「お礼」
女の騎士は、フルフェイス鉄兜を再び脱ぐ。
艶やかな髪がふわりと舞い、街灯を映じて渋く輝いた。
「さて。キミの言っていた、珍しいものとは何だ?」
「は?」
「さっき言っていたじゃないか。『面白いもの』とかなんとか」
「ああ。持ってきた。持ってきたんですが……」
女の眼はギラギラとした期待が映じているがごとく輝いている。
こちらとしてはそこまで期待されるとなんだか自信がなくなってくるというもの。
俺はカバンから家に一つだけあったソレをおそるおそる取り出した。
「まあ、つまらないものですよ」
「何だそれは?」
「これは懐中電灯というものです」
「?」
「……ですよね。まあ、見てください」
俺はスイッチを入れて、懐中電灯をパッと付けてみせる。
「おお、光った!」
「そう。光るんです」
スイッチを切って手渡してみると、彼女は光を付けたり消したりして感心していた。
「どうしてこんなものが光るんだ?魔法か?」
充分に発達した技術は魔法と区別がつかない――という有名な言葉があるけれど、彼女の持つのは単なる懐中電灯である。
「さあ、俺もよくわかっちゃいないんだけど。電池で光るんですよ」
「デンチ?」
「雷みたいのがこの中に籠っているんです」
「すさまじい話だな。『ビリビリー☆』ってなったりしないのか?」
硬派な女騎士が『ビリビリー』というところだけ少女っぽい発音だったところに少し萌えを感じた。
「ははっ、大丈夫ですよ。これなら夜の森やダンジョンでも松明を焚く必要がなくなるでしょ?」
「そうだな。いや、でもこれだけ便利なもの。さぞ高いのだろう?」
「そうですね。この100円ライターと合わせて700ボンドでどうでしょう」
俺は懐中電灯を持つ彼女へ、100円ライターを2本さらに手渡して見せた。
「もう1本はサービスです」
「おお!これはありがとう。うん。700ボンドだな」
女の手から700ボンドを受け取った!
これでさっきの闘技場前で得た100ボンドと合わせて800ボンドだ。
「私の名はミロ。バーベル王国の城で騎士をしている」
「やっぱり、あなた冒険者じゃあないんすね」
まあ、見るからに軍人という雰囲気だったしね。
「ああ。だから、道具の調子が良かったら部下の分もまとめてお願いするかもしれない。キミはずっとこの街にいるのか?」
「まあ……いたり、いなかったりかなあ」
いつもここにいるわけにはいかないけれど、たまには来ても良い気がする。
「そうか。それではこの広場で。また会おう」
そう言って、女騎士ミロは去っていった。
俺は、その颯爽とした鎧の後ろ姿を見つめながら、『もう商売をする必要はないのだけれど……』と心で呟いて、800ボンドを握りしめた。
◇◆◇
カネを手に入れた俺は、例の飲食店の戸を叩いた。
夕飯時で、店内は冒険者で賑わいを見せている。
するとすぐさま、スキンヘッドの店主とカウンターごしに目が合った。
「おお、旦那。どうした?」
「どうした、はないでしょう」
「ふん。カネが手に入らないって泣き付こうってのか?駄目だ駄目だ!嫁さん返して欲しくば耳を揃えて出すんだな」
相変わらず俺とラトカを夫婦と思っているようだ。
「別に、ラトカは単なる尻あいだけど、800ボンドはちゃんと持ってきたよ」
「何?」
店主のスキンへッドはツルツルな頭にシワを寄せる。
「むむむ、確かに800ボンドだ」
「でしょう?さあ、ラトカを返しておくれよ」
「あ、奥さんなら……」
そう店主が顔を上げたと同時に、
「おお、キサマ。やっぱり来てくれたのか」
と、女賢者ラトカ様があらわれた。
「まあ、ここのメシは美味かったしね。支払いくらい気持ちよくしたほうがいいだろ?」
「……瞬間移動のことは反省している」
「うふふ。もういいさ。それじゃあ帰ろうぜ」
「うむ」
こうして、俺がラトカを店のドアへ誘おうとした時。
「ちょっと待ちな!」
店の者で、スキンヘッドではない若衆が、俺の肩をつかんで怒鳴ってくる。
「どうしたんだ?」
と聞くのはスキンヘッド。
「親方。この女の食事代を支払ってもらわなきゃ」
「あ、そうか」
「待ってくれよ。支払いならたった今したばかりだろ?」
あまりのことに声をあげる俺。
「いや、さっきの食事代は確かにいただいた。800ボンド、ちゃーんと揃っている。しかしな、奥さんがこうして店で待っている間に食べた分がまだあるのさ」
ま、まさか、この女。
支払いの人質でありながら、ツケでメシを食ったのか?
問いただすとラトカは少女っぽく笑う。
「えへへっ」
イラっ……
「何故、食わせた?」
「いや、あんまり憐れっぽく『お腹すいたよぅ』と言うもんで、つい」
なるほど、捨て猫にエサをやりたくなる心理か。
でも、そのエサ代を俺に請求するのは筋違いでは?
「すまぬ」
俺の怒っているのを見てか、ラトカは一転、バツが悪そうにしゅんっとする。
目線を落とし、長いまつげが枝垂れる様は艶やかだが、一方、口の周りにソースが付いているのは滑稽だ。
はあ……。
俺はため息をついて尋ねる。
「いくら?」
「プラス1600ボンドだよ」
どんだけ食ったんだよ!
「おカネ……足りんか?」
俺の袖をちょいっと掴むラトカ。
「ちょっと待ってろ」
そう言ってポッケから小袋を取り出す。
ジャラ……
「ボンド銭貨が200枚入ってる。釣はいらない」
「う、うむ」
「ま、毎度あり!」
◇◆◇
何故、異世界人の俺が800ボンドに加え2000ボンドなどという大金を持っていたか。
それは、広場にて女騎士ミロが去った後、ヒゲのおじさんが仲間を引き連れてやってきたからだ。
ミロとの取引ですでに800ボンドに達していたのだから、そのままラトカを迎えに行こうとも思ったのだが、一応約束は約束。
もうしばらく待っていなければヒゲのおじさんに悪いと思ったのだ。
すると、彼はちゃんと仲間を何人か引き連れてやって来た。
話を聞くと、ヒゲのおじさんは結構顔の広い人であり、むしろ顔の広さで冒険者家業を成り立たせているような人物であるらしい。
連れてきた4、5名の仲間は、みんな彼を「ダントンさん、ダントンさん」と言って慕い、彼の勧める100円ライターを疑いもなくそれぞれ250ボンドで買ってくれた。
これがなければ最後の支払い1600ボンドなんて格好よくポンっと出せるわけがなかったのだから、今回格好がついたのはヒゲのおじさんのおかげだったというわけ。
さて、ようよう夜も深まりゆくカリムの街。
広場の賑わいも、宴もたけなわといった様子。
俺は、寄り添って腕におっぱいをムニムニ当ててくるラトカを引っぺがして言った。
「じゃあ、俺はそろそろ帰るよ」
「……待て」
「なんだよ?」
「まだお礼ができていない」
「うっ、もういいよ」
「遠慮するな」
「遠慮じゃない。もう懲り懲り……」
と言いかけた時。
唇に、まるで女性の唇が重ねられたかのように柔らかな感触を得て、気分がふわふわしてきた。
何かの魔法かなあ……と思っていたら何のことはない。
女の唇が、俺の唇に重なっていたのだ。
充分に美しい女の唇は、魔法と区別がつかない。
小動物のような慎ましいその唇は温かくて、離れると余韻を残すように薄く開かれていた。
「ど……どうだ?」
「さすが賢者さまだ」
と答えると、女賢者ラトカは逃げるように走り去っていった。
……帰るか。
でも、またこの世界にはやって来なくてはならないな。
あれだけ稼いだのに、あの旨いソースの料理を俺は食べていなかったのだから。