36.繋がり始める未知-3-
これで動けるようになるかな?
朧はセオと合流し“何か掴めたのか?”と訊ねたが答えは無く苛立った様相で先を促され、不満を浮かべたまま後を付いていった。
「エリクの様子見に行ったんだろ。どうだった?」
「あんまり良くないってよ。だから念のため別の所に移動してもらうように頼んだ。間違ってもブラックボアホンが向こうに行ったら危ないしな」
前を向いたまま訪ねられるが、歩調が合わずセオの後を追いかけるように歩いていたせいか一層不機嫌そうに返事を返していた。
「そうか。なら時間は稼げるな」
セオの言葉に怪訝な表情を浮かべ疑問を口にしようとしたが、路地の角を曲がられ姿を一瞬見失ったことで声を掛けそびれてしまった。
そして先から聞こえたベルの音に朧は目的地に着いていたことに気がつき、眉間に皺を寄せて後を追った。
しんっと静まり返り出てくる主の気配もない事を確かめたセオは、無言のままその門を軽々と飛び越え玄関へ向かった。
「ちょい、セオ! どうしたんだよ!」
慌てて追いかけ家の敷地内に入ると、以前と同じようにざわりとした嫌な空気に朧は身を震わせた。
(マナが死んだ空気ってこんなもんなのかねぇ)
纏わり付く厭な雰囲気を振り払うようにコートの裾を払い、ふぅっと溜息をついた。
「なあ、いい加減に教えろよ?」
「ヴィナード博士の言ってた意味が分かったんだよっ」
「……マジかよ。これ絶対、自分のせいにされそうだなぁ。ま、いいけどね」
怒鳴るように答えながらドアを蹴破った相棒の姿に、朧は心底物珍しい物を見るように眺め先を促した。
「そんで、爺さんの言ってた意味ってなんだよ?」
部屋という部屋を手当たり次第に調べたセオは最後の書斎の扉を開き、何処にもラゼルの姿がないことに強く息を吐き、手にしていた資料を朧へ渡した。
投げ渡された資料はコピーではない協会で保管されているファイルそのままだった。
「無断で持ってくるとは、らしくねぇな」
持ち出し禁止の印を見なかったことにしてファイルを開き数ページ捲った。
「これ魔物博士の研究じゃないのか?」
記された日付は30年以上も前を示しており古く褪せた紙には日記のような走り書きと共に研究者の直筆のイラストが描かれ、その魔物の特性や行動生活圏などが詳細に書かれていた。
特に朧の目を引いたのは、自然界で異種配合となった魔物の特性や元となった魔物同士の相違点などが事細かに書かれていたページだった。
そして日記のような資料は15年ほど前で終わり、それより近年に向かっての資料は純粋な研究資料となっているらしく、バラスト国近辺で見られる魔物の様々な実験の成否が記されていた。
思いついたように最後のページを開き、言葉も無くセオに向き直った。
「くそっ、どれもこれも親父のせいじゃねぇか!」
苛立ちを隠そうともせず机を激しく叩き付けたセオに、朧はもう一度資料に目を落とし末尾にサインされていた研究者の名を口に出した。
「Razel・Vinard、Vizel・Ranald。アナグラムってことか?」
「そうだ……ヴィナード博士の研究を元にラナルド博士が魔物図鑑を作成したとか。爺さんが『瞿』に指定された事件の話も全部でっち上げだった! その研究支援者のサイン見てみろ!」
最後のページの上部に走らされたサインは確かに朧もよく目にしているパーシヴァル家のサインがあった。
「お前、ホントに親父さん嫌いだよな……」
「言うなっ!!」
ここまでセオが怒りを露にする相手は今のところ彼の実父を置いてほかに見たことはなかったが、まさかと思い考え付いた事を口に出していた。
「もしかして、爺さんの研究を奪って勝手に発表したとか?」
「……流石にそれはないが、そう至るまでのことはあった。ヴィナード博士がこの街で研究所を構えてから暫らくは滞りなく、協会の意向に沿った研究を続けていたのは間違いない。けど、ある時から研究自体が助手へ移行して博士自身は別の研究を始めていた」
「なるほど、その研究が協会にとっては危険なモノだった、ってところか?」
朧は資料をセオに投げ返すと、少しばかり疲れたように本棚へと背中を預けた。
その瞬間一部の本が更に奥へと進み思わず飛び退き、ずれた本を探した。
「隠し通路へのスイッチらしきもの発見しましたが、セオ隊長……どうします?」
「アホな事言ってないで行くぞ……」
暴れて少しは落ち着いたのかファイルを仕舞いながら言う相棒に肩を竦めて見せてから、へこんだ本を更に奥に押し込めた。
カチリと小気味のいい音を立て本棚が引き戸のように動き、人一人が通れる程度の隙間が開くと地下へ下りる階段があった。
老人が出入りするには些か段差がキツく、書斎から差し込む仄かな明かりしかなく朧は注意しながら先に地下室へと入っていった。
思いのほか広い地下室は闇に沈み明かりをつけようと部屋のスイッチを探そうと振り返った途端、勢いを付けすぎたのか視界が揺れ、ゆっくりと響く足音に体が震え始めたのに気が付いた。
「セオッ」
投げた言葉は悲鳴に近く、それを受けた彼は先に懐からペンライトを取り出し明かりをつけて相棒の足元を照らし出してから、部屋のスイッチを探し出した。
スイッチが入り数回、天井の光絋灯が瞬き、灯った明かりに浮かび上がった光景に朧は隠れるように乱れた息を整え、それに気が付かないフリをしながらセオは部屋の中を見回した。
「残念だが、アタリだな……」
「……そうだな」
腹の底に溜まる嫌なものを吐き出すように呟いたセオに、朧は溜息混じりに答えようやく部屋を見回した。
空になっている巨大な水槽を奥に構え、大きなテーブルの上に散乱する複製用に採取していただろう黒光りする硬質な毛束と血。床には無数の本が散乱し、壁には全てを埋め尽くすように複雑な紋様を描く陣があった。
その中には先ほどテドに教えてもらった魔法陣に良く似たものも幾つか左右の壁に描かれ、中央の巨大な魔法陣に繋がるように更に描き重ねられていた。
「ヴィナード博士が『瞿』に指定された本当の理由は、禁忌指定の合成魔獣の研究に手を出したせいだ。ブラックボアホンもアンドッグもその過程で生み出されたものらしいな」
「家族思いの爺さんって訳じゃ、なかったわけか……」
朧はテーブルの上の資料に埋もれるようにあった写真立てを見つけ、悔しそうに呟いて伏せた。
「この一連の事件、全てがエリクの為に引き起こしたならまだ良い……けれど違うらしい。孫のためだけなら魔物を複製する必要なんて何処にも無いからな」
広げられたままになっていた資料を拾い上げ目を通していたセオが呟き、朧もそれを覗き込んだ途端怒りに拳を握り締めていた。
「なんだよ、これは!」
叫ぶと同時に、朧はその手を滑らせるように愛剣を抜き放ち手当たり次第に壊し始めた。
「こんなの完成させるわけに行かないだろ! エリクをっ、人を何だと思ってんだよ!」
誰だって人と違うことを望んで生まれてくる人間は何処にもいないだろっ。
自分と違うだけで其の全てを否定されて、人としてすら見られない!
なんでそんな事が出来るんだよっ!
なんで、大切に思う人を裏切れる!
資料を裂き、水槽を砕き最後に頑丈なテーブルを叩き伏せると、朧は肩で荒く息をつきながら背後に仄かに灯った薄青い光に気が付き舌を打った。
「朧、戻るぞ!」
既に階段の上にいたセオに、朧も頷き最後に雷を纏わせた特大の一撃を壁に描かれた魔法陣へ叩き込み漸く、愛剣を鞘へと収めていた。
私欲を満たした後に一体何が残る……