22.夜の決戦 -後-
まずは、距離を稼がせないとダメだよな?
「カイト、もう平気なのか?」
朧はカイトの澱みない動きに関心したように、攻撃の合間を縫って問いかけた。
「どうにか。団長の知り合いに魔法医が居たからそれで無理やり直してもらったすよ」
「そっか悪いね。治ったばかりで」
「頑丈が取柄っすからね、大丈夫っすよ!」
答えながら宙を返りブラッドボアホンの攻撃を躱すと朧が素早く懐へ入り込み、アルゲスを突き立てた。
ブラックボアホンの攻撃は慣れてしまえば単調で、叩き潰してくるか薙ぎ払うかのどちらかの行動が多かった。
それに気が付いた二人は入れ替わり立ち代りに攻撃を仕掛け、獣の凶暴な目をぐるぐると回していた。
朧の上から斬りつける攻撃を防げば、カイトの足刀が細い足首を思い切り蹴り払いバランスを崩させる。そうなれば防ごうとしていた頭部ががら空きになり雷を纏ったアルゲスが容易にその急所を穿つといった具合に、確実に数を減らしていた。
「魔法が使えれば、もう少しマシなんですけどね」
「まあ、結界の中じゃ仕方ないさ」
「大丈夫、残念ながらアーヴァンなら魔法使えなくても戦闘感覚いいから」
「あなたが僕を誉めるとは、明日は雷雨ですかね?」
「せっかく褒めたのに、酷いわ!」
マナテイマーであるアーヴァンは同僚から借りた小振りの剣を振るいながら、セオに襲い掛かるアンドッグを切り払い、イルド自身も同じ剣を振るいながらブラックボアホンの攻撃を必死に受け流しながら、軽口を言い合う二人にセオは内心で舌を巻いていた。
連携もそうだが、互いに信用しているからこそ背中を気にせず目の前の敵に打ち込める二人の姿勢が素直に羨ましいと思っていた。
二人の合間を抜けるように次々と矢を居るセオは、いささか苦戦を強いられている朧たちへと目を向けた。
朧とカイトの二人には何故かブラックボアホンたちが集中していた。彼は、その巨躯を盾に迫るアンドッグに狙いを定め矢を放った。
「それにしても、数多すぎね?」
イルドの呟きに誰ともなく頷いた。引き付け集めたとはいえ、今までの数倍の数の黒い獣たちに内心冷や汗をかいていた。
倒しやすいアンドッグの数は着実に減らしてはいるが、ブラックボアホンの数は一向に減る気配が見えなかった。
他の守護者たちが束になって、ようやく倒せるような巨体をシオンは小柄な身をそのままに一体一体を確実に葬っていたがそれでも、手に広がる汗は拭いようが無かった。
そして誰かのくぐもった悲鳴に朧が声を上げ、助けに向かおうとしたが振り下ろされた黒い拳を受け地面を転がった。
「チッ、結界が裏目に出てるようなもんじゃねぇか」
悪態を付きながらブラックボアホンの足元から飛び出してきたアンドックを切り払い、カイトの援護を受けて活路を見出すと朧はそのまま飛び込み、倒れたまま動かない仲間を担ぎ路地の影へと移動させていた。
「アルゲスッ!」
愛剣の名を吼え、先ほどよりも強い光を帯びた太刀筋は真っ直ぐにブラックボアホンの喉元へ吸い込まれていた。
焦燥と苛立ちが広がって行くのを感じたシオンはセオの元へと走り始めた。
「二人とも一掃する、支援しろ。守護隊長、シオン・キュエールの名においてアルゲス、アルテミスの封印解除を許可する!」
シオンの高らかな宣言に併せるように、二人の胸元に掛けられた紅赤色のリード石が赤い輝きを増した。
「えぇっ! シオンさんってばこの状況でアレやるの?」
「朧、諦めろ。始めっからこう言うつもりだったんだから」
息一つ乱さずにセオの隣に立つとシオンは己の血を刀に吸わせて鞘へと収めた。
それを見た朧は先ほどまでの苛立ちも忘れたかのように息を吐き出し、小さく笑った。
「イルド、カイト! 少し時間稼いでくれ!」
「アーヴァンはこっちの援護に回ってくれ!」
朧とセオの指示に従い、それぞれが動き始めたのに合わせ側へと駆けつけていた。
「まあ最後は任せるってことで。頼むぜ、セオ?」
「あんまり任されたくないが、頼まれてやるよ」
視線を一瞬だけ重ねた二人はシオンを後方に構える形で、朧はアルゲスを地面に切っ先を触れさせ、セオは深く息を吸い込み互いの呼吸を確かめるように数秒の沈黙をした。
「一閃とともに魔を断つ力を」
「月の狩人の祝福を我らに」
二人の祈りの言葉を背に聞きながら、イルドたちは波紋のようにゆっくりと広がる力を感じていた。
「すげぇ、これが神器の力か?」
「なんだかいける気がするっすね!」
「ほら、ぼさっとしてないで手を動かしてください!」
イルドはその辺にあったものをブラックボアホンへ投げつけ注意をひきつけ、カイトは飛び掛るアンドッグの顎にハイキックを叩き込んでいた。
アーヴァンはカイトが取り逃がしたアンドッグを斬り伏せていく。
ざわりっと朧たちを中心に風が広がり二人の掌の中に収められていた神器が力強い光を湛え始めると、突風のような風が辺りを吹き荒れ始めた。
「血には血を、愚かな力に振り回される愚者に裁きを」
「閃光は全てを薙ぎ払う」
「女神の腕は全てを包む」
シオンは自分の周りに力が集まるのを確かめながら、低く構えを取った。
アルゲスから吹き荒れる力をアルテミスが優しい流れに変えるように周囲へ力を分け与え分散させているようだと、ふとアーヴァンは思った。
同時に自らの変化だけでなく、周囲の力の流れを感じてはっと顔を上げた。
「すごい、結界の中なのにマナの活動が飛躍的に上がっている……」
「なら、お前も少しは参加しろ」
イルドがニヤニヤと笑いながらアーヴァンを嗾け、彼もまた朧たちのほうへ伺いを立てると力強く頷き返された。
「ならば行きますよ。カイト、援護を」
「任せろっす!」
短い詠唱とともにアーヴァンの周りに赤い炎が蠢き始め、イルドもカイトとともに詠唱が終わるのを援護していた。
「ファイアヴォルテック!」
アーヴァンの呼び起こした炎は三つに分かれ、黒い波を駆け抜けていった。
しかし、守護者たちを苦しめたのは伊達ではなかった。
魔法を苦手とするのかブラックボアホンたちはその炎に足を止めたが、アンドッグたちは逆に勢いを増してイルドたち三人に襲い掛かっていた。
「うわあ!」
「いってぇ!」
腕に噛み付かれ、振り解けないイルドにカイトが助け舟を出すがその間に数匹のアンドッグが朧たちへと向かっていた。
「朧っ!」
「避けろ!」
アンドッグの一匹が朧へと襲い掛かったが、半歩ずれただけで致命傷を避け、詠唱を続けたまま黒い背中を蹴りつけ吹き飛ばした。
気が付くと二人の体が光を纏い、地面に添えられたアルゲスの切っ先から広がるように幾何学模様の魔法陣が広がり、アルテミスが後を追うように文字を刻んでいた。
「命の尊き、愚弄するものを深遠の淵へ」
「魂は白銀に煌き、天の傍らに」
「お前の相手はコッチだっての!」
イルドは叫び、吹き飛ばされ顔面から地面へ落ちたアンドッグを斬り付けた。しかし、硬い毛が刃を弾き体勢を立て直した獣は鋭い牙で彼の腕の一部を咬み切った。
赤い涎を流しながら、ぺろりと舌なめずりしたそいつにカイトが飛び掛り、天から地へ勢い良く落とした踵にアンドッグの額が嫌な音を立てて割れた。
「っ……負けるかぁッ!」
熱く血を流す腕の痛みに意識が飛びかけるが勢い付いている流れを堰き止めまいとイルドは気迫で耐え、アーヴァンが駆け寄り治癒を施すが、止血程度のものとなった。
アーヴァンを主軸に切り替え、朧たちに近づけないように獣たちの注意を一心に惹きつけていた。
「神の名をもつ汝、今一度その奇跡を我らの前に」
「神の名をもつ汝……くッ!」
アーヴァンの炎の壁を駆け抜てきた一匹のアンドッグが朧の喉元を掠めていった。
しかし、それでも二人は揺るがずに互いのうちに膨れ上がる力を確かめ合っていた。
「今一度、その怒りを力に集え、アルゲス!」
「示せ、アルテミス!」
二人の詠唱が完成したと同時に、紫電と銀月の光があふれ辺りを覆った。
「悪しきを絶つ魔の力を示せ! 叢正、蓮華朱雀!」
「閃光迅雷!」
「月華乱舞!」
シオンは言葉とともに己の血を更に刀に吸わせ、朧とセオが呼び集めた力の流れに乗せるよりも荒々しく刀を抜き放った。
そして、後を追うように朧はアルゲスに巻きついた魔方陣を引き千切るように振り払い、セオも止め処なく零れ落ちる文字をアルテミスを返し宙に巻き上げ、弦を引き放つと無数の銀の矢となった。
円を描くように広がった衝撃は黒い獣たちを次々と切り裂き、しかし、側に立つイルドたちにはなんら障害も与えずにいた。
「す、すご……」
広場を埋めるようにいた黒い影が一つもなくなりカイトの呟きにイルドも呆けた表情のまま頷き、やがて何処からか響いた歓声にようやく、朧も脱力したように手を膝につき相棒に向かい笑いかけた。
――――パキッ ――――ギ、キィィィッ。
「あ……!」
「……うむ」
「うぇっ!」
「ああ!」
「えっと……」
「何っすか、あれ!」
不快な音に頭上を見上げたセオをはじめ、シオン、朧、イルド、アーヴァン、カイトがそれぞれ続いて声を上げた。
局地的に集約した強大なマナに結界が耐え切れず、耳障りなその音を最後にガラスを砕いたような甲高い音を立てて崩れ落ちた。
それは一行から遠く離れた場所で息を整えていたエリクにも影響を与えていた。
酷く痛む胸を押さえ、壁に凭れ掛かるのがようやくだった少年はもう一歩と前へ進もうとしたが呼吸も侭ならなくなり、ぐらぐらと歪む視界のすみで小さく青い破片が舞ったのを見た。
「あ、腕輪が……」
結界と同じようにヒビの入った腕輪が澄んだ音を立てて崩れ落ちた。
それは身を守るべき物を失った証。
エリクは締め付けられるような胸の痛みに喘ぎ、膝を折った。
全身から急速に体温が失われるような喪失感に恐怖を抱くと、激しく咳き込んでしまい新しい空気を肺に送ろうとしても上手くいかなかった。
誰かに助けを求めたくても指先一つ自由に動かず、酷い耳鳴りが襲ってきていた。
「エリク――ッ!」
その声が誰のものか、薄れる意識の中の少年には判断が出来なかった。
こんなところで、ボク……死ぬの、かな?