生贄の少女 その三
澱んだ空気の流れる朝だった。無数の浮遊霊の声や気配もあってほとんど寝られなかった来武と弓華と違い。司は大きないびきをかいて熟睡だ。隈の出来た目をこすりつつここまで霊に対して図太くなりたいと思う来武は洗面所へと向かった。
「おひゃようごじゃいまひゅー」
眠そうな顔で歯を磨いていた弓華の目にも隈が出来ていた。自分と同じかと苦笑し、来武も用意されている自分用の歯ブラシを手に取った。
「寝づらい夜でしたね」
「ひょーでひゅね・・・・・・もう、なんていうのかキモい、って感じで全然寝れなくて。一晩中彼氏と電話してました。おかげで彼も今日は大学休むそうです」
「彼氏さん、大学生なんだ?」
「1つ年上なんです」
「そう」
そのまま2人は並んで歯磨きをする。家の中まで澱む空気、霊気というか、こんなことは初めての経験だった。住結界など何の役にも立っていない。
「昨日は貴重なお話、ありがとうございました」
顔も洗い終えた弓華のすっぴんは充分綺麗なものだった。
「ああ、まぁ、ね」
苦笑混じりにそう言い、来武もまた顔を洗った。昨夜は対策会議の後で司のことや自分のことを話していたのだ。前世のことやこれまでの大きな戦いのことなどを。彼女は5つの家のことも知っており、かつては鳳凰院家の末端に当たる家系だったそうだ。現在は交流も完全に途絶えているが、古くは同じ血筋とあって現在神咲神社に修行に来ているクソ女こと鳳凰院あかりのことにも興味を示していた。そのあかりの自分への猛アタックのせいで彼女である蓬莱未来との仲がややこしいことになっていることまで司に暴露されている。ややこしいとは喧嘩ではなく、デキ婚でいいから結婚して来武へのアタックを止めさせようとしていることだ。今の未来がやたらベタベタしてくることも嬉しさ半分煩わしさ半分の状態だった。
「満月まであと2日、間に合うかな?」
「あいつがああ言うんだし、大丈夫だとは思うけどね」
タオルで顔を拭き終えた来武の言葉に弓華が微笑んでみせる。そんな弓華に片眉を上げた来武にますます笑みを濃くした。
「信頼してるんだなぁって、神手君のこと」
「前世の因縁で嫌われているけどね、それでもこういう面でのあいつは信頼できる」
「嫌ってませんよ。本当に嫌ってるなら、こうして一緒に行動しないし同じ部屋で寝ないです」
「そういうところも壊れてるんだろうけど」
「それでも、です」
微笑む弓華に苦笑しか返せず、来武は客間に戻った。まだ寝ている司を起こし、洗面所へと向かわせる。寝ぼけた状態のままタオルを片手にフラフラと出て行く司を見つつ布団を片付ける来武だった。そんな来武は客間の入り口に立っている鈴の姿に気づいた。微笑んで見せるが鈴には見えない。
「おはようございます」
「おはよう」
「司にーちゃんは?」
「歯磨きだよ」
「そっか」
微笑む鈴を見て、絶対に守ってやろうと思う。こんな子供を生贄にするなど許される行為ではない。村人にも神様とやらにも腹が立つ。
「らいちゃんは天使の羽、ないんだね?」
らいちゃんと呼ばれることに抵抗はない。司の影響でそう呼んでいることも知っているし、呼ぶことも許可していたからだ。
「そういえば、司には羽があるんだよね?」
「うん。綺麗な、すごく綺麗な羽だよ」
「金と銀と赤と青だったよね?」
「そう」
来武そこで初めて笑みを消した。鈴には見えないということでの表情だったが、どうにも腑に落ちない。彼女の目は霊障によるものだ。つまり、霊力によるものではない。なのに何故、鈴にだけ司に羽が見えるのだろうか。その羽はどう考えても光天翼だ。この宇宙には存在しない高次元のエネルギー体。確かに司にしか使えず、それは前世からの持ち物でもある。だが、司が保有していることがありえないのだ。そう、光天翼は司の恋人であり、前世での恋人でもあった桜園凛が保有しているはずだ。現に霊力のある者には凛が司を想うと光り輝いて見えている。司が使用しようとすれば凛が許可するような形でしか使用できないという制限まである。過去2回の使用のうち、1度目は前世の恋人である竜王院命が司に返却する形で使用し、2度目も命の危険にさらされた際に凛の絶叫と共にその姿を現している。しかも完全に使いこなした後でも司の意思を無視して消滅したほどだ。なのに鈴には光天翼が見えている。それはおかしいことなのだから。
「どういうことだ?」
小さくそう呟いた時、鈴の嬉しそうな声に我に返った。
「おにーちゃん、おはよう!」
「おはよう。よく寝られた?」
「うん!」
「そっか」
そのまま2人は話をしつつ居間へと向かう。そんな様子を見つつ布団を片付けた来武は霊力を最大にして司を見たが、やはり光天翼を見ることはできないのだった。
*
司の要請で五郎が用意したのは藁でできた大きめの敷物だった。それも3枚。司はそれを見て満足そうに笑うと来武と協力して庭先に穴を掘り始めた。生贄が逃げないように監視するためか、数人の村人が覗き込んでいるが気にしない。2メートルほど掘った頃には2人とも汗だくだった。手伝おうとした五郎を制したのは霊圧が必要だからだ。全員に何の説明もなしに作業を始めた司だったが、来武には理解できている。これは古来より伝わるものだからだ。
「よし」
司はそう言うと両手の数珠を外して左手を藁に置いた。その手首に右手を添えること5分、その藁の敷物を穴に入れた。それを3つとも繰り返し、今度は掘った土を被せていく。綺麗に元通りにした後、再度左手を地面に添えて3分ほど、これでようやく全ての作業が完了したのだった。汗だくの2人が風呂へと向かう中、じっと地面を見つめていた五郎が太助に気づいた。じっと自分を見つめる太助の苦しそうな顔を見た五郎だが、そこには何の感情もない。怒りももうなかった。
「どうした?」
「あ、いや・・・・」
ばつの悪そうな太助を見た五郎はさっさと背を向ける。ますます苦しそうな顔をする太助は顔を伏せるしかできなかった。
「暑いだろ、茶でも飲んでけ」
背中を向けたままそう言う五郎がさっさと玄関に向かう。太助は顔を上げると一礼し、それからその後に続いた。五郎に促されて玄関に上がった五郎はここに上がるのも半年振りだと思う。生贄のことが村の会合で話されて以来疎遠になっていたが、それまでは家族ぐるみで付き合っていた仲だ。途端にこみ上げてくるものがある太助はそのまま玄関で土下座をしていた。
「すまんかった!俺は・・・・・・俺は・・・・・・自分の家には息子がいるからって安心してた。お前の家の鈴ちゃんが、お前らだけが我慢してくれればって自分のことしか考えていなかった」
涙を流し、顔を廊下にこすりつけている。困った顔をするしかない五郎は声を聞きつけてやってきた響子と顔を見合わせた。
「怖かったんだ・・・子供の頃、アレを見て・・・・だから」
「見たって・・・お前も?」
その言葉で顔をあげ、太助は小さく頷いた。
「あの夜、お前たちの行動が怪しかったんで後をつけた・・・・・だから・・・」
「そうだったのか」
「怖くて怖くて・・・・・アレが俺や家族を殺しに来ると思うと怖くて・・・だから・・・」
太助はぎゅっと拳を握りしめ、顔を伏せた。そんな太助の前に膝を着き、五郎が軽く肩をぽんと叩いた。
「俺も怖い。でも、娘を失う怖さに比べたら平気だ」
そう言いながら響子を見れば、かすかに微笑んでいた。そんな2人の顔を見た太助は苦痛に顔を歪ませる。恐怖に負けて人間としておかしくなっていた自分を責めているのだろう。
「もう覚悟は決めた。俺は神殺しを手伝う」
太助の決意に満ちた目は本物だった。嬉しくもあるし、困りもする、そんな目だった。
「神を殺すのは俺だから、何もしないでいいよ」
そう言って鈴の手を引きながら司が姿を現す。昨日同様、薄ら笑いを浮かべた状態で。
「お前・・・鈴ちゃんも・・・」
「太助おじちゃん、こんにちは」
「鈴ちゃん・・・・絶対に死なせないから・・・」
「死なないよ」
鈴は笑っている。つい先日押しかけてきたときは恐怖に顔をゆがめていたのに、どういう心境の変化だろうかと司を見やる。この青年のおかげかと思うが、それを否定している自分もいた。
「だって、司にーちゃんが助けてくれるから」
「けど、こいつが・・・・」
「天使だもん、ね?」
鈴は目を閉じたまま顔を司に向けた。司はにんまりと微笑み、それから太助を見やった。
「まぁ、そういうことだからさ」
笑みを濃くしてそう言うと居間へと入っていく。そんな司と鈴を呆然と見つめる太助に対して片膝をついた五郎が優しく微笑みかけた。
「鈴は彼を信じた。だから俺たちも彼を信じる」
「けど、あいつは信用できるのか?本当に神を殺せる人間なのか?」
「さぁ、な。でも、鈴は彼を信用し、天使だと言う。それに、彼にならできそうな気がする」
五郎はそう言って響子と視線を交わす。響子もまた微笑みながら頷いて見せた。根拠などない。だがそれでも娘が心から信頼している人間だから信じたいと思う。
「お前の気持ちも分かってた。村に縛られているのもまた同じだ。娘ができた時点でさっさと村を出るべきだったんだ。親を捨ててでも、な」
「健介のように、か?」
「健介が彼らを寄こしたんだよ」
その言葉に驚きしか出てこない太助は呆然としているばかりだ。そんな太助を見た五郎は微笑むと太助を居間へと連れて行くのだった。




