44.少年、地に立ち叫び上げよ
嫌なことからは目を逸らせば良かった、でも解決にはならない。
「ヴィナード博士、多少手荒にいきますよっ」
「ひっ!」
いつの間にかラゼルの懐に入り込んでいたセオは、アルテミスを振るい杖を弾き飛ばし、もう片手に握っていた封印の銀鎖で骨張った腕をからめ取った。
「二人ともエリクを頼む!」
「お、おうっす!」
流れるような早業にカイトとアーヴァンは一瞬反応が遅れたが、応えようと二人はそれぞれ別の方向へと分かれて走り出した。
封印の銀鎖により全身の力が入らなくなったラゼルは今だ抵抗しようと、暴れたが魔法さえ封じてしまえばただの老人。セオは後ろ手に鎖を巻きつけ、力尽くにラゼルの体を後ろへ引っ張った。
「やっぱ、あの杖に魔法を仕込んでたんだな」
ラゼルほどの力を持つものなら、脱出に全魔力を集約させれば細い銀鎖など簡単に壊されると思っていたが、幾度と命令と攻撃に杖を使っていた。それに気が付いた時点で、彼は杖だけを弾くことを選んだ。
カイトは黒い獣の前に躍り出ると、エリクを抱える腕の肘先へ骨に沿うように真横から拳を叩きつけた。鈍い音とともに抱える腕の力が抜け、いきなり支えをなくしたエリクは落とし穴にでも落ちるように真直ぐに地面に落ちた。
「エリク!」
叫び駆け寄ったアーヴァンの元にエリクは痛む体を必死に動かした。
「エリクを渡すな! 渡してはならんっ!」
「まるでガキっすね!」
主の言葉に応じ、ブラックボアホンはその手を伸ばすがカイトが阻止するようにその喉元に、飛び蹴りを叩き込み上体を逸らせた。
しかし、それだけでは崩れず咄嗟にアーヴァンがエリクの手を引き、勢いで後ろに放り投げるように手を放した。同時に投げ出されたエリクは体制も整えられず地面へ落ちそうだったがどうにか瓦礫を蹴り距離を稼ごうとした。
数十歩と走ったが雨と瓦礫に足を取られエリクは顔面から地面に倒れ、血溜に埋もれたまま見えた姿に一瞬ぎょっと目を見開いた。
――――なみ、だ……? それとも、雨のせい……?
しかし、それを確かめるよりも先に頭上に落ちた黒い影に慌てて横へ転がり、ブラックボアホンの腕から逃れた。
「じぃちゃん、頼むからやめさせて!」
狂気の色に染まり同じ事を叫び返す祖父へ喉が潰れるほどの声で再び願った。
大事なものから引き離されたラゼルに、宝物を取って渡そうとするようにブラックボアホンがエリクをその手に収めようと伸ばすが微かに掠っただけで、再びカイトの連撃に阻まれた。
「大事な後輩にそれ以上さわんじゃねぇ!」
足に響いた鈍い痛みに顔をしかめたが、それは確実に黒い獣の顔面を捉えていた。
ぐらりと上半身を揺らがせ後ろに向かい地面に倒れた獣にカイトは一瞬だが、気がゆるんでいた。もごっと、動いたブラックボアホンの口元に気がつき地面に着くと同時に横に飛び躱しどうにか吐き出された炎をやり過ごした。
カイトが単身で黒い獣の注意を引き、エリクは何かを堪えるように顔を拭いながらアーヴァンとともにイルドの下へと駆けつけた。
「イルドッ、しっかりして下さい!」
アーヴァンの呼びかけに彼は苦悶の表情を浮かべたまま呻いて答えた。
朧が庇ったおかげで一命を取り留めたイルドだったが、利き腕はあらぬ方向へと折れ曲がり戦線復帰は望めそうになかった。
このままじゃ、全滅……
一瞬過ぎる嫌な光景にアーヴァンはすぐに頭を振って追い出すと、仲間へ手を貸しながら比較的安全そうな場所へエリクとともに押し込めた。
ラゼルの命令や援護を受けなくとも、獣はその自慢の黒い毛皮で剣を弾き魔法は全て吸収されてしまう上に、少年への体への負担が気にかかった。
そして、セオに至っては杖を取り戻そうと暴れるラゼルを制するのに手一杯だった。
唯一、ブラックボアホンの片腕を切り落としただろう朧に至っては……
改めて状況を見るまでもなく、クッと顔を歪める様に歯を食いしばるしかなかった。
「――――カイトッ!」
セオの叫び声に二人は弾かれたように顔を挙げ、アーヴァンは短く少年に何かを呟いて飛び出していた。
地面へ叩きつけられ、踏み潰されそうになったもう一人の仲間の下へ走り全霊の力を込めて剣を突き出した。
ぶつかりあった衝撃に黒い獣はバランスを崩し、振り下ろした足元で金属の折れる鈍い音を立てながら地面を踏み砕いた。
「つぁっ……」
咄嗟に両手を離したのが功を奏し、痺れた腕に耐えながらカイトの襟首を掴むと揃って走り始めた。
「先輩、危ない!」
離れた位置にいたエリクは二人の後ろから鋭く拳を振り下ろすブラックボアホンの姿が見えた。
弾かれたのか、それとも上手く躱せたのかわからない。瓦礫に倒れこんだその姿だけしか見えなかった。
更に繰り出される追撃をラゼルを制しながら、セオが矢を射り牽制したが注意が緩んだ一瞬、老人は彼の元から走り始めた。
「もう嫌だこんなの……じぃちゃん、いい加減にしろよ!」
堪えようとしていたはずの涙が溢れ落ち、乱暴にそれを拭いながら動きを止めたブラックボアホンを睨みつけた。
「一緒に行けばいいんだろっ。言うこと聞けばいいんだろ!」
「何言ってんっすか! 自分がどんな目に遭うか考えてるんっすか!」
叫んだ声にカイトに怒鳴りつけられ、エリクは「よかった……」と呟きながら声が聞こえたほうへ向き直り平気だというように、拳を握って前に突き出して見せた。
「そうだ、そうだ……エリク、お前は本当に素直で儂の言う事をよく聞く子だ。出来損ないなどと、儂も心に無い事を言ってすまなかった……」
地面に両膝をついたまま嬉しそうに呟くラゼルにエリクはゆっくりと深呼吸をしてから体ごと向き直った。
「もう、みんなを傷つけない?」
「ああ、お前がそう望むのならその獣は応える。儂を信じてくれ……」
破顔したラゼルの表情を伺いながら、少年はゆっくりと歩き始めた。
「エリクッ、バカな真似すんな!」
セオの声に先ほどの光景がまざまざと蘇り、体を振るわせた。
「だって……ボクのせいで、先輩達が……朧さんだって!」
嗚咽を我慢しようといっそう小さな肩が振るえ、途切れがちに叫んだ言葉に流石に掛ける言葉が続かなかった。
「さあ、エリク。その獣とともに儂の下に戻って来い。そうすればお前はもっと自由に何処へでもいけるようになる」
「じぃちゃん。ボクはじぃちゃんの為に行くんじゃないよ」
喜びに満ちた祖父とは対照的に呟いた言葉はすぐに雨の音の音に吸い込まれて消えてしまった。
それでも、エリクは強く祖父を睨みつけた。
「もう誰も傷ついて欲しくないだけだっ! でもじぃちゃんは、じぃちゃんで……魔物の事、沢山教えてくれた、ボクの大事な家族で。先輩達だって、よくからかってくるけど沢山、ボクの知らないことを教えてくれて! テドさんだって、団長だっていっつもボクの失敗したフォローしてくれてっ、ボクはまだ何も返せないけど、大事な家族なんだ。だからボクは生きたい! みんなと一緒に生きたい! ただ、それだけだっ!」
泣き叫んだ言葉は何処までも力強く、今まで何も出来ずにオロオロとするだけだった気弱な影は既に失せていた。
どんな目に遭っても、家族って絆を握り締めてたんだな。