39.繋がり始める未知-6-
それでも、人は気が付いて選べるんだ。
イングワズ区の最北にある城壁に沿って立ち並ぶ住宅街を少年と男は並んで歩いていた。
特に会話らしい会話もないままエリクは手にした荷物を抱え、どこか居心地悪そうに隣を見上げては直ぐに視線を逸らしていた。
それに気が付きながらも彼は何も言わず歩き続け、ふと足を止めた。
「着きましたよ」
「テドさん、此処は?」
「俺の家ですよ。封殺結界の媒体が近いのでマナの活動が他より低いんです。詰所よりも楽なはずですよ」
不安な表情を浮かべていた少年にテドは苦笑いを浮かべたまま鍵を開け、まじまじと外装を眺めていたエリクの背を軽く叩き、家の中へ入るように促した。
部屋の明かりが灯ると直ぐに簡素なテーブルと椅子が目に付きキッチンダイニングだと気付き、奥は寝室なのだろうか、開いているドアの隙間からシーツらしいものが見えた。
男の一人暮らしを容易に伺える家具の少なさだったが、それでも綺麗に片付いているのは住んでいる者の性格を映していた事にエリクは小さく笑った。
「荷物は奥の部屋にどうぞ。疲れたのならそのまま休んでいても構わないですから」
「あの、テドさん……」
いつもの様に優しく気遣うテドにエリクは声を掛けながらも、荷物を抱きしめたまま視線を合わせることが出来ずに言葉に詰まってしまっていた。
あの時、聞こえていた話は本当なのだろうか……? マナの干渉の痛みと苦しさで厭な夢を見ていただけではないのだろうか? ぐるぐる思考が回る少年を見かねて、椅子に座らせると問いかけ直す事もせず静かに湯を沸かし始めた。
その間に戸棚からティーセットを用意し、帰宅の途中で買ったモノをしまい込んでいた。
「今回の事件のこと……ほんと、なの?」
長い葛藤の末に搾り出した声に後悔を覚え、同時に信じたくない気持ちに思わず両膝の上で拳を握っていた。しかし、答えは優しく肯定されてしまった。
言葉が出ない。何を言うべきかも分からなく逃げ出したい気持ちが溢れていた。
エリクはただ震えて、目の前に置かれたカップから漂う甘い匂いに僅かに瞳を上げた。
それでも彼の顔は見えず、胸が詰まる思いで瞳に溜まっていくものを溢れさせないように何度も瞬きをしていた。
「なん、で……テドさんが?」
「そうですね、歳を取るほど甘言に乗りたくなるんですよ。それが間違っていると分かっていても。深い沼のように一度嵌ってしまえば抜け出すのが難しい」
淡々と普段の何気ない会話のように答えながら、彼はキューブシュガーが入ったポットをテーブルの上に置き、中から三つだけ取り出してエリクのカップの中へと沈めた。
「分かってたならどうして、みんな必死になってたのにっ」
エリクの声に静かに振り返り、視線が交わった次には少年の俯き握り締めた拳で必死に瞳を拭う姿に、伸ばそうとしていた手を押し止めた。
「……エリク、貴方はこういう大人にならないように気をつけて下さい。罪には罰が付きます。それは誰が赦したとしても、成してしまった人間には一生付き纏います。俺は、一つ目的を達成させてます。誰が喜ぶわけでも無いと知っていても成し遂げた」
「ならどうして、――――っ!」
叫んだ声は突如として生木が引き裂かれる音と硝子の割れる音にかき消された。
何事かと確かめるより先に危険を感じ彼はエリクを抱え後ろへ飛びこんだ。
直後、扉を突き壊して黒い影が侵入してきた。
ぱらぱらと木片が落ちる音に混じり、獣特有の荒い息が聞こえ二人は入り口へと吸い込まれるように目をやった。
「此処に居ったか、あまり儂の手間を掛けさせるな」
ごく自然に黒い獣の腕から降りた老人の姿に、エリクは言葉をなくし同時に激しく跳ね上がった心臓の痛みに両膝を突いた。
「じ……じぃちゃ、ん……な、んで……」
「エリク!」
倒れ行く少年の頭が地面に打ち付けられる寸前に、救い上げテドはほっと息をついた。
「ラゼル・ヴィナード博士、貴方が協力者でしたか……」
苦しげに呻くテドに、ラゼルは小さく喉を鳴らして笑った。
「協力、ご苦労だったな」
さあ、可愛い孫を返してもらおう……そう語る手を見ることもせず、彼は噎せ返り吐き出す少年の背中を優しく撫でた。
「お前のおかげで研究が大分はかどった。ご丁寧に奴らの感知魔法の仕組みも教えてくれた事は、多いに感謝せねばなるまい」
「まさか……エリクの保護者である貴方が協力者とは思いもしませんでしたよ」
震える言葉のテドに、ラゼルはただ笑うのみだった。
「だが、お前のおかげで孫の命を救う手立てが完成した。これは誇るべき事だ」
「じぃちゃ……な、何言って……」
自分自身を置いて交わされる祖父と副団長の会話に、激しく揺れる視界のまま問いかけようとしたが、それ以上の言葉は何も出なかった。
「その獣が貴方の言う光明、でしょうか?」
「ああ、そうだとも。こいつがエリクを救う唯一の存在となる」
「……そうですか」
偉業を成し遂げたと尊大に笑うラゼルに彼はエリクの汚れた口端を拭い、体を支えて立ち上がらせた。
「あのブラックボアホンといれば貴方はマナから齎される死に怯えなくてすむようです。行くか、留まるかは貴方の自由です」
心配そうに告げるテドを見ればその表情は酷く後悔の色があった。少年は次いで祖父へ視線をむけ、息を呑んだ。
穏やかに笑っているはずなのに、喉の奥に鋭い物を突きつけられたように強張ってしまう。
初めて見るどす黒い微笑みに背筋を震わせ、真直ぐに伸びてきた骨張った手のひらが牙を突き立てたように己の腕に食い込んでいた。
「さあ、エリク行くぞ」
目の色が笑っていない、凍りつき自分では無い何かを覗き込む張り付いた笑みにエリクは思わずその手を振り払い、後ろへ倒れ込んだ。
「どうしたエリク? 何故、逃げる?」
「い、いやだ。し……死に、たくない……」
漏れ出た言葉にラゼルは首をかしげて見せ、後ろに控えていたブラックボアホンを前に出すと黒い獣は新しい小さな主に傅くように、その巨体を縮め片手を差し出した。
「何を言っているのだ? 死にたくないのなら共に来い。協会の連中は『ブラックボアホン』などといっては居るが、名前など無い。コイツの名付け親はお前だ。お前が名付けてこそ真にコイツは世に生まれた事になる」
歪み黒く染まる表情は極上の笑みを浮かべ、倒れたエリクを助け起こそうとしたが、それより早くテドが間に割り込み小さな体を背に隠した。
「ヴィナード博士、どうやら決まったようです。俺は貴方に協力すると決めたとき、言いましたよね。『助けたい命がある』と」
「確かに受け取った手紙にあったな。ならばそこを退け、この獣と共にいればエリクは助かる」
「……じぃちゃん、何……言ってんだよ」
じりじりと後ろへ逃げるエリクを追いかけるラゼルの腕をテドは掴み押し止めた。
「荒事は苦手なんですよ……ほんとにっ」
強く音を立てるまでに握り込まれた手にラゼルは痛みに耐え、杖を地面に打ち鳴らした。
不可視の衝撃が広がり、テドの体を吹き飛ばしたが彼は狭い家の中で器用に、受身をとって立ち上がった。
「エリク、逃げろ!」
鋭い声に困惑したままの少年が付いて来れるわけもなく、伸びてきた黒い腕にあっけなく掴まってしまった。
「獣から引き離すというのならばエリクもまた、お前の娘同様に死を受け入れさせるしかなさそうだな」
「本人の意思も何もかも無視したやり方が、本当にエリクのためになるのですか!」
「綺麗事を言うか! 貴様とて同類。貴様の協力なくしてこの獣は完成しなかった。ならば、完成させるまでに貴様が行った行為は何の為だ?」
「ええ、誰のためでもない。自分のための罪ですよ!」
躊躇いなく言い切ったテドは、側に落ちていた椅子をラゼルに向かい蹴り上げた。
黒い獣が主を守るため椅子を粉砕し、敵を薙ぎ払うがその場に彼の姿はなく変わりに白く巨大な物がその視界を覆った。
ブラックボアホンは慌てふためく様に暴れ、床を打ち鳴らす杖の音と共に視界を遮る物が取り除かれた。
「エリク、少し我慢してください!」
既にブラックボアホンの懐へ飛び込んでいたテドは詠唱も何もなく、即席で作り上げた氷のナイフで少年の直ぐ側を掠め突き破りやすい目に叩き込んだ。
ブラックボアホンは痛みに吼え、思わずエリクを落としたその一瞬でテドは少年を引っ張り走り出していた。
瓦礫だらけになっていた風景にエリクは唖然としていたが、強く引かれる手を頼りに走っていた。
「て、テドさん……」
「すみません。愚か者の勝手に巻き込んでしまって」
謝る彼だったがその息は荒く、途中で道を変えると崩れた家の影に飛び込んでいた。
「あの獣は多分、貴方の魔力に反応してます。ですから、一つ足止め用に罠を仕掛けたいと思います。久遠さんたちに合流できるまでの辛抱ですよ」
いつもの見慣れた暖かな笑みを浮かべ、安心させるようにエリクの頬に触れた指先で血を拭った。
「絶対に振り返らず、先だけを見て……そんな顔をしていてはまたイルドたちに笑われますよ」
不安な表情を隠しきれず、涙を浮かべる少年を安心させるように右手で拳を作り小さな胸を叩いた。
「エリク、団長がいつも言ってる言葉覚えていますか?」
「え、と……『何事も前向きに進めば、自ずと進むべき道が見えてくる』でしたよね?」
突然の問いかけに、僅かに目をしばたかせたがエリクは豪快に笑いながら言うクロウの姿を思い出し呟いた。
「泣いて立ち止まるより、貴方が進みたい道を歩いて下さい」
「……ボクの、進みたい道」
その言葉にエリクは震える手を握り締めテドの大きな胸を叩き返した。
「此処に居ったか!」
上から聞こえてきたラゼルの声に続き、ブラックボアホンの太い腕が振るわれ瓦礫ごと二人はなす術もなく吹き飛ばされ落ちた。
「エリクッ! 莫迦者が、エリクまで吹き飛ばしてどうする!」
ラゼルはブラックボアホンの背中を杖で叩き付け、怒鳴るが吹き飛ばしたはずの先に彼らの姿はなかった。
「なに……?」
「ヴィナード博士、もう少し、足止めさせてください!」
反対側の家の上から今度は、詠唱と魔法陣を描き終わったテドが立っていた。
「アイスグレイヴ!」
瓦礫の上に手を付き最後の一律を叫んだ。地面を走る氷から次々と氷柱が立ち上り、ブラックボアホンがラゼルを抱えて距離をとるように後ろへと飛んでいった。
「氷のマリオネットとアイスグレイヴか。立て続けに使える力量は流石と云うところか。しかし、残念であったな……」
感嘆の声を漏らしたラゼルは、静かに獣に命令を下した。
違えた未知の後に悔やむのは、これが最後にしたいですね。