37.繋がり始める未知-4-
まずは、追いつかないとな。
イングワズ自警団の詰所の扉が叩かれ、イルドが迎えると一人の老人が杖を手にし立っていた。
見たことのあるような……? と、首を捻りかけていた彼に奥からサバスが顔を出し代わりに答えた。
「ラゼル・ヴィナードさん。どうしたんですか?」
「エリクを連れて帰ろうかと思いましてな。して、エリクはどちらに?」
「あぁ、坊ちゃんなら」
「アイツなら今、協会の友人のところですよ。見学に行ってます」
答えようとしたイルドの台詞に被せるようにサバスが言い、思わずイルドは振り返って団長の顔を窺った。
「……おや、そうでしたか」
明らかに眼光の鋭くなったラゼルに、サバスはイルドに小声で巡回に出ている二人に連絡を付けるように指示を下した。
エリクがイングワズ自警団に着任してからただの一度も、ラゼルは此処を訪れたことは無かった。
それは『協会員襲撃事件』が起こったときも無く、ブラックボアホンが再び現れ始めたばかりの今になってようやく訪れた事に何か違和感を感じたからだった。
「しかし、突然ではないですか?」
「何、また例の獣が現れたと噂を聞きましてな。結界の壊れている今孫の身もどこまで安全か不明。唯一の身内としては心配で連れて帰ろうかと思いましてな。不在ならば仕方がない」
「エリクが戻り次第でよろしければ、連絡を入れるように致しますよ」
言葉を選びながら告げたサバスに、ラゼルは軽く制止するように片手を挙げた。
「いや結構。呼び戻せば済むこと」
ダガズ区からイングワズ区まで再び、転送機で移動すると二人は一目散に自警団の詰所へ走っていた。
「良かった、まだ無事みたいだな」
いつもと変わらない街並みに朧は安心したように隣を走るセオに声を掛けたが、彼は険しい表情で先に行けと相棒を促し足を止めた。
背中の弓を外し、足元の矢筒から鋼鉄の矢を引き抜くとその場で静かに構えた。
「月の狩人、纏え紅蓮!」
弦が一瞬、銀色に輝き番えられた矢を朱色に染めるとセオはその手を離した。
風を切り、先を走る相棒の横を掠めて炎を纏った矢が真直ぐ詰所へと向かっていった。
「爆ぜろ!」
鋭く叫んだセオの言葉に従うように紅蓮の矢が激しい音を立て弾け飛び、行き成り立ち上った黒い煙に朧は驚いた素振りも見せずアルゲスを引き抜き飛び込んでいた。
視界の無い煙の奥からぬっと伸びてきた太い腕を切り払い、躱すと巨大な影の背を掻い潜るように抜け、崩れ落ちた詰所の中でようやく足を止めた。
「危機一髪セーフってところ?」
微かに笑うように呟き、振り返った。
「非戦闘区域内での無断召喚魔法使用の現行犯ですな」
わざと構えを解いてアルゲスを自分の肩の上で叩き、忌々しそうに睨み付けてくる老人とその背後に視線を送った。
主を守るように片腕を前に身を屈め、血走った目を向ける黒い獣に挑発的に朧は笑いかけた。
「くっ……朧か?」
「いえーすっ、みんなの久遠朧さんですよ。まあ、離すから待ってて」
後ろから聞こえたサバスの声に軽く応えたが、直ぐに真剣な表情でアルゲスを振るい雷を纏わせた。
「エンフォル」
小さく呟くように唱え、紅い光の螺旋が腕に巻きつくと躊躇うことなくブラックボアホンの腕に収まっていたラゼルへと斬りかかっていた。
獣はそれを後ろに二度飛び躱し、朧たちとの距離を十分に取ると威嚇するように高く吼えた。
「朧、シオンさんに連絡ついた。五分後に民間人を避難させる移送魔法陣が開く」
「わかった。自分が引き付けてるから誘導は任せた」
「……頼むぞ」
いつの間にか隣に立っていたセオが小声で伝えると朧はそれを受け、獣の注意を引き付けるように前で構えていた。
本当なら、セオ自身共に囮を買って出たいところだったが状況がそれを許さなかった。
突然の騒ぎに付近の家人達が完全にパニックに陥っている。被害を最小限に留めるためには民間人をこの場から引き離すことが何より優先された。
セオはサバスに手短に状況を伝え、崩れ落ちた書類に埋もれていたイルドの手を引いていた。
「ほかの皆は?」
「外だ。イルド、回線繋げてアーヴァンたちにそのまま避難誘導させろ!」
「了解!」
「セオ、他のところには連絡ついてるのか?」
「終わってます」
サバスは返事を聞くと非番の自警団員たちに一斉に連絡を付け、自身もまた走り出した。
朧はその姿を視界の端で確かめながら、愛剣を握り締め直していた。
「ふっ、早い戻りだったな……」
黒い獣に抱きかかえられながら小柄な老人が零すように呟き、周りの慌てふためきながら避難する人々の姿を確かめて、楽しむかのように整えられた顎鬚を撫で付けていた。
「こっちには頼りにしてる相棒が居てくれるもんでね。悪いが、あんたの研究室は潰させてもらったからな!」
大仰な振りで真直ぐに剣先でラゼルを示すと、老人は面白そうに笑った。
「お前ら協会の狗は、人様の家をあっさりと踏み荒らすな」
「時と場合よりけりだろ。それに、無関係な一般人まで巻き込んで黙ってられるかよ!」
「それは違うな。儂は『邪魔する者を排除せよ』と命令したまで。先にこやつから仕掛けた事はただの一度も無い」
「あぁ、そうかい。なら望み通り邪魔してやるよ。あんたのその大事な獣ごとだけどな!」
そう高らかに宣言した朧は、雷を溜めこみ地面を蹴った。
距離を詰めながら、ブラックボアホンの射程圏内に入る直前にアルゲスを振るい雷を放った。
「そういう攻撃は、こやつの好物だと知らないのか?」
ラゼルはひょいっとブラックボアホンの腕から飛び降り、主の身に危険が及ばぬと理解した獣は片腕の欠けたまま地面を走る雷を受け止めていた。
「自分の雷は普通のとは違うんでね……」
にっと笑った朧は更に剣を振るい受け止められていた雷を振り上げ解いた。
「なんと! これはまた面白い」
ラゼルも初めて見る攻撃に素直に驚嘆の声を上げていた。
しかし、朧はその声を無視して薙ぐように愛剣を振るうと少し遅れて雷もなぞる様に横薙ぎに走った。
「だが、その程度の攻撃ではこの獣は止まらんぞ」
カツンッと手にしていた節くれだった杖を地面に打ち鳴らすと、ブラックボアホンは雷を掴みまるで魚を釣り上げるように腕を振り上げた。
「うおぁっ!」
勢いよく空へ放り出された朧は成す術もなく、反対側の家の屋根に叩きつけられた。
「やれやれ、『白雷』と言えば守護者最強とも謳われておるのに……噂は所詮、噂に過ぎぬと言う事か」
「いってぇ……まあ、噂は尾びれ背びれ付いて何処までも大きくなるものなんだよ。本人の与り知らぬ所までね」
つまらなさそうに首を振ったラゼルに、飛び起きた朧は思わず頷き返していた。しかし、屋根を飛び降りると凝りもせずにまた雷を放った。
「おまけに、馬鹿の一つ覚えと言うところか……」
緩く首を振ったラゼルはつっとその視線を、自警団の面々へと向けた。
巡回先から駆けつけたアーヴァンとカイトの二人は黒い獣と共にいたラゼルの姿に驚いていたがそれでも直ぐに、戦闘区域から人々を遠ざけるように誘導をしていた。
「邪魔をするには些か力不足と知れ」
冷たく呟き、杖を二度軽く打ち鳴らすと、ブラックボアホンは鼻を鳴らすように息巻いて朧からその視線を外した。
一跳躍と共に避難する人々との距離を詰め、親に手を引かれ必死に走る子供たちを一掃するように太い腕を振りかざした。
上がる悲鳴に二人の守護者は己の最善を尽くす。
「凍てつけ!」
冷たい蒼を宿した矢が黒い腕に突き刺さり動きを鈍らせ、刹那に朧が子供たちの前に立ちそれをアルゲスで受け止めた。
同時に朧の両腕に纏わり付いていた紅い光が弾け、腕に掛かる重さに膝が震え始めた。
「アルゲスッ!」
ブラックボアホンの腕を凍て付かせていた氷が染み込むように解けたのに気が付き、朧が叫んだ。
白刃から雷が駆け上るように放たれ、獣はその閃光に視界を奪われよろめいた。
「いい加減、離れろよ!」
重心の崩れたブラックボアホンを斬り払いのけ、子供たちから離すと泣きじゃくる子供の頭を視線を向けることなく軽く撫でた。
「ほら、男の子が泣いてるな。親御さんを安心させてやるのが君たちの役目。自分達はそれを守るのが役目ってね」
一瞬だけ笑いかけ、駆けつけたイルドたちに子供たちを任せると獣に再攻撃をさせないよう詰め寄り斬撃を浴びせた。
硬い毛に阻まれ思うほどの傷も与えず、内心の焦りは合ったものの周囲の民間人の姿がなくなったことに安堵していた。
しかし、ラゼルはゆっくりと顎鬚を撫でながら遠くで展開した移送魔法陣の光を眺め、光が静かに消えた頃、走り戻ってきた自警団の面々の姿を捕らえ一人一人確かめるように視線を向けていた。
ホントに嫌な特性を備えた奴だな。