんなことが出来るのかという興味本位の者もいたが、重い霊障に苦しんでいた者たちは藁をも掴む気持ちでやって来たのだ。司は除霊と仕事をなんとか両立させてきたが、時々知り合いの者から大きな除霊の依頼を受けていた。名門神地王家ですら解決できない大きな霊的な事件をなどがそれであり、今回もまたその類のものだ。特に遮那からの依頼はとんでもなく大きくて強大な霊が相手となり、めんどくさがりの司にとってそれは苦痛でしかないことであった。
「化け猫退治、と聞いていますが?」
「そうです。でも、まさかカグラ殿の生まれ変わりもまた来て下さるとは思いもよらなんだ」
宮子は微笑み、あかりは驚いた顔をしてみせる。鳳凰院家だけでなく、5つの家に伝わる古の伝説はあまりに有名だったからだ。アマツとミコト、そしてカグラの伝承。友情と憎悪、そして悲しい愛の物語はあかりにとって最高のラブストーリーだった。その話をベースにした恋愛ドラマも放送され、人気を呼んでいたほどである。そのアマツの生まれ変わりがこんなバカみたいな男だとは、あの伝説が汚されたような気になってしまう。カグラの生まれ変わりでる来武はまだイメージに近いが、司に関してはミスキャストにもほどがある。そんなあかりの心を知ってか知らずか、司は全ての料理を平らげて満足そうにしながらお茶を飲んでいた。
「40年に一度、この集落にやってくる猫の怨霊がある。もう数百年の昔からおる猫でな・・・」
宮子はそう言い、その化け猫の話をし始めた。