生贄の少女 その五
カゴに乗せた鈴を運ぶ2人の男の後ろからお経を唱えるお坊さんが続く。その後ろには村長と太助が歩き、小さな提灯で足元を照らしていた。5人はそのまま鳥居をくぐり、石段を上がっていく。そうしてゆっくりした足取りの中、目の前に朽ちる寸前の社が姿を現した。不気味なほど静かな夜だ。社は幻のごとくその全貌を隠すように闇の中に溶け込んでいた。醜悪な臭いがするのは気のせいだろうか。お経の声が大きくなりつつある中、2人の男が社の前にカゴを降ろす。お坊さんがカゴの周囲を回りつつ読経を続けること30分、男たちがカゴを担ぎ村長が錆びついた錠を外して社の入り口を開放した。ムッとするような生臭い臭いが周囲に混ざっていく。血か獣のような臭い。太助は20年前のことを思い出しつつチラッと右側の茂みの方へと目をやった。暗闇の中で動くものはない。だがそこにいるはずだ。鈴が天使と呼んだあの霊能者たちが。一縷の望みを彼らに託し、太助は社の中に運ばれていくカゴを見つめ続けた。こんな風習は終わらすべきだ、そう思う。いや、今まで何度もそう思いながらも実行できなかった。20年前の恐怖、そして自分たち家族も殺されてしまうという恐怖がその意思を奪っているのだ。それは村人すべてが同じだった。だから健介は外部の者に依頼したのだろう。カゴが社の中央に置かれると男たちがそそくさと外に出てくる。お経が続く中、村長が社の錠をして全ての儀式が完了した。5人はさっさと山を降りていく。あとは家でじっとするしかないのだ。5人の姿が完全に消えたのを確認した司たちは藁を羽織ったまま社の前に立つ。異様な妖気が漂う中、いい知れない恐怖が弓華を襲ってきていた。何度か除霊や肝試しで怖い目は経験している。だが今回のそれは桁違いだ。霊の気配すらないのに震えが止まらない。臭気と邪気、妖気に全身が絡め取られていく、そんな感じがしていた。
「あれ?鍵、開いてるな」
この男に恐怖などないのか、普段と変わらない声でそう言う。見れば確かに錠は開いている。
「じーさん、やるじゃん」
司はそう言いながら微笑むと錠を外して中へと入った。来武と弓華が入ったのを確認して扉を閉める。薄暗い中をじっとしていたせいで目は暗闇に慣れていた。社の奥には祭壇のようなものがあり、その向こうには巨大な仁王像が立っている。司はカゴを無視して祭壇の裏に回るとそこに身を潜めるようにしてみせた。来武と弓華もそれに続くが、一切口は開かない。カゴの中の鈴も無言を貫いていた。司の指示をちゃんと守っている鈴を偉いと思う反面、一番怖いであろう鈴に負けてられないと弓華もじっと押し黙ったままそこに座り込んだ。藁は相手に自分たちの臭いを感じさせないため、司はここに来る途中でそう説明している。霊圧も自分たちに『禁』の術をかけることで打ち消しているために相手に気づかれる恐れはない。社の中で4人は黙ったままじっとその時を待つ。そうして1時間ほどが過ぎた頃、変化が訪れた。臭気が濃くなり、ひどく生臭い息遣いが社の中にこだまする。小さなそれは徐々にはっきり聞こえるようになり、来武と弓華に緊張が走った。司はじっと天井を見上げ、虚空の闇へと意識を集中している。すると突然、ドンという音が真上から響いた。何かが屋根の上に降りたような音だ。緊張が大きくなる中、司の口に笑みが浮かぶ。異様な霊圧が染み込んで来るのを感じる中、笑みを浮かべられる司が信じられない。強大な霊圧と何かの気配が天井から染み出てくるのがわかった。漆黒の中にあって白いもやのようなものが天井の一角から染み出て、やがてそれは下に落ちた。そのもやは渦を巻き、やがて何かの形を成す。そして低い声で何かが呻いた。それは白いもやから聞こえるようであり、また社全体から響いているようにも聞こえる。そしてそれは子供のような声に変化した。
『22の魂を喰らえ、22回の食事を行え、22の魂を喰らえば、我は山の王に戻る』
何度もそう繰り返しつつ、人のような形を作ったもやがカゴの周囲をゆっくりと回っていく。どうやら自分たちには気づいていないようだと思う汗だくの弓華が来武を見れば、緊張の張りつめた顔をしているのがわかった。その向こうにいる司は表情もなくただじっと前を見据えている。祭壇の隙間から見えるそれはカゴの周囲を巡り、やがて動きを止めた。
『あと2つ、これであと1つ』
もやの手がカゴに伸び、蓋を天井まで舞い上がらせる。目の見えない鈴ですら恐怖に声が出せないほどそのもやは強烈な殺気を持って鈴を見据えていた。
『汚れのない体、汚れのない魂・・・・いい子じゃ、いい子じゃ、いい子じゃ・・・』
そう嬉しそうに言いながら鈴の首に手をかけた瞬間だった。白いもやが絶叫を上げる。手を形取っていたもやが消失し、もや本体がカゴから大きく飛びのく。フーフーと大きく息をしたそれは獣の咆哮をあげて怒りを表現していた。
「防って術だ、覚えとけ!」
そう言い、祭壇の裏からゆっくりと出た司が藁を投げ捨てる。驚愕した気配を見せたもやが天井まで舞い上がるが、天井を透過出来ないのかその場で渦を巻いた。
「この中に防の術を施した。出ることはできないぜ」
ニヤリと笑う司を恨みの込めた目が捉えた。そう、もやの中に赤く光る目が浮かび上がっていた。いや、それだけではない。もやは毛になり、腕を形取っていたそれは長い爪を持つ獣の腕に変化していた。
「なんなの?猿?」
震えることしかできない弓華だが、当初の計画通りにカゴの中にいる鈴を出して抱きしめた。震えていながらも声を出さない鈴に強さを感じ、弓華もまた平常心を取り戻しながら神様を見やった。
「ヒヒの化け物?」
来武が両手をかざしつつそう呟く。そう、それは身の丈3メートルはあろう白い毛をしたヒヒだった。だが、ヒヒではない部分がある。それが顔だ。
「退治しに来た坊さんを喰らったのか?」
ヒヒの顔は人間の男だ。目は赤く、牙もむき出しているが間違いなく成人男性の顔だった。
「坊さんの体を霊圧で支配して生贄を要求したわけ、か・・・知恵のあるヒヒが命を失いながらも少女を喰らって霊圧を保ってきたわけね」
司はそう言うと笑みを消し、両手の数珠をズボンのポケットに入れた。
「22人の少女の魂を喰らい、完全なる霊圧を手に入れようとした、のか?」
さっきの歌のような言葉を思い出した来武の言葉に司が頷いた。
「猿、だとは思ってた。鳥居の奥で感じた霊圧が獣のそれだったからな」
低いうめき声を上げるヒヒはその邪気を一層濃くした。強大な霊圧は膨れ上がり、弓華は鈴を抱きしめつつ震えることしかできない。来武は司に言われた通りただ全霊圧を込めて防の術を社の中に施し続けた。
「神を殺すのは、2度目・・・・いや、カグラが邪神なら3度目かな?」
司はそう呟くとニヤリと笑う。ヒヒのうねりが響く中、一歩を踏み出した司の顔から笑みが消えることはなかった。
*
予備動作もなく襲ってくるヒヒだったが、司の目の前に壁でもあるのか、その攻撃は全て弾かれるようになっていた。鋭く長い爪は司の手前数センチで止まり、それ以上は進めない。
「断!」
司が叫ぶとヒヒが弾かれたように吹き飛んで壁にぶち当たる。だが朽ちてボロボロになった木の壁に何の変化もなかった。ヒヒは社の中を飛び回り、やがて仁王像の真上で動きを止めた。
「どうした?ビビったのか?」
司はニヤリとしながらヒヒを睨む。強大な霊圧と恐怖感を前になんという不敵さか。養成所時代には見せなかったその顔に弓華はぼーっとしてしまっていた。
「天使の羽が光ってる」
鈴がそう呟いた瞬間、司の右手がヒヒに突き出された。
「撃!」
途端にヒヒがギャっと鳴いて場所を移す。そのまま物凄いスピードで天井を駆けると司の真上から爪を振り下ろして落下してきた。思わず声を上げた弓華だが、司は棒立ちのままだ。その爪が見上げている司の瞳の数ミリ手前でピタリと止まる。
「撃!重ね!」
そのままそう言えば弾かれたようにヒヒは天井に舞い上がった。そのまま天井に押し留められたヒヒの胴体部分に何かの衝撃が無数に浴びせられていく。それが司の霊圧による弾丸だと気づいていたのは来武だけだった。そんな来武は汗を流しつつ片膝をついた。
「司・・・・俺の霊圧じゃ、もう術が・・・・」
「ったく、軟弱な」
ため息をついた司目掛けてヒヒの腕が伸びた。体は天井にありながら、である。
「断」
静かな声に怒りが混じっているのを弓華が感じる。ヒヒの腕はその付け根から消失し、そのまま復元される様子はなかった。
「20人の子供の怒りと悲しみと恐怖はこんなもんじゃないぜ」
笑みはもうなかった。あるのは怒りだ。ヒヒは大きく咆哮し、またも所狭しと社の中を跳ね回っていく。その度に術を施していく来武に苦痛の色が浮かんだ。防の術によって社から出られないとはいえ、相手の霊圧の方が上なだけに来武の霊圧が削られているのだ。
「断!」
今度は両足が消失し、ヒヒは落下してもんどりうった。
「なまじ体を霊圧で再生したのがあだになったな?」
そう言いながらヒヒの体を踏みつける。絶叫するヒヒはそのまま体を揺らして司の足に噛み付いた。
「司!」
「神手君っ!」
2人が同時に叫ぶが、司は薄く微笑んでいる。見ればヒヒの顔から白い煙のようなものが上がっているではないか。
「俺の霊圧を体の外に出してるからな・・・・俺の体自体がこいつにとっちゃ刃さ」
悪鬼の笑みを浮かべる司に弓華が怯える。だが来武は難しい顔をしていた。肉体の霊圧許容範囲を超えたその行為は司の肉体を霊圧が蝕んでいくことになりかねない。肉体が司の霊圧を制御できず、このままでは肉体が死ぬ可能性が高いのだ。そうなれば司は霊圧の塊、すなわち魂のみの存在となってしまうだろう。それは、死、だ。
「さぁ、恐怖の中で無に還れ」
司はヒヒを踏みしめる足に力を込めつつ祝詞を口にした。同時にヒヒの体が白いもやに変化し、絶叫が社を覆い尽くす。
「綺麗な、色・・・・・虹みたい」
閉じた目で司を見ている鈴の言葉に弓華が司を見つめるが、何の輝きもない。来武も霊力を総動員して司を見やるが、弓華と同じ結果でしかなかった。
「あいつの力の源は光天翼なのか?だが、じゃぁ、何故それを具現化できない?凛の存在とは何なんだ?」
いくつもの疑問が来武の中に浮かび上がるが答えなど出ない。過去2度発現した光天翼は司の意思を超えたところで発現している。特に2度目は司の死を目前にした攻撃の際に凛の絶叫と共にそれは姿を現していた。なのに今、鈴が見ている司の光は光天翼のもの。わけがわからず、来武はただ混乱するばかりだった。
「じゃぁな、お猿さん」
司がそう言い、キッとヒヒを睨んだ。
「絶っ!」
同時に今までにない絶叫が社はおろか山の中、村中に響いた。もやは霧散して消失し、その臭気や邪気までもが完全に消滅する。司は少し肩で息をしつつもにんまりした顔を鈴に向けた。その顔を見て安堵した弓華が鈴を抱きしめたままヘナヘナとその場に座り込む。来武も汗を拭いながらホッとした表情を見せた。
「よく頑張ったな。怖かっただろ?」
鈴の前に膝をついた司の言葉に、鈴は微笑んだ。
「信じてたから、怖かったけど、大丈夫だった」
その言葉に笑みを濃くした司がぽんと鈴の頭に手を置いた。温かいその手の温もりに鈴もにんまりと微笑む。
「目は村を浄化してから、な」
「うん」
微笑みあう2人を見て肩の力を抜いた弓華は神手司という男に惹かれている自分がいることに気づいていた。だが自分には彼氏がいるし、何よりこんな男を繋ぎとめておく勇気もなければ自信もない。司の彼女はよほどの天然かバカ、それか女神のような女性なのだろうと思った。
*
暗い山道を降りていた4人は大急ぎで駆け上がってくる村人たちを見てその足を止めた。手にくわやすき、刀を携えた村人は無事な姿の鈴を見て安堵した様子を見せた。司の背におぶさっている鈴は元気そうであり、皆が皆ホッとする中で人を掻き分けてやってきた五郎と響子がよろけながら石段を駆け上がる。司は鈴を下ろし、両親は鈴を力いっぱい抱きしめた。
「もう大丈夫、神様は消えたよ」
にんまり笑う司の言葉にどよめきが走る。見たところ3人にも怪我はないようだ。ほっとした顔の太助がゆっくりと、それでいて深々と頭を下げる。それを見た村人たちも戸惑いつつ頭を下げた。
「もう眠いんだ、どいてくれ」
そんな村人の行為など無視した司が石段を降りていく。しんがりを務めていた村長が深い礼をするのを見た司はその目の前で立ち止まった。
「鍵、開けておいてくれたんだね、ありがとう」
「あれぐらいしかできん自分が呪わしい」
「だね。残りの人生、ずっと悔やんで生きてよ」
真顔でそう言う司に村長はただ頷くだけだ。
「ちょっと!そんな言い方・・・」
「ええんじゃ・・・そうでもせんと、わしゃ、これまで生きてきた意味などない」
「でも・・・」
「ええんじゃよ、ありがとう、お嬢さん」
村長は微笑んでいた。悲しげであり、それでいてどこか誇らしげな笑みだった。
「明日は村の浄化をするから。生贄で死んだ女の子たちを成仏させてやる。あんたらはその恨みを受け止めればいい」
司は少しだけ振り返ってそう言うとさっさと山を降りていった。戸惑う村人たちを尻目に、来武もそれに続く。弓華はどこか釈然としないまま鈴たちを先に行かせてその後へ続くのだった。




