30.らしく、顔を上げて
深い傷跡が完全に癒えることってあるんだろうか……
――覚悟はあった。しかしそう成らぬ為に手を打ったはずだった。
――安寧の為には致し方のないこと。
――そんなの赦すわけが無いだろ? 安心していいよ。
――大切な人を傷付けようとするなら、敵に回す覚悟があるんでしょ?
――どうして避けるの?
なら、こうするしかないよ。
――誰かの物になるなんて……絶対にいやだ。絶対に……
こんな時に思い出したくも無いっ――――
目ま狂しく押し寄せる記憶を必死に振り払おうと頭を振るうと、不意に展示室で泣きながら祖父孝行をしたいと願っていたエリクを思い出した。
言葉の中に、恐らく少年自身は気が付いていないだろう生きたいと願った想い。
ニュアンスこそ違えどかつての自分が心の奥底から願った。
「朧、立て……」
「わかって、る……」
相棒の促す声に朧は握り締め硬くなっていた右手を左肩からゆるゆると放し、面を上げた。
「エリクの奴には……適当に伝えてやるよ」
諦めたように呟くサバスの言葉には力も無く、それを感謝したように頷いたテドの姿をどこか遠い場所から眺めているように感じた。
古い記憶と現在を行き来しているような軽い混乱と眩暈を覚えたが、朧は隣に立つセオをゆっくりと見上げた。
碧色の眸は哀色を浮かべて己の前に立つ二人から視線を外すことが無かった。
そして再度、動かない自分を促そうと口を開きかけ、遅れていつもの呆れたという様な視線を受けて返事代わりに傍らに立掛けていた愛剣の鞘に手を触れていた。
「テドさん、逃げる事はさせないよ。確かにあんたの言うように何かを成すなら犠牲無しに成し遂げるなんて詭弁だ。 だけど、復讐とエリクの問題はせめて別にしてやろうよ。
あいつは生きたいと願ってる。なら自分はそれを叶えたい! シオンさんみたいに、サバスの旦那みたいに手を引いてやることは出来なくても、諦めてない人間がいるのにそれを見捨て逃げるなんて……させない!」
朧は立ち上がるとほぼ同時にアルゲスを抜き放ち、上げられていたままの腕の間に切っ先を落とした。
耳障りな音を立て、封印の銀鎖が砕け散ると朧はその真直ぐな視線のまま剣を納めた。
「朧?」
驚いた声を上げたサバスは自然と説明を求めるようにセオへと向き直った。
「これがコイツの答えらしいですよ」
青ざめたまま動かなかった相棒にいくらかの心配をしていた彼は、ようやく朧らしい我が侭な答えを見て安心したように言った。
「セオ、宣言頼むわ」
自分の胸元からセオと同じように紅赤色のリード石を取り出し握りしめた。僅かに二人の石が鮮やかな光を放つと朧は自分の役目が終わったといわんばかりに椅子に座り込んだ。
「協会治安維持部キュエール隊、守護者セオ・パーシヴァル及び久遠朧両名より。 イングワズ区第十三自警団副団長テド・ベイアット、貴方の身柄を一時我々が預かります、貴方の告白の処遇については追って守護隊長シオン・キュエールから通達いたします。
ですが、現在我々及び守護隊長は別途任務中の身。先の一件が終了するまでの間、同自警団団長サバス・クロウにその身柄を委ねます。 その間の処遇一切の全てサバス・クロウに全権限を明け渡し、その命令に従うことを命じます。
ならびに両名にこの宣言を拒否する権限は一切与えず、遵守することを命令し違反をした際には我々、守護者一同の全てを持ってこの宣言を遂行させます。
この宣言は守護者特別規約に則った正式なものとなり、この宣言に否を求めるのなら守護隊長シオン・キュエールまで申し立てるように。 以上をもち宣言を終了と致します」
セオがようやくリード石を手の中から放すと光が治まり、これでいいんだろ? と微かに視線を向けた。
「相変わらず無駄に長い宣言だよな。まあ、これで石の記憶は全部シオンさんの手元だけってね。二人ともそういう事でよろしく」
片方の口端だけで笑った朧はようやく、自分の前に差し出されたままのコーヒーに口をつけて苦そうな表情を浮かべた。
「は、はは……参ったな。これじゃあ、俺は何のために協力してたんだか……」
戒めの鎖を切られ自由になった両手を眺めながら浮かんだ乾いた笑いはあまりに小さく、そして力なく崩れていった男に差し伸べられる太い腕があった。親友はただ無言でテドの腕を引っ張り上げ、小さく後悔の色を浮かべた笑みを貼り付けていた。
「テドさん命令ついでにエリクのこと少し頼んでいい? 宣言の通り別の任務入ってるから構えなくってさ」
「え……で、ですが」
困惑したまま会わせる顔が無いと呟くテドに朧は心配ないと答えてみせた。
「結構、時間掛かりそうだしさ、直ぐ連れてくるよ」
そう言いながら、いつもの調子を取り戻してきたように少し意地の悪い笑みを浮かべ今日、エリクと話した事を教えた。
教えられた二人は一瞬だけ目を丸くしたが、苦笑いを浮かべサバスに至っては声を上げて笑っていた。
「一人で寂しい思いさせるよりも、あいつが信用してる人たちの所に居る方がこっちも色んな意味で安心できるし。それにさっき言ったように逃げさせはしないよ。 最後まで見届けてからたっぷり後悔も反省もすればいいし、何より……大事なものが一つ欠けただけで簡単に自分の居場所を見失うってことエリクに味あわせたくないからね」
朧は一瞬“何故そこまでエリクの事を気にするのか”頭の片隅で疑問に思っても、直ぐになんて事は無いと思い直していた。
(やっぱ、お人好しって奴なのかねぇ……)
胸中で呟いた言葉に返事は返らないが、そう思ったとき少しばかり自分自身に笑いがこみ上げていた。
「セオ、少しここ頼むな」
「早めに頼む」
にっと笑った朧にセオが頷くのを皮切りに詰所を出ると来た時よりずっと軽い足取りで、瞬く間にその白い背を街中に消していた。
「さて、お前はさっさと風呂入ってヒゲ剃って来い。エリクが来たらまた笑われるぞ」
ガチャガチャと音を立てながらマグを集め、流し台に運んだサバスはポケットの中からタバコを一本取り出し咥えるとそのままケースをテドに投げ渡した。
「クロウ団長……」
「ま、無理には勧めねぇけどな」
軽く肩を竦めてからタバコに火をつけ自分の椅子に付くと、今まで手に付かなかった仕事の処理を始めた。
そして投げ渡されたタバコのケースに一度視線を落してから、ゆっくりとセオを見やった。
「さてっと、とりあえずシオンさんに連絡入れておかないとなぁ。後は、朧の書類また書かないとダメなんだろうな」
ワザとらしく小さく伸びをしてから、自分の荷物を取りに仮眠室へ向かった。
少しずつだがいつもの明るい雰囲気が戻ってくるのを感じ、テドはただただ俯いているしか出来なかった。
違えた道を歩いて、引き返すことは出来無いと思っていた。