28.悲運の……
何も、言葉にならない。ただ、違うと云って欲しかった。
「さて、いざこうして会うと何から話していいのか……言葉が上手く出てきませんね」
困ったように呟くテドに一同は何も返せず、ただ悲しい表情だけを浮かべていた。
「ああ、そうだ。エリクは元気にしてますか?」
「うん。ショックは受けてたけど落ち着いてきたよ」
いきなりの話題に朧は一瞬、答え方を忘れたがどうにか今日は外に連れ出して歩いた事を伝えるとテドは安心して胸を撫で下ろした。
「よかった。あの腕輪が壊れたのを見たとき本当に冷や冷やしましたからね」
「教えてくれ、どうしてあんたが!」
声を荒げて問いかけるが、顔を合わせることもなく俯き胸中を支配するやり場のない哀しみを抑えるのに必死になっていた。
「……そうですね、有体に言って『怨恨』と、言ったところです」
変わらず笑みを浮かべているのではないかと錯覚するほど、穏やかに淡々と言葉を連ねたテドに朧は無意識のうちにきつく写真を握り締めていた。ぐしゃりと歪んだ写真のその中に移るのは今と同じ自警団の制服に身を包む彼の姿だった。
裏切られたと全身で戦慄く朧の小さな背中を気遣わしげに眺め、隣で戸惑うままマグの中にぼんやりと視線を向けていたセオを見やった。
「セオさん、魔力蓄積体質の人のための処置が何時から執られるようになったか知っていますか?」
まるで試験官のように静かに問いかけられ、ようやく顔を上げ視線を合わせた。
「……今から六年前ですよね。それまでも、その症例の報告はあったけど大抵はマナテイマーが多くて処置らしいものは一切」
「流石ですね。もう六年……あの日からもうすぐ十年ですか……歳を取るわけですよ」
自嘲気味に笑い、朧へ視線を向けなおすとテドはまた柔らかく笑った。
「生きていれば十七歳……あなたの様に快活な子だったと、今でも思わずにいられないですよ。久遠さんは些か羽目を外しすぎる傾向がありますけどね」
「テドさん、もしかしてあの事件に?」
セオの言葉にテドは小さく頷いた。
虚ろう瞳に力はなくただ憔悴したまま視線を地面へと落した。
「えぇ……俺も父親で居られた時期がありました。ただ、普通の子供ではなくエリクと同じように調律能力を持たない魔力蓄積体質の娘の、でしたが」
そして、その当時のことを知らない朧は疑問の視線をそのままセオへとゆっくりと向けた。
「構いませんよ。俺はもう思い出すことに疲れましたから……」
心の底から疲れたように呟いた彼に、サバスはようやく空いている椅子を勧めて座らせた。
説明を引き受けたセオは当時の記憶と、その後に目を通す機会があった資料を思い出し頭の中で整理していた。
「アクア事件、別名では『悲運の藍玉の魔術師』とも言われたマナの暴走消失事件があったんだ。この街に住んでる人間ならまだ記憶してると思うけど……協会の見習いマナテイマーたち十数名と共に消えた」
「それ……知ってる……」
呆然と呟いた朧に驚いたテドが顔を上げた。
それに無意識のまま小さく頷き返していたが、彼の顔を見ることはなく再び両腕の間に隠れるように項垂れた。
「事件の内容自体は知らないけど魔術図書館で偶然見つけたんだ。著者も不明で妙に印象に残ってたから……でも、なんで? 何で今なんだよ!」
叫んだ朧に同じように頷いたのはセオだけで、話の切り口を聞いて全てを理解していたのは親友でもある男だった。
「もう直ぐなんですよね。あの時、本当に些細な事でアクアと喧嘩していたんです。仕事で、誕生日を忘れてしまって……」
胸の奥にひたりと広がる喪失感を改めて感じながら彼は壁に掛けられていたカレンダーを眺めた。
何の変哲もないカレンダーには団長の予定だけが赤いペンで書かれているだけだった。
しかし過去にはそのカレンダーにも別の色で様々な事を書いていた。
「追いかければよかったと、今でもあの娘の誕生日になると夢に出てくる……」
声を僅かに詰まらせたテドの脳裏には愛娘の誕生日を記していたカレンダーが思い浮かんでいた。
そしてそれを最後に誰もペンを取ることなく、ただ事務的な内容を記すだけになった。
「当時からコイツとは付き合いがあってな。まだ俺が情報管理部の一員だったとき、あの事件の少し前から情報の整理を手伝って貰っていたんだ……だから、あの事件の一端には俺の責任もある」
「旦那……」
再び訪れた重たい沈黙に朧は言葉を失くしていた。
「今、この首都内に封殺結界が張られる様になったのも、ヘルマタイトの護符石が配布されるよになったのも、クロウ団長たちのおかげなんですよ」
ほんの僅かに暖かな色を瞳に浮かべた事も気が付かず、テドは己の隣できつく口端を噛むサバスに視線だけを送った。
おそらく自分を叱責しているのだろうと見当をつけながら彼は、ゆるく頭を振り掛けたかった言葉を飲み込んだ。
「出来る事がそれくらいしか無かった。もっとも、シオンにはそん時から迷惑は掛けてたが……」
サバスはどれほど自分自身が不安気な表情を映し出しているのか、相対する守護者たちの気配から感じ席を立った。
コーヒーポットの底に僅かに溜まるだけのコーヒーを自分のマグに移し淹れ、新しく淹れなおすフリをしながら深くため息をつくしか出来なかった。
「でも、自分には分からない。どうしてそれがこの一連の事件に繋がるんだよっ?」
朧は覚悟を決めたように疑問を真っ直ぐにテドへ向け、答えを待った。
「協会に情報の一般公開を求めて争った……と言うのも一つですよね?」
しかしテドからの答えも無く、横から口を挟んだセオに朧は些か睨むように視線を向けたがそれでも気になる内容ともなり突っかかるのを抑えた。
「えぇ、その通りです。でも、俺一人が食って掛かっても高が知れている」
「セオ、何か知ってるのか?」
「……その、情報公開を拒否してたのがうちの親父なんだよ」
そう呟いたセオは苦虫を噛み潰したように渋い表情のまま、項垂れた。
これには流石の朧もサバスも驚いてセオを見た。ただ、当事者であるテドだけは言葉もなくきつく唇を閉ざしていた。
「一般人に与える情報は必要最低限でいい。協会は世界の中核にあってこそ国に属さず中立でいられる……要するに、協会にとって不利になる研究も情報も全て表には出すなって言う事だ。
魔力蓄積体質のその情報公開に至った経緯にクロウ団長たちが関わっていたのは知らなかったけど……」
そこで一度言葉を切り、冷め切ったマグに手を伸ばしていた。
「親父はアクア事件よりも前から、調律能力を持たない人間の危険性は知っていたんだ。だけど、その危険がこの街に及んでいないという理由だけで、秘匿してその対応策もロクに立てずにいたんだ。余計な不安を与えないようにとか言ってたけど……
自分の周りで事件で起こってないから捨ててただけだ」
一瞬だけ苛立ちを露にしたがコーヒーを喉に流し込み、感情を押さえ込んだ。
怖いと、恐怖を感じることが無かったと……それだけを願うしかもう出来ない。