24.沈黙し振舞え
進展しなくても良い、ただ……何かはしてやりたい。
「なんだよ? そんなに慌てて」
朧の冷ややかな言葉に、セオは頷き返し一度だけ蹲るエリクを部屋同士を繋ぐ内ドアから盗み見て相棒へと向き直った。
「聞かれると不味いのか?」
「あまり動揺の種を増やしたくないだけだ。お前と違ってあのくらいの年頃は繊細だからな」
「どう言う意味だ! ったく、それよりなんだよ……わざわざ人様をからかうつもりで呼び出したのかよ」
盛大に肩で息をついて見せた朧に、セオは無言で手にしていた資料を数ページめくり上げ事件に関わった人間の証言を記録したページで手を止めた。
「これがどうした?」
横から覗き込んだ内容のほとんどは朧自身が直接アーヴェラの街で見聞きした事と同じだった。
しかし、セオは次のページをめくり読んでみろと資料ごと朧へ手渡した。
「不審者の目撃情報、でてたのか? 情報管理部もこういうのは出た直後にまわせよ。すげぇ、踏まなくていい足踏んだ気分だ」
「阿呆、出せなかったんだよ……」
軽く頭を叩かれた朧はわずかに唇を尖らせてセオを睨むが、先を読むように促されてもう一度資料へと視線を落とした。
次のページには写真が数枚印刷されメモが走り書きされていた。朧がシオンに引き渡した黒くなった箱の写真もその中にあり、解析の結果もセオから聞いたのと同じように書かれていた。
そして次のページを捲った時、朧の手が震えて止まった。
「……何だよこれはっ」
「オレに当たるなって。詳しい事は今シオンさんが確認してるらしい」
「なら、直接会ってくる!」
怒鳴る声こそ抑えられたが、投げつけかねない勢いで資料をセオに押し返した。
「おい、待てよ!」
部屋を出ようとした直前で朧の手を捕らえると、資料が落ちるのもそのままに思い切り引き寄せドアノブに手が掛かるのを阻止した。
「どうして、お前はそう短絡的に動いてくれるんだ?」
「自分で見聞きしたことしか信用したくない」
「はいはい、立派な信条掲げなくて良いから。まだ写真については情報管理部も調べてるから結果を待て。下手に動くほうが危ないだろ?」
「……待てるかよ! こんなっ、間違い以外な……い」
「朧?」
息を呑むように途切れ俯いた朧に彼は怪訝そうに顔を覗き込んだ。
何かを思い出すように朧の光を宿さぬ菫色の瞳は既に此処ではない何処かを彷徨い始めていた。それが思考に深く埋没している証と知っていたからセオも沈黙した。
「わかった……連絡は直接こっちに回ってくるのか?」
「いや。ただ、シオンさんには連絡が行くはずだから、オレたちに来るのはその後だろうな」
突然手の平を返した朧にセオは驚いたが、真直ぐに向けられた視線に入れていた手の力を自然と緩めた。
「……なら待つ。もう飛び出したりしないから、離してくれないか?」
「っ! わ、悪い……」
慌てて手を放してやると朧は小さく笑い、シャツの裾を払って見せた。
「セオの迂闊さ加減も、なかなか……」
からかう声にセオはもう一度だけ短く謝り、落ちた資料を拾い上げた。
「とりあえず、お前は残ってる報告書と始末書、書いとけよ」
「少し、頭ン中整理してくるついでにやるよ」
改めてセオから受け渡された資料には今しがた見せられたものが抜き取られていた。
「出来たらまた見てやる。それと、余計なこと言うなよ……」
「大丈夫だって。自分だって、嫌われるのイヤだし」
何気なく言ったはずの言葉は朧の胸元で厭な重さを残した。
そして、朧は部屋に戻るとベッドの上で身じろぎもしない少年の隣に座り、ハードファイルを下敷きの代わりに報告書を書き纏め始めた。
部屋の中は手元から響く筆記音しかなく静かだった。明かりも大きな窓から入る太陽の光で十分すぎるほど室内を照らし、そよぐ風も青々と茂る木の葉を揺らす音色で外の穏やかさを感じ取れる気持ちの良いものだったが、二人の間は気まずい空気のままだった。
次第に周りの音も耳に入らないほど集中し、セオからもう一度渡された資料を数枚確認しては順を追って書き加えて事件の流れを確認していた。
この証言通りなら違うはずなんだ。第一、あの人が関わる理由が、無い……。
縋るような思いで最悪な考えを振り切り、一区切りつけたところでペンを置き隣で沈黙を保っていた少年を見やった。
いつの間にかエリクは不安な茶褐色の瞳を瞼の内に収めて眠っていた。
「静かと思えば……」
決して穏やかとはいえない寝姿ではあったが、少年を起こさないように気をつけて隣を退くと寄り掛かるタイミングをなくしたように小さな体がベッドに受け止められた。
朧はエリクの足元に置いていたタオルをかけてやり、自身は仕方なしに机に戻り続きを書き始めた。
日が僅かに赤みを帯びてきた頃、エリクは弾かれたように飛び起き辺りを見回した。そして、視界に机に突っ伏して寝ている朧を見つけると少しだけ安心したように胸を撫で下ろし、長く息を吐いていた。
「最悪……な、夢だったな……」
呟きながら己の両手足が無事な事を確かめ、夢を思い出して体を小さく震わせた。
黒い獣達に追われ、追い詰められ嬲るように殺される夢。
それはやけにリアルで痛みも血の匂いも感じられるほどで、掛けられたタオルに気がつき体ごと抱きしめた。
「死にたくない……」
嗚咽交じりになるエリクの耳に小さく椅子が軋む音が響いた。はっと顔を上げるといつのまにか直ぐ側に朧が立っており、掌がそっと栗色の髪に置かれた。
「なっ……なんですか……?」
「気にするな。したいから、してるだけだから」
困惑し嫌がる表情を浮かべたエリクだったが朧は気にもせず、ぐりぐりと少年の頭を撫で続け一通り髪をぐしゃぐしゃにさせると満足したように笑って手を放した。
「エリク、少し外に出るぞ。と言っても協会の敷地内だけどな、そう滅多に入れないと事か行って見たくないか?」
「え……?」
悪戯っぽく笑う朧に対しエリクは再びその表情を翳らせ、乱れた髪を手櫛で整える振りをしながら俯いた。
「でもボクは……外、出たくないです……」
「ダメ。部屋の中でウジウジしてるくらいなら、外に出てたほうが気が紛れる。それに自分もずっと部屋に篭りっぱなしでいい加減飽きたんだよ」
思いもよらぬ強引さと力で朧はエリクの腕をとりとベッドから引き摺り下ろし、立ち上がらせた。
「嫌だっ、放っておいてくださいっ!」
掴まれた腕を振り払おうとしたが、朧の手が外れることも無く逆に優しく微笑み返されエリクは視線を逸らすという抵抗を続けた。
「叫ぶ元気があるなら大丈夫だろ? 別に部屋の中も他の敷地内もなんら大差は無いし、それとも自分の案内じゃ不足か?」
意地の悪い言葉にエリクは小さく首を横に振るしかなかった。
こういう状況でもなければ素直に喜び、可能な限りの全てを見たいと思っていたが少年はそれでも顔を上げることはなかった。
「ああ、これ忘れるトコだった」
朧が引き出しに収めていたコレクションケースから瑠璃色の小さな石のついたネックレスを引っ張り出すと、エリクの首にかけた。
「これは……?」
「無くすなよ」
良い音を立ててまたエリクの柔らかな頭を叩き、その手を取って部屋の外へと出て行った。
困らせてるのも分かってるけど、何もしたくない。