20.鬼神降臨―故に奔る戦慄―
情報部でも痕跡が掴め切れないって云うのが厄介だよなぁ。
「結局犯人は分からずじまいってことか」
「沈静化が本来だからな。無茶を承知で暫らく相手を動けない状況にでも出来ればいい。そうすれば犯人の方から動いてくれるだろうけど……魔力蓄積体質だったよな? 実際どんなもんだ?」
聞かれても目の前に座る相棒はどう説明するべきかが分からずにいた。
う〜んと、唸りながら朧は腕を組み椅子の前足を浮かせるように、背もたれに体重を掛けてギシギシと鳴らしながら思い出していた。
「干渉能力は高いんだろうな、転送機に近付いただけで頭痛の症状に、使用すれば吐く始末。アンドッグの発現の時は本人にしては頑張ったんだろうな。気を失わないようにしてたし」
「調律能力があったら良いマナテイマーになっていたかも知れないってわけか。それでも、引き延ばすわけには行かないよな?」
セオはテーブルに頬杖をつき外を見た。日は沈み夜の闇に覆われ一面を濃い紫色に染めていた。
事件もなければ、飲み歩くには良い夜になっていた事だろう。
「そうなればこっちの消耗負け……相手は協会に恨み全開か。居心地は多少悪くても自分の居場所は大事だからね。頑張りませんと」
暗い笑みを浮かべ冷たい紫水晶の光を湛えた朧にセオは再び溜め息をついた。
「腹括るしかない……」
どちらからとも無く呟き互いに頷くしかなかった。それゆえ真剣で近づいてくる気配に気がつかなかった。
「朧、セオ……キサマラ……」
怒気を孕んだ言葉はあまりに近く二人は文字通り跳ね上がり、朧にいたっては椅子ごと床に倒れこんだ。
「あらぁ〜、シオンさんにエリク。何というか早いお着きで……コワイですよ、シオンさん?」
「朧っ! 貴様と言う奴は毎度毎度凝りもせずにっ、キツイ仕置きが必要なようだな!」
言い終わるが早いか、刀を抜くが早いか……少女は青い顔となっていた朧に切っ先を突き付けた。
「シオンさんってば相変わらず激しいのが好きなんだから! 一般人巻き込んだらあかんでしょ!」
それでも、朧は転げるように逃げ愛剣に手を掛け、セオに視線を向けた。
朧はアルゲスを抜き様に振るわれたシオンの刀を受け止めたが、小さな体のどこに力があるのか流れるように刀を返したシオンはアルゲスを弾きあげた。
「っ……!」
息を飲み朧は添えていた右手を離し、左手には力を込めてどうにか両手から愛剣が離れるのを阻止できた。朧は体勢の立て直しと攻撃を器用に仕掛ける。しかし崩れた体勢からの反撃はあっさりと躱されてしまった。
「ちょっと! 二人とも!」
叫んだ声はエリクだった。当然と言える反応だったが互いに扱うは真剣、下手に間入れば怪我だけでは済まない。
「セオさん! 止めてくださいよ!」
振り返ればセオは、いつの間にか二人から離れた安全地帯に移動しており、近くで愕然としていたウェイターを捕まえて何かを話をしていた。
「いやぁ……気が済むまでやらせた方が後はメンドくない」
「え……」
「いつもの事だって言うことさ」
薄情なセオの説明にエリクは唖然としていた。しかし、言われても納得ができなければ変わりはない。
「だからと言って、放っておけるわけないですよ!」
「エリク、止めとけって」
飛び出しかねない少年をセオは制した瞬間、エリクの眼前を朧のアルゲスが通り抜けシオンには空を切らされた。
そして一瞬だけシオンから向けられた視線を受け止めたセオも発せられる怒気に当てられたように、冷や汗が流れるのを感じてエリクに更に離れるように促した。
周囲にも目を向ければ当然のようにこの乱闘騒ぎを遠巻きに眺める人々の姿もあり、セオは次の段階に進むべく携帯に手を触れた。
「全く、あれほど私が『妙な真似はするな』と言ったのにも関わらず勝手に病院を抜け出すわ、没収したはずの物を持ち出すやら! 覚悟は出来ておるのだろうな?」
シオンの右手が左手に持つ刀を薄くすべった。当然、少女の白い手のひらは傷つき赤い血が浮かび上がり、朧は更に表情を青くするしかなかった。
「少々、本気で行くぞ」
ギラギラと光る金色の瞳に朧は剣を握る力を更に込めて、その威圧に飲み込まれぬようにするだけで精一杯だった。
外見の幼い容姿を裏切る強烈な怒気を纏う女剣士がそこに立ち、朧にはシオンの体が己の数倍大きく見えていた。
「な、な……何してるんだよ? シオンの奴……」
エリクは初めて見るシオンの怒る姿に純粋に恐怖していた。同時に自らの刀で傷をつける行為に疑問を抱いた。
「如何な理由があれど、命令違反は命令違反。覚悟するがよい!」
「うわ、鬼神降臨……」
ぼそっと呟いた朧の言葉にエリクが説明を求めるようにセオに向き直るが、見ていれば分かると言いた気な視線だけしか返ってこなかった。
そして一瞬、エリクは自分の全身から力が抜ける感覚とともに視界が黒く塗りつぶされたが、セオの手が支えるようにあった。
「啜れ叢正」
シオンの言葉と共に掌中の刀は微かに赤く染まるとその真価を発揮した。
一瞬の赤い閃光が弾けると目の前にいた少女の姿は何処にも無くなっていた。金髪のポニーテールに金色の怒りに満ちた瞳を持つ二十代半ばごろの美貌の女剣士がそこにいた。
「え、えええええええええ!」
叫び声をあげたのはエリク。状況がわからずただ助けを求めるようにセオとシオンを交互に見比べるしかできなかった。
そして、シオンはエリクの叫び声の余韻が消えると同時に刀を振るった。
朧は寸でのところで上体を逸らしたが、前髪の一房がすっぱりと切られ宙を舞い散り、返す刀が更に黒糸を断ち斬り火花を散らした。
「ふっ……少しは腕を上げたかと思ったがの、期待はずれか?」
背骨を折り曲げられるのではないかと思える程の力で上から押さえつけ、両腕で受け止めた朧はその刃を返す事が出来ないでいた。
「きぎ……期待、ハズレで、悪いね」
全身でシオンの刀を支えるが、ふっと抜かれた力についていけず跳ね上がった上体に鋭い蹴りが入った。
「まだ、口答えする余裕があるようだのぉ……」
低いままのシオンの声に次に来る攻撃に備える朧だったが、それよりも薄くせせら笑う彼女の表情を見た朧もセオもどっと噴出した汗を拭う事も出来ず、固まったままでいるしか出来なかった。
青ざめる守護者二人にエリクもじりじりと後ろに下がり、これから起きる出来事に予想も出来ずただ呆然と見守るしか出来なくなっていた。
「アルゲスを解放するなら解放するでもよいぞ……さもなくばお主の命運、保障はせぬからの」
冷たく言い放つシオンの気は先ほどよりも鋭く朧の肌を総毛立たせていた。同時に始めてエリクは尊敬する相手が、自分と同い歳くらいの相手に一目置くのか理解した。
「なあ……シオンさんの本当の年齢、お前のところの団長とほぼ同い年って言ったら信じるか?」
「へ……? えっ、だって! あれでっ?」
何を言い出すのかと思いつつも、今のシオンの容貌は確かに少女ではなく女性。しかしそれでも二十代半ばくらいにしか見えず、流れるように動く姿は圧倒的で見惚れてしまうほどだった。
そんな彼女が三十半ばの団長と同い年とは到底信じられない。
「血を代償に全盛期の力を行使する。神器に匹敵する力の持ち主だからこそ、朧のお目付け役に選ばれた」
「セオさん……?」
どこか遠くを見ながら呟いたセオに少年は問い掛け直したが、彼は苦笑いしただけで対峙する二人へ視線を向け直していた。
「まあ、あれだ。嫌いにならいでくれよ……」
あの一瞬でもこうなる訳か……確かに高すぎるな。