21.夜の決戦 -前-
いや、もう……本当にひと段落付いたら大人しくしよう。
セオは懐中時計を確認して再び必死に女剣士の鋭い一撃を避ける相棒へと視線を向けた。
「もうどうなっても知るか! 行くぞ、アルゲス!」
朧自身も覚悟を決めたように愛剣の名を叫び、その力を呼び覚ました。
鋭い音を立てて輝く白刃を見つめるシオンの薄く笑う姿は美しいとさえ思えたが相対する朧は腹の底が冷え、それを振り払うように斬りかかって行った。
黒い獣と戦うときとは違い、むやみに力を乗せた攻撃ではなかった。腕をしならせるようにアルゲスを振るい、切り払うがシオンはそれを片手で軽く受け流し、がら空きになった腹へ膝をめり込ませていた。
「どうした? それでは守護者最強と謳われる『白雷』の名が泣くぞ」
「かはっ……!」
万全の体調ではない事はシオンも承知だったが、それでも彼女の手は緩まることなく素早く白いコートの襟首の奥を掴むと、体全身を軸に地面へと叩きつけた。背中から走り抜ける衝撃に朧は完全に視界を失い、呼吸もままならなかった。
「朧さん!」
「大丈夫だから、落ち着け」
ぐったりと動かない朧の元へ駆け寄ろうとしたエリクをしっかりセオに抑えられてしまい、少年は困惑したまま二人を見守るしかなかった。
しかし、シオンは留まることなく朧の胸倉を掴み立ち上がらせ、乱暴に投げ捨てるように地面へと放り投げた。
今度は地面に叩きつけられる前に視界を取り戻し、迫る石畳にアルゲスを持つ手ごとついてその手を支点にシオンへ鋭い足払いをかけた。
「振りが大きすぎるのぉ」
自分の間合いを取れずに四苦八苦している朧に対し、シオンは足払いを更に前に詰めて避けると上から軸にしていた右腕を踏みつけた。
「ぐっ……くぅ、ホント容赦ねぇな……」
痛みに呻き、愛剣が手のひらから零れ落ちた。
「ほれ、どうした? まさかこれで終わりというわけでもあるまい?」
「トーゼンッ!」
朧は上半身を力任せに起こすと腕ごとシオンを弾き飛ばした。
痛む右腕を叱咤しながらアルゲスを拾うと掬い上げるように斬りあげ、ビッと布が切れる音にシオンが僅かに顔を歪めて己の腕を見た。
彼女の半袖の先が綺麗に斬られ、なぞる様に腕に赤い筋が浮かび上がった。
「あ……掠った」
そして、それを成した朧のほうが呆気にとられていた。
「お主が呆けてどうするっ!」
「うわっ!」
横薙ぎに風を切る刀を受け止めたが、やはり力の差のせいか受け止めた直後に変わった軌道に必死に首を逸らして切っ先を躱しただけでも、自分を内心で褒めていた。
「セオさん! 本当に止めないと朧さんが!」
「お前……あの二人の間に入る勇気あるか?」
「でも、二人が戦う理由なんてどこにもないじゃないですか!」
「うーん、ただの喧嘩だからなぁ。まあ、本当に意味がないならオレも止めるけど。だからメンドくない方を選ぶ」
笑うばかりで止めようとしないセオに少年は「もういい!」と叫び二人の間に飛び込んでいった。
「!!」
いち早くエリクの動きに気が付いたのはシオンで、切り掛かろうとしていた刀を止めたが朧はその手を止められずにいた。
「はあっ!」
短い呼気のあとに朧の剣に強い衝撃が走った。
「ぐぅ……っ!」
じぃぃんと痺れる腕に顔をしかめたが事なき事を得た結果に安心し、シオンは蹴り上げた足を地に下ろすとふっと短く息を吐き出した。
「邪魔をするでない、エリク」
シオンの冷ややかな言葉に、エリクは二人の間に立ち首を激しく振った。
「嫌だ!」
「自分なら平気だから、そろそろ次の準備でもしようぜ?」
怒鳴るエリクをたしなめたのは朧だった。痺れる腕を振りながらアルゲスを左手に持ち替えセオへと視線を向けた。
既に彼もアルテミスを持ちその手に矢を持っていた。
「エリク、お主が口を挟む事ではない。それに……これはセオ、お主の企てだな?」
「はは……やっぱバレた? でも、シオンさんってば本気で朧とやるからさ少し焦ったよ。準備運動にしては激しすぎだったんじゃない?」
「セオ、お前って時々酷いことするよな。人を餌にして……」
朧の言葉に二人は即座に「人のことが言えるのか!」と返し、訳が分からず呆けているエリクには朧自身が目を向けていた。
「まあ、シオンさんにも一つお手伝いしてもらおうと言う結果だ」
両腕を大きく空に伸ばして肩を回していた朧が軽く片目を瞑って笑った。
「え……? それ、どういう事?」
「説明は全部終わってから。強制移送が出来ないから頑張って逃げろよ?」
「朧、時間だ!」
戸惑うエリクの背中を軽く叩き走るように促し、側にあった時計で時間とセオがその手に番える鋼鉄の矢を最大限にまで引き伸ばしているのを確かめた。
そして、路地の奥や家々の屋根の上を掛ける黒い影が続々と視界に入り始めた。
「その説明には私も入って居るのだろうな?」
「そりゃもちろん。しないとさっきより酷い目に遭いそうな予感がするよ。むしろ生きてる保障も限りなく低そうだし」
「良く分かっているの。私を謀った罪は重いぞ」
先ほどまでとは打って変わり面白そうに笑ったシオンの姿は既に幼い少女に戻っていたが不敵さは変わらずにいた。
少年は首を捻りたかったが迫り来る黒い獣達の数の多さに体が震えていた。
「な、なんだよ。この数は……」
「エリク、一応程度だけど、援護するからちゃんと逃げろよ」
わかったな? と視線で問いかけるとエリクは不承不承ながらに頷き返した。
黒い影の一団の手前に走る人影を見つけるとエリクは声を上げそうになったのをどうにか押さえ込んだ。先に走るのはイルドだった。
それだけではない、他の道からもそれぞれカイトやアーヴァンが走り、援護するように守護者たちも走っていた。
「いやぁすげーな。四区分を全部集めるとは聞いたけど……想像以上の数だわ」
何か緊張の糸が切れたように声を上げて笑った朧に、仲間たちが冗談めかしたように非難の声を上げて手を振った。
しかし、それも一瞬で終わり守護者たちは四方八方へと散開していった。
「ま、いいさ。こんだけの数を一掃すりゃ相手もそう簡単には事件起こせないだろうしねぇ」
「そうじゃなきゃ困るんだよ」
セオの嘆息交じりの返事に朧も頷き返し、足先を何度か地面に打ちつけて走り出す体制を整えていた。
「セオ! あとは任せていいよなっ?」
「少しは手伝う気はないのかよ」
イルドの言葉にセオが返すと朧は少しだけ意外そうな顔を浮かべたが、すぐにエリクの両肩を掴んで体を後ろに向かせた。
「お、朧さん……」
「大丈夫だからまた後でな。走れっ、エリク!」
不安そうな目で朧を見上げたエリクの背中を強く押し出し、振り返りながらも走り始めたのを確かめてから両手でアルゲスを握り締めイルドの方へと走り出した。
「おい、当たるなよ!」
ほぼ同時にその言葉とともに引き絞った弦を離すと矢は空気を切り裂き、先を走る朧を悠々と追い抜きイルドに襲い掛かろうとしていたアンドッグの眉間に突き刺さった。
「うわ、マジかよ!」
真直ぐに走ってきた朧の剣を前に転がるように躱したイルドは、跳ね上がる心臓を押さえ立ち上がった。
「守護者の剣で死んだら本当に洒落にならねぇよ!」
「大丈夫、大丈夫。その時にはちゃんとおかしい人を失くした……とか言ってやるから」
「責任取る気ゼロかよ!」
アンドッグの間から振り下ろされた黒い拳を横に飛び、イルドの側に着地した朧は互いの無事を確かめるように軽く手を打ち合わせた。
「無いね。だってこんな所で死ぬ気無いだろ?」
「まあな。死ぬときにはちゃんと畳の上で家族に看取られてって決めてるし」
「おい、そこ! バカ話してるだけならお前らごと射抜くぞ」
朧とイルドの両側を連続で飛び抜けた矢に、二人は肩を竦めて分かれた。
「イルドッ、うちのこわーい相棒の援護頼んだ!」
「おう、任された!」
既に互いを見ることも無く声だけを掛け合い、朧は突進してきたアンドックを叩き潰すように剣を振るいその生死も確かめずに更に前に進んだ。
「アルゲス、さっきの分とあわせて暴れようか?」
愛剣に問いかけるように力を目覚めさせ、刀身が淡白く輝いた感覚だけを頼りに四方から飛び掛ってきたアンドックを一刀の元に切り払った。
「もう少し緊張感を持って欲しいもんだ。なあ、アルテミス?」
二人が神器を覚醒させたのを見たシオンは、黒い獣の波に飲み込まれないよう必死に走るエリクに付き従い、襲い来るブラックボアホン達の攻撃を一手に引き受けていた。
「エリク、後で皆と共に会おう」
「でも、ボクだけ逃げるなんて……」
「退くも仲間のためだ」
我が侭な子供を叱咤する親のそれと同じ強い口調で諌めるシオンに、エリクは開きかけた口を閉ざした。
「それにお主が居ては、出せる力も出せなくなる」
きっぱりと足手まといだと言うシオンに、エリクは思わず溢れそうになった涙を堪えた。
「第一、お主の身の安全が確保できなくては彼奴等も心配する。それに、お主の選ぶ菓子を食べる楽しみも無くなる」
「シオンさん! 早くこっち手伝ってよ!」
朧の悲鳴にシオンは苦く笑うと一度刀を鞘に収め、エリクの前に群がり始めたアンドッグの黒い波を見据えた。
「クロウが言っておった。“エリクの選ぶ菓子は外れがない”とな。密かに楽しみにしているのだ」
優しく言うシオンに少年はもう何も言わず、奥歯をきつく噛み締めて竦んで止まりそうになる足を必死に前へと動かし続けた。
「魔を討つは魔のみ。烈風波!」
一足飛びでエリクを追い抜いたシオンは一気に刀を抜き、その繰り出した衝撃波で先頭を走っていたアンドッグたちの頭を吹き飛ばした。
そして、青い炎が吹き上がりその姿を跡形もなくしたアンドッグの後ろには更にブラックボアホンが道を埋めるように音を立て走っていた。
「大通りは使えぬようだの、そこの小道から行け!」
シオンが示した道に黒い獣の影は確かになく、エリクは直線を走り抜けようとした勢いのまま体を切り替え、明かりが僅かに灯るだけの小道へと飛び込んでいった。
これだけ仕掛けられるって言うのも、恐ろしいな。