生贄の少女 その一
真夏の日差しが容赦なく照りつけるが、簡素なバス停にある屋根のおかげで直射日光は避けられていた。それでも目の前の砂利道はカラカラに渇き、ゆらめく景色が猛暑をアピールしていた。冷房の効いていたバスを降りたせいで、汗が一気に滝のように流れて落ちる。一旦、大きな犬小屋のごとき形状のバス停内にある木のベンチに荷物を置いた男はポケットからハンカチを取り出すと汗を拭った。
「なんでこう、行く先行く先田舎ばっかなんだよ・・・」
不満げなその声に目だけを横に向けた。ペットボトルのお茶を飲みつつうんざりした顔をしたその声の主を見て軽く微笑む。
「田舎の古い風習は霊的なものに起源することが多いからな」
「なら、こっちで勝手にしろよ」
悪態をつくその男は長めの前髪をかき上げて手で汗を拭った。その右手にはめられた金色の数珠が眩しく見える。そんな男から正面に広がる田畑へと目を戻しつつハンカチをしまうのは未生来武。東京郊外にある神咲町に住む大学生だ。そしてベンチにもたれかかって死にそうな顔をしているその男もまた同じ。ただ、神社の跡取りで宮司でもあるその男の名は神手司。日本、いや、世界でも最強と名高い、霊を滅ぼせる能力者だ。
「クソ女に来させれば良かったんだよ」
そのクソ女が誰か分かる来武は苦笑し、それからベンチに置いていたバッグを背負った。正面の道をこちらに向かってやってくる車を見たからだ。司もまたそれを見ているが動く気はないらしい。
「彼女じゃ、これだけ濃い霊圧に対応できないだろう?」
「でしゃばりのクソ女にはお似合いだし、ちったぁ怖い目に遭えばいいんだって」
心底嫌そうにそう言い、司もまた立ち上がる。怖い目に遭うだけならいいが村はどうなると思う来武に対して、小さめのバッグを肩に担いで再度額の汗を拭った。正面からやってきた軽自動車はゆっくりと停車し、運転席の窓から女性が顔を覗かせて軽く会釈をしてみせる。
「挨拶は後、乗って」
何か切羽詰っている様子を見せた女性に頷き、来武はすぐに後部座席に乗り込んだ。続いて司が気だるそうに助手席に乗り込んで座る。そんな司を見た女性は少し微笑み、それから車をUターンさせた。
「久しぶりね神手君。元気そうだし、変わらないね」
「人間そうそう変わるもんかよ」
その台詞に笑みを濃くした女性、弓華はミラー越しに後ろに座る来武を見やった。
「こんな自己紹介でごめんなさい。私は武井弓華。ここから100キロほど離れた街にある神社の娘です」
「お気遣いなく。自分は未生来武。神手の助手、みたいな者です」
「あんた助手なんかいるんだ?しかもこんな爽やかイケメンの」
「インテリなだけだよ」
素っ気無いその言い方に首を傾げる弓華が来武を見れば、来武もまた苦笑していた。どうやら微妙な関係があると見抜き、弓華はそれ以上の詮索をやめた。
「依頼の内容はわかってるわよね?」
「まぁ、一応」
「一応、ねぇ・・・あんたのことだからまぁ、適当なんでしょう」
弓華はそう言うと鼻でため息をつく。そんな弓華を見た来武は司のことをよく理解している弓華に好感を得ていた。
「この村にある悪しき風習を断ち切って欲しい、それが今回の依頼よ」
「今時生贄なんぞ・・・バカなのか?」
「そう言うな。そうやってずっとこの村は平穏を保ってきた。外部に漏れないようにし、漏れても上手く隠蔽してきた。都市伝説としてネットなどに上がっているが、所詮は伝説、というわけだ」
ちゃんと下調べをして来た来武の言葉に感心しつつ、弓華も頷いた。
「私も半信半疑で来たの。まぁ、あまりに濃い霊気に少し戸惑ったけど、それでも伝説は伝説だって思ってた。さっきまでは、ね」
「あれ、か」
司はそう言い、ため息をつく。身を乗り出して前を見た来武もまた怪訝な顔をするしかないのだった。
「そう・・・気分が悪くなる話よ」
*
見た限りどの家も田舎特有の大きさを持っていた。日本家屋の伝統がここにある、そんな風に思えるものばかりだ。庭も広く、一軒一軒の間隔も広い。そんな中、1つの家の玄関先の庭に大勢の人間が押し寄せていた。しかも皆どこか殺気立っているのがわかる。弓華は少し離れた場所に車を止めると困った顔をしつつ立ちすくむしかなかった。さっきよりも酷い怒声に怒号、非難する声に汚い罵るような言葉が飛び交っていた。中にはくわなどを手に振り回している老人までいる始末だ。来武も呆気にとられる中、外に出た司は額の汗を拭いつつ鞄を背負うとその集団の方へと無造作に歩き出した。
「ちょっ!神手君?」
弓華の声にも足は止まらず、司は集団の後ろに立つと自分に気づかない連中を無視してパンと1つ軽く両手の平を叩いて見せた。その瞬間、声がピタリと止んだのはどういう魔法か。全員が司を見つめる中、司はにんまりと笑うと歩を進めた。まるで壁が2つに分かれるようにして道が開け、そのまま司は家の玄関先へと進んでいった。不思議なことだが、さっきの拍手はここにいる全員の耳に届いていた。正確には頭の芯に直接届いた、そんな音だった。司が玄関先に来たところで屈強な男がその前に立ちはだかる。殺気のこもった目で司を見やるその男はヒゲ面に筋肉質といったプロレスラーのような体つきで腕組みをしていた。
「なんなんだ、お前は?」
「呼ばれて来たもんだよ」
「誰に?」
「んんー・・・・・しいて言うなら、この村で死んだ無念の魂たちに、かな?」
その言葉にざわめきが広がったが、男は片眉を上げただけでますます怒りをあらわにした。
「どういう意味だ?」
「そこいらを飛んでる魂が俺にあれこれ訴えてくる・・・・うるさいほどにね」
「だから!なんなんだ?」
「あんたの先祖も亡くなってるよね?生贄でさ」
その言葉に驚きつつ、男は司の胸倉を掴み上げた。だが司は涼しい顔をしている。
「あんたの3代前の女の子が言ってる・・・もう私みたいな人は作らないで欲しいって」
その言葉に男は強く握った拳を振り上げた。そしてそれが振り下ろされる直前、大きな声が周囲に響き渡ったために男の手は急激に制動をかけることになった。
「やめいっ!」
発した声は良く通り、そして大きくはっきりしていた。だがそれを発したのはかなり高齢と思えるおじいさんだ。司はその老人を見ずににんまりと微笑み、ポンポンと男の腕を軽く叩く。離せということだろう。
「離しなさい」
司の行動と同時に老人にそう言われ、男は渋々ながら司を解放した。司がTシャツの襟元を直していると弓華と来武がやって来る。同時にさっきの老人も司の前にやって来た。
「あんたはこの村を救う神様か?それとも災厄を運んでくる鬼か?」
老人はじっと司を見つめつつそう尋ねる。弓華と顔を見合わせる来武をよそに、司は軽く微笑んで老人の目を見つめた。
「救うために来た鬼、かな」
「まさに鬼神よな」
老人は汗を流してそうつぶやく。その汗は暑さから来るものか、それとも別の要因のせいか。老人の目に映る司は冴えない青年だ。なのにその全身を包む神々しいまでのオーラは無数の剣を思わせるほどに鋭い。
「どうやって救うってんだ?」
さっきの男が腕組みをしたまま司を睨んだ。そう、救うことなど不可能だ。だからこうしてみんながここに集まっているのだから。
「んー・・・まだ何にも。良く知らないで来てるしね」
その言葉に男のこめかみに巨大な青筋が浮き上がる。だが老人の鋭い眼光の前にそれも少しだけ細くなった。
「この村には20年に1度、神様に選ばれた純粋な乙女を差し出す風習がある。そうして村は平穏を保ち、作物の豊穣と命を保ってきたんだ」
「・・・・・今度は20年に1度、ね」
苦笑混じりにそう言う司に青筋を元の大きさにした男だが、すっと上がった老人の腕のせいか何もせずにただ司だけを睨んでいた。
「神様は乙女を嫁にし、20年の平穏を約束する」
「捧げなかったら、どうなるんです?」
横槍を入れた来武もまた男に睨まれて少したじろぐが、老人のせいか何も言ってくることはなかった。老人は来武を見て少し目を細めたが、そのまま話の続きを始める。
「田畑は荒らされ、無差別に村人が死ぬ。60年前に生贄を守ろうとその一族が立ち上がったが皆殺され、村は壊滅に等しいことになった」
「でも壊滅していない」
司の言葉に老人が目を動かす。司は何度も額の汗を拭い、それから空を仰ぐような仕草を取った。夏の青空がそこに広がっている。だが、綺麗ではない薄い青に見える。雲も白いが、どことなく灰色がかっているようにも思えた。
「壊滅されると生贄が来ないからね」
「そう、じゃな」
「その神様って何者?」
「伝承にしかないが、白い服を着た巨大なる者、らしい」
「生贄をあげると村は平和だけど、これといった見返りはないわけ?」
司はそう言うと両手にはめた金と銀の数珠を外す。それ見た老人ははっきりと驚きの表情を浮かべ、司の一挙一動から目を離せない状態になっていた。
「乱」
静かにそう言った瞬間、澱んでいたものが晴れていく。空の色は濃くなり、空気もまた清浄なものへと変化した。集まっていた村人が感じていた昔ながらの不快感すら消し飛んだほどだ。
「あんた・・・・まさか・・・・」
「で、見返りは?20年間、悪いことは起きないとか」
「いや、普通じゃ。不作の年もある」
「得してるのは神様、いや、神様に成りすましている邪鬼だけ、なわけね」
神様ではないとはっきり言いきった司に動揺する村人だったが、さっきの男だけは違っていた。
「成りすます?アレが何なのか知りもしないで!俺は、俺はなっ!」
「よさんか、太助」
「しかし、じいちゃん」
「このお方こそ神様じゃ・・・・」
「はぁ!?」
太助はすっとんきょうな声を上げて司を見つめる。司は数珠をはめ、それからにんまりと微笑んだ。
「神様じゃないよ、悪魔だ」
「で、その悪魔様が神様を滅ぼしに?」
「まぁ、そうなるね」
「だが、生贄を出さんと村が滅ぶ!」
太助の言葉に多くの村人が頷いた。60年前の惨劇を知らない者まで頷くの見た来武は怪訝な顔をするが、弓華は困った顔をしつつ周囲を窺うしかできないでいた。生贄を要求する神様の存在は深く根付く伝承なのか、それとも20年に一度以外にも何か災厄を呼んでいるのか。考え込む来武は戸が開く音に顔を上げ、同時に村人にざわつきが戻った。司がゆっくりと背後を見れば、そこには村人を睨む優男の姿がある。睨むその男に対し、太助が司を押しのけて正面に立った。
「五郎・・・お前、正気か?」
「あたりまえだ!自分の娘を死ぬと分かっていて差し出すバカがいるか!」
「みんな代々そうしてきた!」
「俺が終わりにしてやる!」
「勝てるわけないだろう!現に、鈴は・・・それに忘れたわけではないだろう?杏がどうなったのか・・・」
その言葉に五郎は黙り込む。村人の中にも暗い空気が流れていった。
「生贄がなければ村は終わりじゃ」
「みんな死ぬんじゃぞ?」
「お前たちが我慢すればすむんじゃ!」
村人がそう言い、そうだそうだと声があがる。五郎はそんな村人を睨み、太助は苦々しい顔をしてみせた。老人はうつむき、司が大きな声で笑った。
「何がおかしい?」
五郎がそう言って睨み、太助もまた悪鬼の顔で司を見やる。司はひとしきり笑うと村人たちの方へと体を向けた。本気で笑っていたようで目には涙が溜まっている。
「どうせみんな死ぬってんのなら、死ぬ気で神様に立ち向かわないんだ?そりゃ誰でも死ぬのは嫌だよな?でも、他人の命は別にいい。これぞ人間だね、あー、面白い」
「何が!」
太助がまたも司の胸倉を掴んで持ち上げる。苦しげな顔をしつつ、それでも口元には笑みが浮かんでいた。
「風習を断ち切れないんじゃない、断ち切る気がないんだ。女の子1人の命でみんな助かる。そうだよな、みんな大人だもんな、自分に害はないんだからさ」
そう言った瞬間、司の表情に怒りが浮かんだ。来武はこんな司を見るのが初めてなせいか驚き、弓華もまた同様を隠せない。神手司はいつでも嫌なくらい平然とし、笑っている。宮司養成所で一緒だった2年間、ずっとそうだった。一度とんでもない危険な目に遭った時ですら平然とし、その危険を作った人間を咎めることをしなかったほどだ。自分を含めた数人はその人に怒り心頭で詰め寄ったのに、だ。そんな司が怒りを全面に出している、それは貴重であり、そして異常なことだった。
「1人の子供の命でみんなは平穏だ。ずっとそうしてきた。なら、俺がその神様を倒したら俺の言う事は何でも聞いてもらうぞ。俺がお前らに死ねと命じてやる!絶対にさせてやるからな!」
その言葉に村人は皆息を飲んだ。神様を殺せるはずなどない、そう思うが恐怖も湧いてくる。神様に対する恐怖ではない、目の前の青年に対する恐怖だ。太助はごくりと唾を飲んで司を解放し、2、3歩下がった。五郎も呆然とし、老人は小さく微笑む。
「行こう、皆の衆・・・この人は悪魔だ・・・・・・」
老人はそう言うと太助の腕をぽんと叩き、家の庭から出て行く。村人たちは司たちを睨みつつ、それでも何も言わずに老人に続いて出て行った。静寂が戻る中、司は汗を拭うと五郎へと顔を向ける。驚きと恐怖を顔に出した五郎ににんまりと笑う司にさっきまでの様子は微塵もなかった。
「あんたらも帰ってくれ・・・」
「話を聞きたいのですけど。私は武井弓華といいます。あたなの幼馴染だった仁藤健介さんの依頼で来ました」
「健介?」
その名を聞いた五郎の顔に動揺が浮かんだ。そんな五郎の後ろに10歳ぐらいの女の子が姿を見せる。両目を閉じ、手探りな状態で五郎の横に立つと不思議そうな顔をしているのが分かる。
「中に入っていなさい」
「でも・・・」
「お前は俺が守る。誰にも手出しはさせない」
「でも、この人、天使だよ?」
女の子は閉じたままの目で司を見つめている。弓華は女の子と司とを交互に見やり、来武はこの子もまた特殊な能力を持つ者なのかと推測する。そう、裏出雲にいる日本古来より存在する霊的な家系である神地王家、その当主である神地王遮那のように。
「天使?」
「すごく綺麗な羽が見える・・・・金と銀と、赤と青の・・・・天使だよ、お父さん」
その言葉に司と来武は驚いた顔を見合わせた。少女が見ているものの正体に気づいたが、それはありえない。そう、あるはずのないものなのだから。
「天使かどうかはわかんねーけど、君を救いに来た人間だよ」
司は微笑みながらそう言い、少女もまた微笑む。五郎は困惑しつつも娘の手を取り、それからもう一度まじまじと司を見やるのだった。




