公衆浴場(1)
「あぁ……疲れたぁ」
俺はバイトから帰り、部屋へゴロンと寝っ転がった。
バイト先は、チェーン展開しているジャンク・フード店。
もちろん、消費者のために24時間営業である。
今日の俺は、午前11時から深夜の0時までのシフトだった。
それにしても、ああやって注文を受けてはひたすら冷凍食品をチンしたり、珍妙なユニフォームと掛け声で滑稽に動き回っていると、まるで自分が「別の人間」になったようにさえ思われる。
で、一日13時間も店員をやってると、『山月記』の虎みてーに、まるっきりその「別の自分」が俺自身を覆い尽くす時がくるんじゃねーかって思われて、恐ろしかった。
チャーン♪チャララーン♪♪
好きでもない流行歌が頭に着いて離れなくなってしまう時のように、一人家へ帰ってきても店内でかかるバカに明るいBGMとPRが頭の中で響き続けている。
その音が明るければ明るいぶんだけいっそう暗い考えばかりが心を支配して、この俺はもうまったく「生きるために生きる」ようマニュアライズされた、空虚で、地球上にニュートラルな、いくらでも取り替えの効く、意味のない存在に成り下がったのだ……と思い知らされるような気がした。
こういうフリーターの苦しみは、俺が大学卒業後に就職した会社をすぐ辞めてしまった罰なんだろうか?
いいや。
もしあのままフツーにサラリーマンを続けて多少の収入が確保されていたとしても、単なる市民としての価値は「無価値」という点でバイト店員と平等なんだから、たいした違いがあろうはずもない。
そう考えると俺ばかりではなくって、
『みんな、なんでこんな無意味な社会をやってんだろ?』
って不思議に思われてくるというもの。
そー言えば、大学時代の友達で、
「就職するのは家族を作って養うため」
みたいな自己哲学を披露してたヤツが何人かいたっけな。
けど、それには一つ致命的なゴマカシがある。
だってそうだろ?
そりゃあさ。もし仮に、俺たちがみんなこーゆー市民社会の苦しさに耐え続けて、それぞれとおりいっぺんの恋をして、子供作って、核家族を築いて、年老いて、死んでいったとして……その後にもなにか大切な世界観を残そうって前提なら、子供を作る意味も理解できるよ。
でも、どーせ俺たちはこのままアメリカとかの子分のまんまで、ずるずると譲って、蒸発して、あと100年か200年くらいするとまるっきりの地球人になっちゃうわけだろ。
じゃあ、子供なんて作ったって意味ねえじゃん。
まあ、「俺たちが散り散りになって無くなってしまうことが予測されること」は仕方ないにしろ、みんな多かれ少なかれ「それでしょーがないよね」って前提へ屈服することと引き換えに社会人になってるわけだから、実は子供を作ることの正当性も放棄していることになるわけだ。
それなのに「子供と核家族」を社会人の価値の源泉として考えるやり方は、自分自身の心に対して致命的なゴマカシがあるだろ。
でも、そうゴマカしておかないと生きてることがあんまり無価値すぎて、心が壊れちゃうから無理矢理ゴマカしてるってだけでさ。
チャーン♪チャララーン♪♪……チャ……
グウ……
ああ、腹減ったな。
しかし、一度そんなふうに感じると、頭の中でこだましていた不愉快なBGMは止んだ。
そしてそれと共に、いわゆる『帰って来て部屋で一人、なんかいろいろ考えるタイム』も終わった。
「メシ食いに行くか……」
そう思って財布を取り出す。
が、家賃を払ってしまっていてけっきょく残り4千円しか入っていないことを思い出した。
いや、さっきタバコを買ったので……3千500円である。
これはむやみに使えないぞ(汗)
「まあ、あっちで食うしかねえかな」
と呟いて、俺はクローゼットへ入って鍵を回した。
◇◆◇
異世界へ来ると、日本では夜だったのが朝だった。
洞窟を出て、カリムの街のスキンヘッドの店へ向かう。
ジャラ……
12万ボンドのうち、5万ボンドは金貨で円に換えて家賃にしてしまったけれど、まだ7万ボンドある。
7万ボンドあれば、こちらの世界ではまだまだ余裕があった。
「すいませーん」
「おう、旦那。奥さんはどうした?」
あいかわらず、俺とラトカを夫婦と思っているらしい。
「知らねーすよ。どっか行っちまいました」
「お?逃げられたか?」
などと軽口をたたくスキンヘッド。
同じ飲食店でも、チェーン店の店員とはまったく別モノだなぁと思いながら、注文し一人飯を食った。
ムシャムシャムシャ……
「ふー、食った食った」
カチ、シュボ……ふー
食い終わると、俺はタバコへ火をつけ伝票を見る。
会計は200ボンドとあった。
元の世界でこれだけのものを外食しようとすれば、2千円くらいはかかる。
日本から持ってきたものを売って、円をボンドに替えるメリットは、今のところこんな場合だ。
例えば、こうして200ボンドでメシを食ったりした時、その200ボンドを手に入れるためには100円ライター二本とかで、だいたい200円ぶんの品物をこちらで売れば良い。
フツーに考えれば、その200ボンドでこちらのモノを買って日本で売れば2千円になり、元々200円だったものを次元往復で十倍の2千円に化けさせることができる……ように思われるけど、そうはいかなかった。
それは「金貨」の価値が、異世界では相対的にすごく高いからということだろう。
つまり、日本での「ボンド金貨に含まれる金」対「モノ」と、異世界での「ボンド金貨」対「モノ」とを比べたとき、日本を1対1とすると異世界は10対1ということなのだ。たぶん。
だから金貨のボンドを円に替えても、けっきょく1万円かかったものが1万円くらいにしかならないというわけ。
でも、1万円かけて異世界で商売して1万ボンドを手にいれて、そのまま異世界で使うと、感覚的には5倍から10倍のモノが手に入るのである。
つまり、円をボンドにして、ボンドのまま使えばかなり得をしてるとも言えるわけ。
しかし、俺だってずっと異世界にいるわけにもいかないし、第一、俺がこうして多くのボンド貨幣を手に入れられているのは、日本と異世界を往復して商売しているからである。
だから、まずあのクローゼットの次元通行を確保しておくためにも家賃を払い、借家を維持しておくのは必須条件なのだ。
そして、日本のモノを仕入れて売っているわけだから、円がなくては異世界で小金持ちでいられることもできない。
やはり
『いかに取引の中で「円」を増やしていけるか』
が、この異世界往復商売が成り立つかどうかのポイントなのである。
「ごちそうさま」
カランカラン♪
俺はスキンヘッドへ200ボンドを支払って店を出た。
ふぁーあ……
と、朝日の下であくび。
疲れていたのでもう帰って寝たいと思ったけど、明日のバイトは深夜0時からでまるまる24時間後だから、むしろこのまま起きて、異世界が夜になった頃に寝た方がイイかもしれない。
そう思って、なにか良い手だてはないか探りつつカリムの街の路をブラつき始めたのであった。




