サーカスで買い物
第一章 サーカスで買い物 1
うとうとしそうな柔らかい日差しが部屋に差し込む春の午後、ナイトの駒を動かしながら突然ウィリアムが言葉を発した。
「ジル、サーカスに行かないか」
話しかけられたウィリアムの対戦相手ジルは青い瞳をチェス盤から上げ、うろんげに向かいの男を見た。
「....私に大して考えさせずにうんと言わせようとしてるのか?いつも私のキングがまあまあ危ういときに色んな提案をする....」
ウィリアムは少し伸ばした金髪をサラッと揺らし大袈裟に首をふって否定した。
「いやいや、そんな小ズルいこと僕はした覚えないなぁ」
「ここに入学して早々にオセロしながら君、聖鱗祭でナイトしないかって私に言ったんだぞ....」
「うーん、あれはちょっと狙ってたな」
「やっぱり確信犯じゃないか!」
「結局君の意向を聞いて、オセロ勝負でジルが負けたからナイト役したんだろう」
自分のクイーンを大きくジルの陣地に踏み込まながらウィリアムは言った。
「ウィルに頭脳戦で勝てるわけないってその時は知らなかったんだよ私」
「僕はなーんにもしてないよ、提案しただけ」
「そういう風に君が持っていったんじゃないか....」
「あれほど大したことないじゃないか、サーカスだぞサーカス!ジル見たことあるのか?」
嬉しそうなウィリアムとは対照的に、ジルは眉間のシワをどんどん深くしながら組んだ手の上に顎を置き本格的に次の手を悩み始めた。
「見たことないし、サーカスくらい付き合うから普通に誘ってほしいよ。君のことだから余計なこと企んでるんじゃないかと気になってチェスの手が乱れた」
ジルはジロッとウィリアムを睨むと視線を下に戻しチェス盤をジーっと見つめた。そしてそのまま暫くジルとウィリアムの間を無言の時間が過ぎたが、それはジルのため息で破られた。
「....無理だ、詰んでるよ....どう動いても次か次で君のクイーンかビショップが私のキングを取る....アーッ!今回は初めて勝てるかもしれないと思ったのに!」
癖の強い長い黒髪をガシガシとかきむしってジルは本気で悔しがった。その様子をウィリアムは金髪をかきあげながらフフンと笑って見おろした。
「まあチェスは勝ちの手が結構決まっているからね。やり飽きたとは言わないけども、僕はショーギとかいうジパンのゲームもやってみたいかな。ん、どうした怖い顔して?」
「その見下しまくった目つきが腹立つよ実に....ほんと、優秀な参謀になれそうだよね君は」
「このエメラルドのような僕の瞳にケチをつけるなんてねー学院中の美姫がこの目に映ろうと日々しのぎを削っているというのに」
「優秀な参謀というところは否定しないんだな」
「ジル殿下のお眼鏡に叶ったのなら何よりだと思いましてね」
「うるさいなぁ....まだなってないし、ここではそれあんまり言うなっていつも言ってるだろう」
「別にもういいだろう、僕たち今年の冬に卒業だぞ?」
ジルとウィリアムが優雅にチェスをしているのはローザンヌ王立学院のゲーム愛好会の部室であり、ジルもウィリアムも最終学年となった今全ての単位を取り終わり悠々自適に学院を卒業するまでの暇潰しをしている身であった。王立とつくだけあり、ローザンヌは王族や貴族、それに準ずる裕福な武家や商家の人間でなければ入学の許されない、王宮の敷地内に設置された由緒正しき学校である。ただ、姓を名乗ることや身元を大っぴらにすることは禁止されているので表面上「ローザンヌ学院の中では皆が平等な身分」ということになっていた。とはいえ、多感な13才から19才の若者が集まって何もわからないということもやはりなく、知れるところは知れてくるものである。そしてウィリアムはかなり目端の効くタイプの男であったため、ジルが王族、しかも第一王位継承権を持つ王子であるということは入学して一番に彼にバレたのだった。ウィリアム自身が名門貴族のアーランド家出身であることは(ジルが面倒で調べようともしなかったせいなのもあるが)、ウィリアム自身の口からきくまでジルには全く察することはできなかったのであるが。
「ところでサーカス、本当に行く気なんだろうな?」
ウィリアムはチェスを手元で拭きながら確認するように言った。
「ウィリアムにしては不思議なくらい全うな遊び場所を提案してくるなと思っただけで、いいじゃないかサーカス。行こうよ」
「なんだその引っ掛かる言い方」
「君にダーツやってみないか珍しい酒飲んでみないか新しい馬が見れるらしい等々色々な誘い文句で国中の娼館引き回されたからね」
「普通に誘うのも芸がないじゃないかー」
「私は君がいつ女に刺されるか気が気じゃなかったよ....」
「僕を女性がほっとかないだけなんだけどなー」
磨いたクリスタルの駒を日に透かしながら間延びした声でウィリアムは答えた。自画自賛するだけはあり、ウィリアムは、頬に軽くかかるサラサラとした金髪とそこから覗く翡翠色の瞳が目立つ、結構な美丈夫であった。その上慇懃無礼で柔らかな物腰という貴公子を絵にかいたような人物なので、実際大変女性に人気があった。
(自分の武器をそれとわかっていて存分にふるっているんだろうなぁ....自分の顔も余すことなく武器として有効活用か)
ただ駒を拭いている姿ですら様になる美しい友人を横目で見ながら、そうとは見えないが頭の切れる彼のようなタイプは、敵に回すと真綿で首を絞めるような攻め方をするんだろうなとこっそりジルは考えた。サーカスもウィリアムがただ単に誘っているだけとは考え辛かったが、ジル自身興味があったのは事実だった。
「ん?なんだーい僕の顔をそんなに熱く見つめて。ようやっと惚れたかい?」
「君って怒らせたら怖そうだなって思って」
「僕、好みは女の子なんだよね~まあジルは結構僕のタイプだし全然イケるとは思うんだけどそっちは流石に試したことはなくって」
「人の話をきけ。ウィルの好みは広範囲過ぎるからもっと絞った方がいいと思うし、残念ながら君は私の好みじゃないし、そっちを試してみたければ他を当たれ。それからいつサーカスに行くのか今決めろ」
ウィリアムはふと真顔になり少し沈黙すると、チェスの駒をケースにしまいながら今夜行こう、と言った。
「ええ、早急だな随分」
「ちょっとね....今夜、面白い催し物するって聞いてるからね。だめかい?」
「いや....別段、なにもないよ。面白い催し物って、なんだ、ストリップ?君が好きそうではあるけど....」
心外だという顔をしてウィリアムは振り返った。
「ジル、おおジルよ、ジル....僕がそんなに女体に飢えてみえるのかい?」
「え、見えるけど....」
「女性が僕を離さないだけで僕が女性を離さないわけではないからね、だから」
「わかったわかった、なにかもっといいものが見れる、そうなんだ?」
チェスの駒をしまい終え、カタン、と箱を閉じたウィリアムが振り返りニッコリと笑った。
「多分、ね」