27.再動の獣
何があったんだ……? あんな表情、そう滅多に見られるもんじゃない。
「セオ!」
既に現場に着いていたセオは呼び声のした方を探し、朧の姿を見つけると僅かに青ざめた表情を更に歪めて側に来るように促した。
野次馬の多さに苦労して抜け出した朧は、鼻腔の奥に張り付くような血の匂いにうっと小さく呻いた。
人目につかぬようにと遺体には厚手の布が掛けられていたが、その地面を濡らす血の量は隠せるものではなかった。
ざわめく人々の中に怪我の治療を受けるハンターの姿もあり朧は、ゆっくりと布を捲りその顔を顰めた。
瞳は閉じられては居るが遺体の表情は苦痛を表し、それを物語るように右肩の一部が抉られるように無くなっていた。
「ヒドい有様だな」
名も知らぬハンターに短く黙祷を捧げ、静かに後ろに立った気配に顔を上げた。
「朧……いいか」
呼び出され、布をもう一度丁寧にかぶせ直しセオの後姿を追った。
いつになく言葉少なく現場にいた仲間と話し、後で情報を貰えるように頼みセオは人ごみを避けるように近くの店の影に入った。
「ただの殺人事件、とかそういう類じゃなさそうだな……」
「あぁ……治安維持部所属者、全員に最警戒令がでた」
「どういう事だ? てか、まだ詳細すら聞いてないんだけど」
翳るセオの表情からただ事ではない事はわかるが、事態はそれ以上になっているようだった。
それは、先日の協会員襲撃事件よりさらに深刻な問題といえるだろう。
朧が覚えている限り、最警戒令が発令されたのはこれで二度目。最危険人物がアーヴェラ近郊に潜んでいるという情報がもたらされた時ぐらいだった。
もっとも、誤情報ということであまり日数のたたぬうちに解除された経緯もある。
幾度か視線を彷徨わせ、軽く肩を落す相棒に朧は眉を顰めたまま腕を組み先を待った。
「どれから話すべきか……オレも少し整理がついてない」
「……なら、まずはあの遺体について教えてくれ」
青い顔のままセオは小さく頷き、背にしていたアルテミスを一度地面へ降ろし現場へと視線を向けた。
「身元はまだ確認中だが、見ての通りのハンターだ。襲われたのは今から四十分ほど前、あっちで手当て受けてる奴とチームを組んでたらしい」
そこで一度、言葉を切り話すための状況をもう一度思い出していた。
襲われたハンター達は協会の西にあるダガズ区から、これから協会に赴き次の旅の準備をしようと話しながら歩いていたところ、後ろから突然襲われたということだった。
ただ、セオが一番躊躇ったところはこの次だった。
「背中にデカイ傷を持ったブラックボアホンだった……らしい」
曖昧な言葉ではあったが朧は背中に冷や汗が浮き上がるのを感じ、言葉を失くしていた。
「それだけじゃない、そのブラックボアホンは魔法すら使うそうだ……」
「なっ! なんだよそれ……だって、あいつらそんな芸当できなかったはずだろ!」
「……いや、正確じゃなかったな。殺されたハンターは魔法も多少使えるヤツだって話だ。肩の抉られた傷は、そいつの魔法を文字通り食って返されたものらしい」
信じられないと言うように緩く首を振りながら答えるセオに朧は、問い詰める言葉もまた失った。
鉄を通さない頑強な毛に、魔法を喰らいそして相手へ返す技。
「デタラメ、過ぎるだろ……」
「そう言える義理でもないけど、オレもそう思うよ。だが証言も多い……一時的にそのブラックボアホンは退いてるが、この前みたいにどっさり来たら、オレたちだけじゃなくシオンさん達だってまともに戦えるのか分からないし」
呆けたように返すしか出来ない朧に、セオも同じように頷いてみせた。
「……そういえばエリクはどうだ? 平気そうか?」
いきなり問われた朧は数秒間を空けてからゆっくりと確かめるように頷いた。
「あ、ああ……今は自分の部屋に居る。少し、連れまわしてきたから大分、気が晴れたみたいだ」
「そうか、なら戻る前にもう一つ大事な話しがある……移動するぞ」
「此処じゃまずいのか?」
「とにかく、来てくれ……」
そう言ったセオが先を歩き始め、朧も静かにその後を付いて行った。歩きながら見る街並みは以前の活気を取り戻しつつあった。中央ジャラ区に向かい南北の大通りには多くの商人たちが店をだし声を上げて客を引き寄せていた。
当然、目ざとい彼らは朧とセオを見つけると気さくに声を掛けてきたが二人は、軽く挨拶程度に答えるだけで通り過ぎていった。普段ならば、朧が足を止めその商品のめぼしい物を手にとり、気に入れば即座に買っていくのだが今の二人にその余裕はなかった。
漠然と広がる不安を押し殺しながら、怪訝そうな表情を浮かべる商人達には「仕事が終わったらまた来るよ」と声を掛けるしか出来なかった。
人々を不安にさせないように気をつけながら笑顔はいつものままに、それでも急いで先に歩くセオを追いかけていく。
身長が違えばその歩幅も違う。幾分か必死に追いかけ、見慣れた風景が戻ってくるとセオの横に並びその表情を窺った。
「……ここだ」
そして足を止めたところは朧の予想していた通りサバスたちがいるイングワズ自警団の詰所だった。
セオと朧の二人が詰所の扉を開くといつものように、迎えるはずの人の姿はなく、代わり疲れ果てた表情のサバスがタバコを咥えたまま二人を迎えた。
「セオ、悪いな」
「いえ……」
短いやり取りだけでサバスは二人に椅子を勧め、来客用のマグを取り出した。
「サバスの旦那……」
聞きたいことはあったがいつもは広く大きく見える男の背が、小さく感じ言葉を飲み込んだ。
「休みだったり、巡回で他には誰もいねぇよ……」
コーヒーを落としながら返してきたサバスに、朧は「そっか……」とだけ呟いた。
そして淹れたばかりのコーヒーをテーブルの上におき、二人に相対するように座ると横に置いたままのファイルの束を二人の目の前に置いた。
「俺は、正直どうして良いのかわからねぇ……どうしたかったのかも、だ」
俯いた拍子に咥えていたタバコの灰がわずかに地面へ落ち、サバスは足で灰を踏み潰していた。朧自身こうも連続で暗い顔ばかりに遭うと言葉もうまく出なくなり、ただ不安そうに己の胸元を無意識のうちに握るしかなかった。
「とりあえず、先にいいですか?」
小さく手を上げたセオに二人が注視すると、その手を下ろした。
「写真とそれに付随する情報に関してはシオンさんの手回しで、一部の上層部を抜きにして差し押さえてます」
「ああ……また、ヤな役ばかり押し付けてすまないな」
「それは多分平気ですよ。エリクにもまだ伝わってはいません。それとヘルマタイトに関しては仲間の協力でどうにか確保できました。近いうちに届くよう手配してあります」
重たい空気を振り払いたいように、少しでもいい情報を渡すと幾分か二人の表情が和らいだ。
「そうか……助かった」
素直に安心した表情を浮かべたサバスに対し、ようやく朧は意を決したように目の前に置かれたファイルへ手を伸ばした。寮の中でセオから見せられた資料と同じものがそこにあった。
そして、写真も。
朧が回収したカゴを始めとした煤けた触媒と中身の写真、人影の写ったものだった。
「サバスの旦那、ちゃんと……説明してくれるんだろう?」
顔を上げて目の前に座る男の顔を見るが視線を合わせられず、直ぐに別の場所へと視線をやってしまった。
誰も何も言葉を発することが出来ず、厭な沈黙だけが詰所の中を支配しそれを打ち破ることが出来ないでいた。
「久遠さん、それに関しては俺が説明しますよ」
後ろからいきなり掛かった声に、朧は驚き思わず椅子から立ち上がり振り返っていた。
いつもよりか少しだけ困ったような表情を向け、どうぞ、と座り直すように進めた。
しかし、朧はそんな言葉も耳に入らず呆然としたまま立ち竦んだ。
ぼさぼさになった髪と無精髭は普段の彼からは想像できず、よれた上着を肩に引っ掛けているだけの姿。
そして、なにより腕に掛かる銀色の細い鎖の存在が朧自身の心を締め付けていた。
戦慄く唇は言葉を音と発するには頼りなく、一度息を飲み込みようやく言葉となった。
「テド……さん……」
「あの後、本当は直ぐに協会に出向するつもりだったんですがね……」
自嘲気味に笑ったテドに、朧は唇をきつくかみ締めていた。
「クロウ団長に止められてしまいました。あまり先延ばしにしても、ろくな事にはならないでしょうに」
「……俺だって、馬鹿な事をしてる自覚はある。だが……」
「そうですね、あなた方が来るまで何も話すつもりもなかったですから。その辺りは感謝していますよ」
表情を崩さずテドはもう一度席に着くように促し、それに従った朧に小さく優しい笑みを浮かべた。
どうして不安って言うのは連鎖するんだ。