33.再戦
下手な被害広がる前に、追いつかないとっ。
ブラックボアホンの姿を目視できた時には、幾人かのハンターが既に戦闘を始めていた。
目の前で大物を見つけたと興奮し叫ぶ細身の男に、ブラックボアホンは俊足で間を詰めると太い拳をその顔面に叩き込み沈黙させた。
上がった悲鳴を耳にしながら朧は届かない距離に奥歯を噛み、黒い獣の背に話の通りにあった刀傷を見付け更に力を手に込めていた。
「下がれ! 手に余るもの相手にして死にたいか!」
朧が吼えるが仲間をやられたハンター達が引くわけも無く、邪魔が入ったと一瞥しただけで再び攻撃に専念し始めていた。
剣はやはり固い毛に阻まれ苦戦の様相を見せるが、後方で控えるマナテイマー達が己の得意とする魔法の詠唱が終わるまでの時間稼ぎになっていた。
「おい! やめろ!」
阻止するにはまだ距離が届かない。朧の眼の前で放たれた火炎や氷柱は地面の上を走り、ブラックボアホンを追いかけたが獣の開かれた顎の中に難なく吸い込まれていった。
「な! 喰ったのか!」
驚愕する厳つい鎧を着た男に、ブラックボアホンはその目を向けると血走った眼を更に開き、口の中で溜め込んでいた魔法を全て吐き出すようにその男へと浴びせていた。
鎧の男は声も上げる暇もなくいたる所から黒煙を吐き出し絶命し、側にいた他のハンター達を豪腕で薙ぎ払った。
開いた空間を高く飛び越えてきた白い影にブラックボアホンは咄嗟に頭上で腕を交差させた。
「アルゲスッ!」
朧は愛剣を抜き放ち様に、力を目覚めさせ鋭く切りつけたが僅かな痺れを持って頑丈な腕に阻まれてしまった。
「チッ……」
弾かれることを予想し黒い腕を蹴りつけ後ろへ飛ぶと、今だ諦めずに包囲網を作るハンター達の足元へ雷を放った。
「邪魔だ。退け!」
「そ、そんなこといってっ、てて、手柄独り占めにする気か!」
誰かの叫び声に、朧は鋭く睨みつけた。
「分かった。死にたいなら止めない……けど、自分の邪魔はするな」
それは怒りか、朧の言葉にあわせ不快感を露にしたように辺りを駆け抜けた雷にハンター達も流石に怯み、じりじりと後ずさりした。
ブラックボアホンへ視線を戻すと再び、地面を蹴り低く潜り込むように駆けていった。
まるでバッティングのフルスイングのように剣を大きく振るい、分厚い筋肉に覆われた腹へ叩き込むが、返るのは痺れた感触だけだった。
ブラックボアホンはその叩きつけられた腹にまだ潜り込む小さな異物を叩き出そうと、両腕を組み振り下ろしたが朧はそれを前に向かい飛びこみ、背中に叩きつけられる直前で躱した。
獣の腕の届かない位置で素早く体勢を立て直すと、一人のマナテイマーが再び火炎を放っていた。
黒い背中に直撃した炎は一瞬だけ燃え広がったが、直ぐに体の中に入り込むように掻き消えてしまった。
「そ、そんな直撃、したはずなのに……」
驚くマナテイマーにブラックボアホンが眼を向けると、口をもごもごとさせ吸収した炎を吐き出した。
「させるかっ!」
いつの間にかマナテイマーの正面に回り込んでいた朧は、ブラックボアホンから吐き出された火炎を真っ二つに切り裂いた。
左右に分かれた火炎は近くの家の壁にぶつかり四散し、家の中から上がった悲鳴に朧はビクリと肩を震わせた。
――――まだ、逃げてないのかっ。
セオの到着を待つつもりだった朧に迷う時間はなかった。
ガチッと音がなる勢いで歯を食いしばり、瞬きの間に精神を手にした剣と同調させていく。
「契約の元に、我が命を力に! マナを伴い応えよアルゲス!」
鋭く紡いだ一律に応えた剣は白く輝きを増し、代わりに朧は流れ落ちる汗を振り払い駆けた。
「アルテミス、シルバーレインッ!」
空から降った言葉と共に、ブラックボアホンの周囲だけに銀色の矢が文字通り雨となって突き刺さった。
突然の事に獣は驚き、体を突き抜けた痛みに怒りを覚えたが目の前から来る威圧に低く唸り返した。
「喰らいなっ! ブラストバイパー!」
朧は体ごと振り上げ、閃光を放つアルゲスを地面に叩きつけるように振り下ろした。
ブラックボアホンはそれを先ほどと同じように堪えて見せようと両腕を交差させていたが本能的にその身を横へ開き躱した。だが、咄嗟の切り替えによって僅かにアルゲスの剣戟の延長線上にあった腕が宙を舞い、その指先から灰になり霧散していった。
「っ、はぁ……はぁっ」
呼吸を思い出したように真新しい空気を肺に送り込む朧に、ブラックボアホンは一瞬だけ躊躇った。
体が硬直したように動かない朧の頭を簡単に潰す事が出来たはずなのに、それよりも更に上から感じる重圧感に体が動かなかった。
「シャドウスナッチ!」
弦を弾く甲高い音を残し風を切る矢の音に、ブラックボアホンはぼたぼたと血を流しながら無くなった腕先を抱えて逃げ出していた。
「待ちやがれ!」
先ほどまでいた黒い獣がいた場所に小さな矢が刺さると同時に、朧は震える足で走り始めた。
「朧、深追いするな!」
場が一望できる場所から飛び降りたセオは、一瞬だけ呆然とするハンター達へ視線を向けたが、先へ走る相棒の後を追うことを優先させた。
力が入らないまま走る朧に直ぐに追いついたが、すでにブラックボアホンの姿は見えなくなっていた。
「大丈夫か?」
「ああ、何とか……良いタイミングで来てくれたよ、くぅ――いってぇ……」
ふぅっと長く息を吐き出した朧は、全身を支配する痛みに呻いていた。
「出来る限りアルゲスはオレが側にいる時に使ってくれ」
「直ぐ来るって言ったの、お前だろ……」
ゆっくりと立ち上がり、獣の逃げた方向へと歩き始めた自分を支えるように隣を歩くセオを少しだけ見上げたが、獣の行方を示す地面に落ちた血へと再び視線を戻した。
「なあ……、あのブラックボアホン以外、血なんて、今まで流したヤツいたか?」
途切れがちに尋ねる朧にセオは記憶をめぐらせ、あっと小さく驚いた声を上げた。
「言われれば、そういった痕跡は無かったな」
「だよな、間違って、なけりゃ……大概は、炎に消えてた……」
「確かに……」
「なんか、ヤな予感がしてきた……」
苦しそうに胸元を押さえた相棒に、セオは休ませようともしたが朧はそれを拒否するように一歩一歩、体を引きずりながら歩いていた。
しかし、結局ブラックボアホンの残した血の跡が途切れたことに気がつき、同じ様に後を追ってきたハンター達から非難の声を浴びせられるままになった。
この血の途切れ方も、本当に消えたって感じだな。