45.黎明纏うシ者
勝手に決めた覚悟だけど、それでも最後まで貫く!
――もう、怖い思いをしなくていいんだよ。これからは僕が側に居るから。
――人の道から外れたなんて言うけれど、永久に等しく抱けることは幸せなんだよ?
――誰にも内緒。言えば、二度と側にはいられないからね。
――ずっと、ここに閉じ込められていたのね。逃げなさい、あの人の手の届かないところへ。
――何やら訳あり、と云うやつか。ならば私と共に海を渡るか?
溟い霧の中を彷徨うような焦燥感と喪失感が苛む中に居ながらも慣れてしまったような諦めの溜息しか吐けなかった。
あぁ、失敗したな。でも無事……だよな? あいつが側に居るし、ちょっとやそっとじゃ死ぬ事はないだろうけど。
もう一度だけ深く息を吐き出し、後悔するように一度空を向いた。
重厚な闇に白い霧が不安を煽るように流れて行くのをしばらくの間見届け、胸に響いた痛みに自嘲気味に笑い右手でその痛みの元を包むように手を当て瞳を閉じた。
覚悟はしてた。たとえ、何と云われようと此れが自分の軌だ。
「大事な家族なんだ。だからボクは生きたい! みんなと一緒に生きたい! ただ、それだけだっ!」
涙に濡れながら何処までも強く願い叫んだ声が耳朶を打ち、思わず先程と同じように小さく笑った。
「よく言ったな、エリク」
自然と言葉を零しながら瓦礫に手を突き立ち上がり、ようやく雨に気が付いたように一度だけ空を見上げた。
黒髪に付いた血泥が雨粒に洗い流され一呼吸の合間、頬を打つ雫を気持ちよさそうに受けていたが二度三度と頭を振って意識をはっきりさせると、今度は自らの意思を持って悪戯を思いついたような笑みを浮かべて見せた。
冷たい紫水晶のような光を浮かべた瞳は、ただ真直ぐに眼前の敵だけを見据えていた。
「 っ、え……あ……」
突然のことで上手く言葉にならない少年は、場違いながらに顔を思わず朱に染めて彼女から視線をそらせた。
確かにブラックボアホンの豪腕に貫かれた痕を物語るグレーのインナーの間からは普段露出されない白い肌が晒されいた。そして雨に濡れて布切れと化した服がピタリと細い体の線を浮かび上がらせ胸元のふくらみを初めて強調していた。
「朧……っすよね」
「焼き潰された、印……」
呟かれたカイトとアーヴァンの声に、朧はようやく服の肩口がなくなっていた事に気がつき僅かに爪を立てるように左肩の焼き痕に手を触れた。
小さく凹凸を感じる自分の肩の少し下には色濃く何かの羽根を模した様な焼印がくっきりと浮かび上がっていた。
「こういう反応は予想外だなぁ」
今までと変わらぬ男然とした声色は変わらずだったが、少しだけ嬉しそうに笑ってからラゼルのほうへとゆっくりと視線を向けなおした。
眼窩の奥には明らかに驚愕と恐怖が織り交ぜられた混沌とした色が浮かび上がり、じりじりと後ろへと下がっていた。
「貴様……確かに、死んだはずでは」
「残念だけど『死ねない』んだよ……第一あんたが言っただろ? 自分のことを烙印の不死者って。大正解だよ」
いくらか吐き捨てるように答えながら、宵明けの色を湛えた紫電を纏う剣を握りなおした。
「な、何故だ!」
「契約の代償みたいなもんさ。だから、殺される前に逃げ出したんだ」
ワザと肩を竦めながらエリクへ視線を投げると、予想したように一瞬だけビクリと肩を震わせたのが見え朧はやっぱりな、と小さく胸中で呟いていた。
「まあ。アルゲスに命を預けてる以上……自分を殺せるとしたらセオくらいだけど」
狼狽するラゼルに淡々と答えながら朧は総ての意識を眼前の敵へ向けなおし、雨に濡れ滑りそうになった剣を握りなおした。
轟く雷が近づように一歩ずつ確実に間合いを詰めて行くと、ラゼルは風船がはじけたように逃げ出した。
「往生際が悪いのは相棒だけで十分間に合ってるんでね」
朧に気を取られ過ぎていたせいかセオの接近に気が付かなかったラゼルは再び捕らえられ、側にあった杖は思い切りカイトたちのいるほうへと投げ飛ばされていた。
「は、放せ。放さんかっ!」
いまだに足掻くラゼルを尻目に、朧は口の中にこびり付いていた血を吐き出し静かに言葉を紡ぎはじめた。
契約の名の下に
「貴様らはどうかしている! 何故、あんな化け物と共にいられる!」
金切り声を上げ暴れるラゼルには答えず、セオはただ真直ぐに紫電の光に包まれていく相棒へと視線を向けていた。
凡てを屠る暴悪なる光を
一閃の下に――――
意識が戻ったイルドの悲鳴にアーヴァンとカイトの二人は振り返り、予想通り戦う意思を見せた同僚を制止した。
「なんで、止める」
「動くほうが、足手纏いになりまいすよ」
「動くほうが邪魔になるっす」
二人に同時に言われイルドは始めて異変を感じ取り、手を借りて体を起こし目の前に広がる光景に異変の理由に気がつきそのまま固唾を飲んで事の成り行きを見守るしか出来なかった。
我が魂を糧に現世に導かん
我に害為す愚者に裁きを
ブラックボアホンはその巨躯を小刻みに震えさせながら動けず、初めて遭った夜を思い出していた。
あの時、おどける様に己より弱い相棒を囮にさせていた者なのか?
死を与えられると思った瞬間、凍て付くような殺気とともに斬り返された一撃。
殺したと思った今もなお立ち上がり、冷たい瞳でこちらを捉えて離さない。
全てが異質な気配を放つ朧に対し、ブラックボアホンは溢れる光の粒子一つ一つに体を押さえつけられるように一歩も身動きが出来ず、喉の奥でかすれるように威嚇を続けることしか出来なかった。
自分の分身たちが燃え尽きるときに流れ込んできた記憶、逃げ出したいと叫ぶ本能その全てが無意味だと理解させられていた。
短くも謳う旋律は剣に湛えられる淡い光と同じように静かだが激しい力を秘め、酷く痺れるような痛い感覚が辺りを支配していた。
「朧さん……っうわ!」
未だに混乱していた少年は空を走った一際大きな雷轟に思わず両耳を塞いで俯いた。
「貴様っ、儂のエリクまで巻き込む気か!」
ラゼルの叫ぶ通りブラックボアホンのすぐ側にしゃがんだままのエリクは、緊張の糸が切れたのか立ち上がることが出来ず地面にぺたりと座ってしまっていた。
だがそれでも彼女の周りに集まる光は輝く強さを増し、アルゲスの形を大きくしながら一つの光の柱を描いていた。
「その大事な孫を、実験動物みたいに扱ったのは誰だよ! 生きたいと願った家族を殺そうと、殺したのは誰だよ!」
黎明の輝きを閃かせ
闇を斬り裂く裁きとなれ――――
最後の一律を謳い終わると同時に駆け出した朧から光が空へ立ち上がり、暗雲を切り裂き落ちた雷をアルゲスで受け止め振り抜いた。
「雷轟燼滅っ、破――――」