9.Regret to the shadow of the mind
判ってても違和感が付きまとう。本当に……
「開いてるよ」
ドアが再び鳴り、気のせいではない事を確かめると少しばかり声を張って入室を促した。
「失礼します、久遠さん」
開かれたドアの向こうに立っていた男の姿に朧は些か驚き、それから罰が悪そうに笑って見せた。
「テドさん、どうしたの? 他の連中なら今しがた帰ったばっかりだけど?」
自警団の仕事自体はイルド達がいなくても他の団員達がいれば補えるが、サバスの仕事を補えるとすれば副団長の彼以外にはいないはず。
「途中で会いましたよ。俺はクロウ団長の代わりにお見舞いですよ」
証拠と言いたげに殺風景な病室に飾る色鮮やかな花をサイドテーブルの上に置くと、慣れた手つきで花瓶を探し当てそれに水を入れ花の長さを揃え飾った。
「心配、掛けたよね……?」
先の一件ともあり朧はテドの表情を窺うように訊ねた。
「まあ……ですが、貴方が守護者である以上は避けては通れない道でもありますし、そのくらいの怪我ですんだのだから良いんじゃないですか?」
「そう言ってくれるのはテドさんくらいか」
「ある意味で割り切っていないと、心配する側の身は持たないですよ」
小さく笑ったテドに朧は寝たままになるのは悪いと思い、必死に自力で起き上がろうとしていたが結局は彼の手を借りて起き上がった。
「ところで、さっきシオンさんたちから聞いたんだけど、サバスの旦那も襲われたって……怪我は無いって言ってたけど、ホント?」
「ええ。幸いといいますか、巡回に出てた守護者の手を借りられたそうです。些か足は重たいですがこの後は協会に顔出しですよ」
「そっか……テドさんって、何気に協会嫌いだよね」
「色々苦労させられましたから。でも、久遠さんたちのお陰で多少は克服できそうですよ。仕事に支障は出さない程度ですがね」
「ははは、お役所仕事ですからねぇ。これ以上、迷惑かけないように頑張りますわ〜」
彼の言葉に朧は安心したように呟き、テーブルの脇に置かれていた少しいびつな形を浮き上がらせた革のカバンに目を留めた。
「ああ、忘れるところでした。退屈凌ぎに、とクロウ団長からです」
朧の視線に気が付いたようにカバンを開け大きめの紙袋を手渡した。受け取ると予想より重たく一瞬、落としそうになったが両足の上において袋を開けた。
中身はグラビア満載の男性向け雑誌だ。
「流石、サバスの旦那……」
「……なるほど、帰りが遅かった理由はこれでしたか」
買いに行ったときの状況を思い浮かべたのか二人は殆ど同時に呆れたように呟き、忍び笑いを漏らした。
「まあ、個人的には嬉しいけどね」
「そう伝えておきますよ。何か他に欲しい物があれば買ってきましょうか?」
「あー……いいよ。それより変わった事とか無かった?」
寝ていた間に起きた事件の詳細を知りたかったが、何処から聞きつけたのか来訪者が続きその人々の姿を見たテドはわざとらしく時計を見て仕事へと戻ってしまったため、朧は聞きたかったことを聞けずに終わったことに内心で溜息をついた。
しかし、折角見舞いに来てくれた人たちの心遣いを無下にも出来ず、短く快気を願う言葉とともに置かれていく果物や花があっという間に狭い個室を色鮮やかに染めていた。
そして客の全てがいなくなった頃を見計らったように相棒が顔を覗かせた。
いつもなら、直ぐに何かしらの情報を持ってきたと話しはじめるセオだが、今回ばかりは言葉もなくベッドの脇においてある見舞い客用の小さな椅子に座り黙したまま窓の外を眺めていた。
朧はその沈黙を無視するように雑誌に目を落としていたが、ページが捲られる速度は酷くゆっくりしたものだ。
ただ、姿を盗み見た限りでは絆創膏が幾つか貼られ左手にも包帯が巻かれてはいたが、傷の具合は酷くはなさそうだった。
続く沈黙は重たいままで窓の外から聞こえる僅かな人々の声と風の音だけが部屋を支配していたが、先に根を上げたのは朧だった。
雑誌を乱暴に閉じて、セオに向かい投げつけた。
「お前のだんまりほど、面倒なものは無いな」
どこか憎々しげに「折角の気分が台無しだ……」と零しながらベッドの中に戻り布団を頭から被り、セオは投げつけられた雑誌をぱらぱらと捲ったが直ぐに閉じてしまった。
「……なんで、直ぐに呼ばなかったんだよ」
「そんな余裕無かっただけだ」
深い溜息をつきながらセオは雑誌をサイドテーブルの上に置き、諌められた言葉に朧はただ棘を含ませた返事しか返せなかった。
「そうだとしてもだ、軽率だと思わなかったのか? 一体だけだったから良かったようなものの、他にいたらどうする気だったんだ?」
「どうもこうも無いよ。こうして生きてるんだからいいじゃないか」
背中を見せたままの相棒に、セオは言葉をどう繋げるかを迷っていた。
シオンから連絡を受けたとき傍にいなかった事を後悔した。そして、同時に苛立つものが確かにあった。
「……それとも、くだらないことに力を使うな。他を頼るなら自分を頼れ……か?」
朧はそんな彼の気持ちを知る由もなく、吐き出してしまえばあとは堰を切ったように厭な感情が湧き上がり言うつもりも無かった言葉が飛び出していた。
「ああ、それとも……化け物は監視の目の届くところに居ろってか?」
背中を向けたまま暗く笑い、両手で己の肩を抱いていた。指先に触れた爛れた痕に爪を立て強く噛みしめ、その痛みで意識が過去へ戻ろうとするのを引き止めていた。
「朧っ! 今の言葉は聞かなかったことにする。けど、あんな無茶やらかしたって知って怒るのは当たり前だろ!」
「確かにカイトには悪い事したよ……なら、向こうとはもう関わらない。事件に巻き込まれないようにして、お前の側で大人しくしてれば満足か?」
「そんな事は言って無い。ただ、心配させるなって言ってるだけだろ」
「心配なのは、わたしじゃないだろ……」
吐き捨てられた言葉に、セオはただ溜息を付くしかなかった。
「どうしたんだよ、お前らしくも無い」
言われた言葉通り、朧自身も同じ事を考えていた。いつもならもっと上手く受け流していたはずなのに、妙にセオの言葉に苛立っていた。
「そうだな……らしくないな。けど、心配するだけ無駄だ」
「あのな、そういう意味で言ったわけじゃないくらい解るだろ?」
「……解りたくも無い」
「朧、いい加減にしろよ!」
毛布越しに肩を掴み振り返らせようとしたがビクッと大きく体を震わせ、手を振り解かれてしまった。体に走る痛みに跳ねたとは違う明らかな拒絶にセオは、視線を合わせることを諦めた。
「お前を怯えさせたいわけでも、喧嘩をしに来たわけでもない。ただ、お前の無事を確かめに来ただけだ……」
後悔が滲む表情のセオを見ることなく、朧はまた深くベッドの中へと潜り込んでいた。
「また来る」
静かに扉が閉まり遠くなっていく足音が消え、たっぷりと時間を空けてから朧はベッドの中から顔を出し、誰かが忘れていったか置いていったか分からない小さな鏡を覗き込んだ。
自分の瞳が荒んだ色になっていたことは予想通りで、無理やり口端を指で押し上げ笑顔を何度も作った。
「――――完全な、八つ当たりだったな……」
ぎこちない笑みを鏡に映したまま、ただ小さく呟いていた。
隣に立っているようで、全然なんだな……