「街」
女賢者ラトカに連れられて森を行き行くと、やがて木々が開け、人が造ったっぽい整然とした道が見えてくる。
その道を辿っていくとポツポツと民家も見え、やがて街に着いた。
思ったより洞窟から近いところだ。
街には多くの建物があって、人も結構たくさんいる。
大都市というほどではないかと思うけれど、賑わっていると評していいだろう。
この街をカリムの街というそうだ。
俺は、自分の部屋のクローゼットが森に繋がり、あまつさえ人がこんなにも大勢住んでいる光景を見て軽くショックを受けた。
なんだか、彼らが自分の部屋に住んでいるようで落ち着かない気分になるのだ。
それに、やはりここは地球のどこかにワープしてきているのではなく、ぜんぜん次元の異なった世界なのだということが、街の様子で悟られる。
人種も、服装も、建物も、テレビでだってみたことのない文化圏の雰囲気を醸していたし、ペットにスライムを連れている婦人もあった。
俺はゲーム以外でスライムを見たのは生まれて初めてだったから軽く感動を覚えもしたけれど、異世界というものが本当に存在するのだと決定的に思い知らされた感じがして言いようもないショックを受けてもいた。
……背筋がソワソワして居所に不安定な心持ちがする。
「吉人、こっちだ」
さて、そんな俺の気も知らないで、ラトカは俺の手を引き、お店へ入った。
店内ではガヤガヤと人々がメシを食っている。
飲食店らしい。
「いらっしゃい!二名様で?」
店員に誘われ席に着くと、ラトカがさっさと注文を済ませてしまう。
俺は不思議な気持ちで辺りを見渡した。
雑然としていて、高級店というのではないが、混んでいるから人気の店なのだろう。
しばらくすると、ものすごい筋肉の店員が料理をもってやってきた。
「どうだ吉人。美味いか」
ラトカは俺をジッと見つめて、そう尋ねる。
「ああ。美味しいよ」
食べ物は思ったよりも普通であり、料理の種類としては現世の洋食のような感じだけれども味付けは意外にも日本風っぽい……という具合で食べやすい。
「でも、そんなに頼んで大丈夫なのか?」
「大丈夫だ。遠慮するな」
サラサラな銀髪を格好よく払って、大きな胸をぱんっと叩くラトカ。
パンにスープ、肉料理に卵料理に芋料理、パスタにサラダ。
皿がテーブルを埋め出す。
二人っきりでこんなに食べきれるか不安だ。
俺は結構食べる方なので量の多いのはありがたいけれど、ラトカは女だしそんなに食べられないのではないかと思ったのである。
「む。キサマ、なかなか大食いだな。追加せねばならんようだ」
しかし、そういうラトカもかなり食うようで、卓上の皿は次々に空になってゆく。
一体、その細い身体のどこへ栄養が行くのか?
おおよそお尻と胸へぐんぐん栄養素が吸収され、他へは申し訳程度にしか割り当てられないのではないか。
まあ、そんなことはどうでも良い。
お礼というのだから俺だって食べなきゃ損だ。
俺はモリモリとご飯を食べながら、他の客を見やる。
何やらゲームや漫画に出てきそうな皮の鎧や剣を装備した屈強な男どもがガハハっと酒を飲み交わしている。
あれは何だと聞くと冒険者だという。
で、冒険者とは何だと聞くと、ラトカは綺麗な眉根を顰めた。
「吉人、キサマ。魔法は知らないし、冒険者も知らない。一体どのような田舎からやってきたのだ?」
「だから、知らないことはないけれど存在はしないと言っているんだ」
「でも、現に存在しているではないか」
「う……」
確かに魔法も存在していたし、彼らも伊達や酔狂やコスプレであのような格好をしているようにも思えない。
「ラトカ。あんた賢者なんだよな?」
「え?うむ。いかにも」
「じゃあ、頭が良かったり、いろんなことを知っていたりするわけか?」
「まあ、そうだな」
彼女がそう言うので、俺は思い切って自分がこちらの世界とあちらの世界を往復しているのではないか……という自説を打ち明けた。
「つまり、キサマ。ある世界と異なる世界を往復しているというわけか?」
「そうなんじゃないかな、と思っているところなんだ」
「なるほど、魔法の存在しない異世界からやってきたから『魔法がない』などと妙なことを……いや、キサマからするとこちらが異世界ということになるのか」
「ああ。でも、そういうことってありえるのか?」
「ありえるも何も、現にキサマがその目に合っているのだから、あるのだろう。もちろんそんなことは聞いたことがないが、これまで起こらなかったことが起こるということはいくらでもありえるのだ」
なるほど。一理ある考え方かもしれない。
「でも……だから俺、これを食ったら元の世界に帰らないといけないんだ」
「そうか。でも、また来られるのだろう?」
「まあな」
「次に来た時はまた一緒に遊ぼう。この店を出たら通信アイテムをあげるから」
最初は変なお尻とばかり思っていたけれど、案外良い人かもしれないな……
……などと思ったのだったが、それはそんなふうに彼女を見直した直後に起こった。
「ふふふ、わかったよ。あ、なんだかずいぶんとご馳走になっちゃってすまんね。そろそろ店を出ようか」
「そうだな。それではこちらへ伏せろ」
「?」
ラトカは俺の手を引き、机の下へ引きずり込む。
机の脚の合間に二人がところ狭しともぐっているので暑苦しい。
「これ……何しているんだ?」
「いいから。もっとちゃんとこっちに来い」
「やめろよぉ!おっぱいがプニプニあたってるだろ!」
「大きな声を出すな。店の人に見つかったら大変だ。いいか?少し目を閉じておけ。行くぞ!……よし、もういい」
ラトカがそう言うので目を開けると……なんと!そこはすでに店の外だった。
人通りの少ない建物と建物の合間の路地で、向こう側に往来が伺える。
「ふう。成功だ」
「成功だ、じゃねーよ!」
「どうだ?瞬間移動は超高級、高等魔法だぞ。私以外に使いこなした者を見たことがないほどだ」
「はぐらかさないで、お金はどうしたんだ?」
「……馬鹿を言うな。お金なんてあるわけないだろう。私は貧乏なのだぞ」
「威張んな!これじゃあ食い逃げじゃないか」
「なんだと。あまり貧乏人を軽蔑するな」
「貧乏は別にいいけど、お金がないならお金がないと言ってくれれば無理に奢ってくれとは言わなかったのに……」
せっかく見直してやったのに、これじゃあ幻滅だ。
「いずれにせよ、ここは俺が払っておく。店に戻るぜ」
と、言ったものの、俺はふと足を止めた。
いや、財布は……ある。
あるにはあるが、中身は?
「ラトカ。これ知ってるか?」
「?知らぬ」
そう。
この時の俺は日本円しか持っていなかったのだ。
これではお店の支払いができない……
手元では、折れ曲がった福沢諭吉先生が愉快そうに笑っていた。