35.繋がり始める未知-2-
何かを見落としてるのか、見えない罠に掛かってしまっているのか……
「うえっ。ど、どうしたのさ?」
「な、何ですかこの有様は……」
「お帰り。おや、久遠さんと一緒だったんですか?」
「副団長、ただいま戻りました」
コーヒーサーバーを持ったテドが入り口で立ち尽くす二人に声を掛けると、疲れ果てたサバスが突っ伏した事務机から蘇えるゾンビのようにゆらりと顔を上げた。
「来たなぁ……」
「き、来ましたよ?」
ホラーそのまんまだよ、と呟いた朧に奥の仮眠室のドアが勢いよく開いた。
「おぼろぉ、待ってたっすよぉぉぉ!」
「こらこら、やめんかっ!」
ドアの奥から突然飛びつこうとしたカイトを抑えるイルドに更に出迎えられ朧は冷や汗を浮かべて、テドに促されてソファに腰を掛けた。
「いえ、近隣住民達から寄せられた不安と苦情の電話処理に一時的に神経が飛んだだけでですから、お気になさらず。みんな、コーヒー淹れましたよ」
それぞれ死体と表現できる有様の面々の前にマグを置き、最後に朧用にカフェオレを淹れ直し始めた。
「あー……なるほど。有線はやっぱ防げないよなぁ……と、エリクは?」
「ああ、坊ちゃんなら仮眠室で横になってるっす。どうも、電話鳴り始めた辺りから調子悪くなってきたらしいっすよ」
カイトの言葉に朧は時間を尋ねて、それが丁度、ハンター達がブラックボアホンとぶつかり始めたばかりと同じ時間と分かった。
「テドさん、此処よりもう少しマナの活動が低いところあったら、そっちにエリクを移してやって。少し南側で面倒なのが起こったから注意しておきたい」
「ええ……でも、この辺りもそんなに活動は激しくは無いはずなんですが……」
朧の忠告に頷きながらも、予想以上のエリクの干渉能力にテドも驚きを隠せないでおり、どこかで「連絡を付けてから移動させるつもりではあった」とも彼は付け加えたがが今はまだ憔悴しており、動かして良いものなのかを考えているままになっていた。
「うん、テドさんはやっぱ面倒見てるほうが似合うわ。それで何処か場所があるなら急いでやって欲しいし、マナの動きに関して自分はサッパリだから任せるよ。でも、後でちゃんと迎えに行ってやってよ」
「ええ、もちろん。約束してしまいましたからね……」
何処と無く照れくさそうに笑ったテドはカフェオレを朧の前に置くと、グッタリした様子の面々に咳払いを一つくれてやった。
「それより何があったんだよ? さっきから来る電話の殆どが南であった事件について知りたいとかだったんだけどさ」
未だにグッタリしているサバスに変わりイルドが朧に問いかけると、マグを持ちイルドへ視線を向けた。
「ちょっと、面倒な事件があった。とりあえず、情報を止めてるから詳しくは言えない」
そう言いながらぐるりと一同を見回し最後にテドで視線を止めてしまい、慌ててカフェオレを啜ったがまだ微妙に苦味を感じて砂糖をいくつか、マグに追加して誤魔化した。
「それより、それ以外に変わった情報なかった?」
「ないっすよ。ただ、外の騒がしさが半端ないのはどういう事っすか? それも南の事件と関係あるんじゃないっすか?」
続きの説明を求めるようにカイトが呟き、それには他の一同も賛同するように頷いていた。
「なぁ……今の自分の話し聞いてた?」
「久遠さん、言いたいことは分かりますが明らかに外の様子がおかし過ぎます。これだけの状況で協会から情報が降りてこない事に正直、みんな参っているんですよ」
「そうそう。第一、おれらと朧の仲だろ。口の堅さも信用しろって」
相当参っているのか、いつもなら軽く返ってくる返事もなく真剣な表情でこちらに視線を向ける彼らに何度か頷いた。
「ああ、自分が悪かった。信用してるよ。そう、睨むなよぉ…………」
降参と言うポーズをとってから、改めて先ほどの事件の事を話した朧は自然とテドへ視線を向け直した。
* * *
「そう言う訳で、魔法を使うブラックボアホンの事に関して何か知ってることは無い?」
「いえ……残念ですが、その強化タイプに関しては何も。俺は、例の召喚魔法陣の実験を手伝う代わりに仕掛けをしただけですから……」
「誰のだ?」
青くなり小刻みに肩を戦慄かせるテドにサバスが問い掛けたが、小さく首を振った。
「知らないんです。協力者の顔も名前も……やり取りは全部、相手が送ってきたハンターに手紙を渡すだけで。一度、気になって追ったこともあったけど、何人も渡っているらしく結局突き止められなかったんです……」
既に後悔の念しかないように呟くテドに、一同はただ小さく頷いていた互いに顔を見合わせるしかなかった。
「テドさん、その手紙自体残ってないの?」
「……それも、残念ながら。手紙も時間と共に消えるように魔法が仕掛けられていました」
「相手は、かーなーり……用心深いな」
イルドの言葉にテドも頷き、朧へと視線を戻していた。
「ほかに、送られてきてたもの物とかは何かあるの?」
「例の黒い獣達を召喚する為の道具なら……ですが、数は少なく既に使い切ってしまいました」
「……それなら、副団長が実行した事件って実はかなり少なめ?」
「え! だって、あの大騒動のときは物凄い数居たじゃないっすか!」
「テドさん、もう少し詳しく聞いていいよね?」
イルドとカイトが再び白熱トークを繰り広げるのを横目に、朧は席を移動してテドの横に座った。
「えぇ、構いません」
そう応えたテドはカレンダーへ目をやりながら思い出すように話し始めた。
初めは一通の手紙だった。差出人も書かれていない手紙に目を止め、読み進めればそれが娘に関することであり、協会へ再度、魔力蓄積体質の警告を与える為に実験の協力をして欲しいという内容だった。
それを彼が承諾したことにより『協会員襲撃事件』へと繋がって行くのだったが、時同じくしてエリクがシオンの元に預けられた事により、少年への悪影響を恐れ手を引くことを決めたのだった。
「冷静になれば、そんな都合よくマナの問題が解決するわけでもなかったし、手を引くにも共犯者ですからね、後に引くことも出来なければ協力者からの連絡も途絶えてしまい、結局、エリクに負担を掛けるだけの結果になったわけです」
だからこそ、自ら現場に赴き触媒を見つけては片っ端から調べて協力者の素性を明かそうとしたが、どうにも一枚も上手らしく手掛かりを残してはおらず、結界が壊れた日を境に黒い獣が一匹も姿を現さなくなってしまった。
「その探してる途中で管理部の連中が重要人としてテドさんをマークしてたわけか。ホント、シオンさんに最初に回ってよかったよ」
甘いカフェオレで喉を潤し人心地ついたように溜め息を漏らしたが、テドへ向けた視線は真剣なままだった。
「それで、あれだけの獣の数を一気に仕掛ける事とか簡単に出来るの?」
「恐らく……憶測ですが、一匹を本体にして複製してすれば可能かと。性能を考えなければですが」
そこで一息入れ、仮眠室へ目を向けてから少し考えたようにテーブルの上においてあったメモを取り、図形を描き始めた。
「アーヴァン、すまないけど魔法陣解析の資料を持ってきてもらえないか?」
「はい。直ぐに」
声を掛けられた彼は傍らの書棚に手を伸ばし、分厚い資料を二人の目の前に置いた。
「協会で調べていたのは栞の挟んであるページのものです。これだけで平気でしょうか?」
「ありがとう」
テドの短い礼を聞き、アーヴァンは隣の机の上で寝息を立てていたカイトを起こし巡回の準備を始めた。
そして、図形を描き終えた彼は栞の挟んでいたページを開き、朧の目の前に回した。
「これはよく目にされているかと思いますが」
「んと、転送機に使われてるやつか」
「その通りです。ですが、この魔法陣だけでは発動はしません。俺が書いた残りの二つも同様に単体では無理なんです」
ページをめくりながらそれぞれの資料を引き抜き、更に一枚追加して朧の前に並べ置いた。
「魔法陣はそれぞれ一部が欠けていて、」
説明を加えながら彼はそれぞれのメモを一枚ずつ重ね合わせ始めた。
「重ねて始めて描かれるこの魔法陣によって作用する特殊な陣です。もちろん、これも単体では作用しません」
「なるほどねぇ。でも、そこまで分かってても犯人の目星は協会もこっちも付いてないわけか」
「この多重魔法陣はあくまで俺が簡単に描いたものですから、実際送られてきた術式はもう少し複雑なんです。それにこの三種類だけじゃ黒い獣を複製できませんからね」
「あっ、そうか。この転送は獣の情報を犯人の元に送るだけか。感知式召喚魔法陣も分解して自分達のリード石に合わせた単式の感知魔法陣と召喚魔法陣に書き換えてるってこと?」
合っているかどうかを確かめるため隣を振り返ると、どこか褒めるような笑みを浮かべて頷き返されたが直ぐに厳しい視線で資料に目を落とした。
「複製をするにも機械で行うわけではないですから、獣の一部を利用して増幅・復元という形で複製を行っていたはずです。実際、送られて来た物の中に獣の一部がありました。けれど、複製したものを召喚するなんて言うのも聞いたことは無いですし、そもそも五重魔法陣なんて聞いたことがありません」
「でもさ、そうは言っても実際に存在したわけだからね。それも厄介な事に結界が現存してたときから、ね」
冗談めかして言う朧だったが、その表情は良くなかった。結局のところ今の説明で得られた事は“魔法陣が極めて珍しい”いう事だけで手掛かりに成るには程遠いものだった。
広げられた資料を手にしながら朧はサバスに断りを入れてから資料棚に向かい、要注意人物達の名が書き連ねられている資料を引っ張り出した。
資料の内容は協会の資料室のものと殆ど変わりはないが、こちらの資料は事件内容など詳細に書き込まれていた。
「あー、無駄だ。その資料の連中程度じゃあの魔法陣なんか組み立てられやしないってよ」
「やっぱり? まあ、新しいヤツが追加されてるかなーって思ったんだけどね」
「無いな」
サバスの無常な言葉に朧は笑って資料を元に戻した。
「そうすると、街の中では常駐していないって事もやっぱり考えられるわけだ……外にまで手は伸ばしてないから、申請してみるかなぁ」
一度大きく伸びて身体をほぐし、仮眠室で横になっているだろうエリクの様子を見ようとドアへ手を掛けた途端、ポケットに入れていた携帯電話が激しく震え慌てて取り出した。
『朧、今すぐこっちに来い!』
「はぁ? なんだよ、いきなり?」
相手はセオで出ると同時にこのセリフだ。当惑しても仕方ないだろうが切羽詰った物言いに、朧はとりあえず分かったと返し通話を終えた。
「どうしたんだ?」
「ん……いや、わかんねぇ。とりあえず念のためエリクは早めに移動させてやっといて」
カリカリと頭をかき、サバスには周囲に警戒だけしておくように念を押して外へ出た。
本当に敵は外に居るのでしょうか……