天狗の願い(1)
その村からわずか10キロの位置に大きなキャンプ場があった。季節は夏とあって、今年も猛暑となっていた。そこは緑豊かな山であり、綺麗な小川が流れる涼しげなキャンプ場とはいえ、やはり夏は暑い。テントを張ったすぐ近くの小さな小川に足を浸けつつ汗を拭っているのは神手司だ。世界最強の霊能者であるという触れ込みで、彼が宮司をしている神咲神社のホームページには除霊や霊に関する相談を受け付けますといった一文と共に相談窓口が設けられている。もちろん冷やかしの相談が多いものの、中にはとんでもない除霊の依頼をしてくる者や心底困っているといった相談も少なくなかった。そんな他の霊能者であれば手に負えないほどの除霊も、司の手にかかれば呆気なく解決してしまう。それほどまでの能力を有する司でも、この夏の暑さだけは如何ともしがたいものであった。
「司~・・・あんたも手伝いなさいって!」
夕食であるバーベキューの準備にいそしむ幼馴染の蓬莱未来の言葉に目も向けず、ただひんやりとした感触を楽しむばかりだ。足で石をどければ、小さなカニがあわてた様子で逃げ惑うのを嬉しそうに見つめていた。
「らいちゃんの火が熾らないと肉も食べられないからね!」
怒った口調がきつくなり、そこでようやく司が顔をそちらへと向けた。口調だけでなく、顔もかなり怒った未来を見てため息をつきつつ、上手く炭に火が燃え移らない着火材に悪戦苦闘している未生来武の元に近づいていった。
「お前は監督か?」
奥の炊事小屋では妹の美咲と彼女である桜園凛が楽しそうに食材を切ったりしている姿が見える。司は来武を手伝いつつも未来をバカにしたような目を向けてそう言った。
「私もやってます!切り終わったのを運んできただけ!」
「ま、切るぐらいは出来るよな、切るぐらいは」
「・・・・・焼くし」
「網に置いたら火が焼いてくれるもんな」
「こんのっ!あんたには焦げた肉ばっかあげるからっ!」
そう言って司の脛を蹴りつけてから炊事小屋に向かう。去っていく背中からもその怒り具合が分かる来武は苦笑し、ようやく炭に火が移ったことでホッとした表情を見せた。
「らいちゃんも大変だな」
脛をさすりつつ、しみじみとそう言う司を見やった来武の口元に再度苦笑が浮かんだ。
「あれでも結構練習してるんだぞ。最近は腕も凄く上がったからなぁ。凛にも教えてもらってるし」
「昔はあいつのせいで3日ほど下痢で苦しんだけどさ」
「俺は1日で済んだ」
そう言い、微笑みあう。普段はそう仲が良くないこの2人だが、こういう話題ではそれもなくなっていた。前世の因縁のせいで司は本能的に来武を嫌っている。何が嫌いなのかと聞かれてもなんとなくとしか返事ができない程度の嫌いようだ。前世で裏切られたという、今の来武にとっては迷惑な理由だが、それでも司と出会った時の来武は自分で言うのもなんだが感じの悪い男だったと思う。前世の魂と融合して以来はその性格は前世のそれに近いものに変化していた。
「ま、嫁さんにするにゃ、もうちょっと美味い飯が作れないとな」
「今でも十分美味いけどな」
そう返す来武に司が苦笑を漏らす。開放的な気分のせいか、今日の司は機嫌が良かった。といっても明日からのことを思うと途端に機嫌が悪くなるのだが。
「ムヒある?あとさ、蚊取り線香とか、虫避けちょうだい!」
一部が赤く腫れた腕を掻きつつやってきた鳳凰院あかりに来武がポケットからかゆみ止めを差し出した。それだけであかりはとろけそうな顔を見せて来武に擦り寄り、司はうんざりした顔を隠すようにしていこり始めた火を見つめた。そんな司をじっと見るあかりの視線に顔を上げると、これでもかとかゆみ止めを腕に塗りたくるあかりと目が合ってしまう。
「あんであんたは虫に刺されないの?」
「さぁ?」
「霊だけじゃなく、虫からも防ぐ術、あんの?」
「あるわけねーだろ?バカじゃないのか?」
「誰がバカよ!」
「今、俺が、会話してる、お前以外に、誰が、いるんだよ!」
何故か言葉を途切れ途切れにしつつまるで子供を諭すようにはっきりそう言う司に対し、あかりの顔が炎より赤くなっていくのがわかった。完全にバカにされたあかりは司に向かって右手をかざすと、そこに念を込めた。途端に周囲の空気が重くなっていく。そしてキィンという金属音が司の頭の中で不快な音を立てていくのがわかった。
「返」
少し顔を歪めた司がそう呟いた瞬間、あかりが頭を抱えつつ両膝をついて苦しみ出す。
「俺にそういう術をかける時点でバカだな」
ニヘラと笑う司を睨みつつ術を解除したあかりは小さく肩で息をしながら立ち上がった。来武はもう何も言わず炭をばらけさすことに専念していた。
「くそ・・・少しは強くなったってのに」
「俺に言わせりゃ1ミリ程度厚さが増した程度の霊圧だけどな」
「あんたの霊圧が変態的なのよ!」
「変態?」
「死ね!」
「ヤだ」
「死ね死ね!」
「ヤだってんだろ?バカか?」
「ウッキー!死ねーっ!」
「イヤだよ、バーカ!」
子供じみた喧嘩を繰り広げる中、周囲は少し暗さを増してくるのだった。
*
父親である信司と、今回の依頼者である信司の幼馴染である住職の佐川新からの差し入れでかなり上等な肉が用意されていた。野菜も豊富であり、6人は解放的な場所でのバーベキューに大満足であった。アルコールも入ったことで話題も尽きず、色恋関係から幽霊の話まで多岐に及んでいた。ひと夏の思い出には十分すぎる経験だが、これはあくまで除霊に関する依頼のついででしかない。それでも騒ぎ、食べ尽くした一行は片付けは全員で行い、あとは火を囲んでわいわいと騒ぐ。その後はすぐ近くにある温泉施設に向かうとゆったりと大きな露天風呂に浸かり、旅と普段の疲れを癒した。それでも時刻はまだ午後9時を回ったところである。明日はここから十キロ離れた村へ行き、天狗の仕業で怪奇現象が多発している真相を突き止めに行くのだ。今いる6人中4人が霊能者であり、中でも司がいることで全員がリラックスしている様はどこか異常である。周囲にいるという浮遊霊ですら6人には近づけないほど、キャンプ場の霊圧はその濃さを増している状態にあった。少し早いが明日に備えて10時には男女別々のテントに別れる。朝食は凛とあかりが担当することになっていたが、結局あかりが寝坊したために来武が手伝うことになってしまったが。とにかく朝食を終え、6人は来武の運転で朝8時にキャンプ場を出発し、一路問題の村へと向ったのだった。
「しかし天狗って・・・この現代社会においてバカな話・・・」
「何十年も化け猫に怯えていた村もあったけどな」
「・・・・・喧嘩売ってるわけ?」
「でもさ、天狗ってホントにいるのかな?」
狭い車内で喧嘩を始めた司とあかりを制するようにそう言った美咲の言葉に来武が小さく頷いた。
「天狗ってのは超常現象を具現化した存在だと言われている。昔は科学的な証明も出来ない事柄はそういった神や天狗、狐のせいとして忌み嫌い、または崇められてきた。今でもそういう風習が残る村も多いし、そういった面で言えば天狗は実在すると言えるね」
「さすがらいちゃん!インテリ~」
「なんであかりさんが自慢げに言うのよ!」
また新たな小競り合いが起こる中、美咲が小さく身震いをしてみせる。それを見た凛が少し不安げな表情を浮かべて見せた。
「嫌な感じ、するの?」
「んんー・・・嫌な感じなのはそうなんだけど、なんかちょっと違う感じ」
霊的な不安要素に関しては誰よりも敏感な美咲だけに、凛は不安に駆られていた。ただ今回は美咲に加えてあかりも同行している。霊を葬り去る魔封弓こそ持参していないが、ここ数ヶ月であかりの霊圧は研ぎ澄まされてきており、その除霊能力は格段にアップしているのは間違いなかった。来武は司のサポートに徹する相棒であるが故に、霊に対抗する封神十七式を扱うことができるという強みもあった。元々は司と来武の2人で日本各地の怪奇現象を解決して回っているだけに、本来であれば2人で村に行くのが妥当だろう。だが、今回はキャンプを兼ねたイベントとなっている。だからこそ、これだけの面子がいる今回に関しては凛もどこか気の緩みがあったのかもしれない。
「不安じゃなくて怖いわけでもない・・・でもなんか、ヤな感じ」
今までに感じたことのない漠然とした嫌な感じ、とか言いようがない。霊的なもののせいとも思えずに戸惑っている様子に未来もあかりも黙り込んだ。
「行けばわかるって」
薄ら笑いを浮かべる司がそう言い、車の揺れに気持ち良さそうに目を閉じている。これはいつもの司であり、美咲の違和感を探る手立ては確かに現地に行くしかないと言える。少し重くなった車内の空気を無視し、司は本気で眠りに入っていくのだった。
*
その村は以前訪れたどの村よりも規模の大きな集落となっていた。森に囲まれているためか、ひっそりとそこにあるイメージが強いものの、一度村に踏み入れば田畑の広がるのどかな田舎といった風な印象を受けた。間隔の広い近隣の家々はかなり大きく、皆古き良き時代から受け継がれてきた農家といった風情がある。今まで訪れたどんな村よりも平穏であり、何ら異常らしき異常は見当たらなかった。変な気配はあれど、それが邪悪かと言われればそんなこともなく、美咲が感じた嫌な気配も今はないほどに。とりあえず今回、天狗の怪異を依頼してきた貴布大吾氏の家に向かった6人は畑仕事をしている老人に場所を聞いてそこへと向かう。普通は霊的な現象が起こっている村では部外者を嫌う風習があるが、この村にはそれもない。それがどこか来武の中の不安を掻き立てていた。どの家も皆大きい中、一際大きな家を右側に見つつ貴布家に着いた一行は広すぎる庭に車を止めると暑い陽光の下に出た。そこはクーラーが効いていた車内から一気に地獄に落ちた気分になるほど暑い。特に暑さ寒さに弱い司はぐったりし、既に車の影に逃げ込むようにしてしゃがみこんでいた。来武が呼び鈴を鳴らすべく玄関に向かい、それにあかりと未来がついて行く。美咲は周囲をぐるっと見渡すようにしつつ、凛は司の横に立って目の前の大きな家に目を向けていた。
「ごめんください」
呼び鈴を鳴らしてそう声をかける。今日この時間に来ることは既に告げているため、相手は自分たちを認識しているはずだ。だが、庭の奥から来武たちの前に姿を現したのは十代と思しき美少女だ。あかりや未来ですら可愛いと思えるその容姿だが、敵意むき出しの鋭い目つきがそれを台無しにしていると思う。来武は丁寧に頭を下げ、やってきた少女にかすかな笑みを浮かべて見せた。
「貴布大吾さんから依頼を受けて来た者ですが」
そう告げ、一通りの自己紹介をした後で美少女は何かに気づいた様子を見せた。
「天狗の件で?」
素っ気無い言い方をし、美少女は3人を見据えるようにしてから車の傍にいる残りの3人へと目をやった。その中にいる1人、しゃがみこんで死にそうな顔をしている司をじっと見つめた後、ゆっくりと腕組みをした美少女は怪訝な顔をしてみせた。
「お爺ちゃんは急用で不在。あと1時間ほどで戻るわ。天狗のことが聞きたいなら、奥の寺にいる貴船礼っていう住職に聞けばいいよ」
そう言う口調もどこか敵意を感じる。来武はそうですかと口にし、お礼を言って美少女が指をさした先にある石の階段へと顔を向けた。
「あの人なんなの?」
不意にそう言われ、来武は美少女を見て、それからその視線の先にいる司へと顔を向けた。
「彼は神手司。今回、天狗の怪異を解くべく来た人間です」
「人間、ね」
意味ありげにそう呟いた矢先、司が美少女へと顔を向けてヘラヘラした笑みを見せた。
「変わった霊力持ってんだな」
その言葉に美咲も頷くが、あかりにしても来武にしても別段変わったものを感じてはいなかった。神手兄妹のみがそれを感じ取っているようで、そう言われた美少女はムッとした顔をしてみせた。
「変わってるのはあなたでしょ?」
「まぁね」
笑みを消さずにそう言う司を睨む美少女はますますムッとした顔をし、すぐに司から来武へと視線を戻した。司の霊圧は彼女には眩しすぎるのだ。
「お爺ちゃんが戻ったら寺に行ったと伝えておきます」
「わかりました」
来武は丁寧に頭を下げ、それから車の方へと歩き出す。車はここに置いていいとの許可も得てからだ。
「私は貴布九、あんたらを呼んだお爺ちゃんの孫だよ」
「ここの、さん」
あかりがその珍しい名前に反応するが、一礼した来武に促されて車の方へと歩き出した。
「九つ目の魂の在り処、か」
立ち上がりつつそう呟いたその言葉に凛と美咲が顔を見合わせるが、司はよいしょと立ち上がると寺のある階段の方へと顔を向ける。そこに浮かんだいつもとは違う笑みに凛が不安を覚えるものの、今回は来武だけでなくあかりに美咲もいると自分に言い聞かせた。6人中4人が霊能者なのだ、何かあっても対応は臨機応変に出来ると信じて。




