山本
【15:???】
日が落ちてしばらくすると空は明るさを失い、唯一出ている月と瞬く小さな星たちの光が降り注ぐ。ネオンが主張する繁華街の少し外れた場所。まだ未成年だと分かる面差しと身に付けている制服。時間帯を見れば彼らがここにいるのは相応しくない。それでも気にせず談笑している様は、彼らなりの世間に対する抵抗や反抗なのだろうか。
そこに砂利を踏む小さな音が聞こえ、少年たちはそちらに視線を走らせた。視界に映ったのは一人の影。背格好は彼らとたいして変わらない。
「なんだ、おまえ」
一人が現れた影に訝しげに声をかける。座っていた彼らが次々に立ち上がった。逆光で影の顔ははっきり見えない。
「捜したよ、こんな誰も通らなそうな場所を溜まり場にするなんて……好都合というかなんというか……」
影は小さく笑いながらも、少年たちを小馬鹿にするような言い回して口にする。気の短そうな彼らにはその言葉だけでキレるには充分だった。
「ケンカ売ってんのかよ!」
少年たちはたった一人に対して同時に襲いかかった。
数分後。呻き声を上げて倒れ込んでいるのは、数で勝っていたはずの少年たちだった。人影は涼しい顔をしてポケットからケータイを取り出し、どこかへ連絡をし始める。
「……あぁ、俺だ。今ちょうど六人ばかり動けなくしたから、回収よろしく。場所は……」
人影は今いる場所を報告した後、ケータイを仕舞うとまだ起き上がろうとする一人の背中に向けて足で踏みつけた。ギリギリと歯ぎしりする一人が見上げるのと同時に、偶然にも車のライトが辺りを明るくする。瞬間、見上げた彼は唖然とした。
「お……おまえは……!?」
照らされた人影の顔を見て、一度目にしたことがある人物だと知った途端、今度は頭を足で踏みつけられた。
「大人しくしてなさい。まったく世話が焼けるね。今度からケンカを売る相手を選んだ方がいいよ。政峰会の身内に手を出したら、こういう運命を辿ることになるから、肝に命じておくように」
その表情は面倒くさそうで、鬱陶しそうでもあった。たった一人で数人を簡単に倒した人影はゆっくりと微かに見える星が瞬く空を見上げて一人呟いた。
「今日も星が綺麗だ……」
【16】
「……なんだって?」
翌日の病室で、久追から事情を説明された山本が怪訝そうに尋ねた。たった一日見舞いに行かなかった間に進んでしまった展開に少々ついていけない様子だ。授業のあった午前中には息子から同じことを耳にした母親は、未だに喜んでいいものか複雑な表情を浮かべている。
「だから、治療拒否はやめると言った」
「……い、いやいや。この間まで何を言っても頑なに拒否してたのに、どういう心境の変化よ」
思わずツッコミを入れる山本。
「まぁ、その……なんだ。……怒られたから」
歯切れの悪い言い方をする久追。その表情は明らかにこの間まで諦めきったようなものは一切なかった。あれだけ拒否を続けてきた久追の言い分が反転する出来事が、昨日に起きたのは充分に分かる。その原因を瞬時に山本は推測した。
「……なんか分かったよ、その心境の変化」
山本の頭に浮かんだ人物は、今日はまだ姿を見せていない。まだ学校にいるはずである。昨日と違い、今回は彼女が教師に呼び出されたらしい。
「暁くん、この子の心境の変化に何か心当たりなるの?」
母親が不思議そうに山本に尋ねた。
「まぁ、そうですね。……その説明は後でします」
推測をそのまま口にしそうになったが、久追の無言の睨みにすぐさま対応を変える。理由が理由だ。息子としては母親に知られたくないのかもしれない。ただでさえ、そういったことに縁がなかったのだ、今さら打ち明けるのが恥ずかしいのかもしれない。母親としては、喜ぶべきなのか悲しむべきなのかは山本には分からないが。
「分かったわ。なにか事情があるのね」
山本の言葉にそう判断したらしい母親は、どこか寂しそうな笑顔を浮かべて言った。そして夕飯の支度があると、残念そうに病室を後にする。残された二人の間に沈黙が降りた。
「……治療を始めるのは、動けなくなってからだ」
「え……?」
沈黙を破ったのは久追だった。思ってもいない久追の発言に山本は思わず彼の顔を見た。久追は己の手を何度も開いたり閉じたりしながら話を続ける。
「治療事態はやるだけ無駄だということは今でも変わらない。だったら、動ける短い間だけでも自由に、好きなようにしたい」
「……」
久追の言葉に山本は無言で返した。「治療を受けちまったら、たぶん……二度と外に出られない」
「……」
久追は自分の行き着く先が見えている。体を蝕む病は、止まることを知らない。もし治療を始めたら、間違いなく今以上に体力を奪われ立ち上がることさえも難しくなるだろう。それを久追は理解していた。
「だったら動ける間に、あいつとの思い出を作りたいんだよ」
「久追……」
残された時間はそんなにない。久追の体がどこまでもつのかも分からない中で、その時間をすべて病院暮らしに費やすのだけは久追にとって本位ではなかった。
「だから、俺がいなくなった後……ひよりを頼む」
ベッドの上ではあるが、久追は山本に向かって初めて頭を下げた。それほどまでに久追にとってひよりは大切な存在だということを山本は口にされなくても察した。そして山本は小さくため息をついて頭を下げ続ける久追を見る。
「頭を上げなよ」
促されて久追は顔を上げた。山本の表情は困ったような笑みを作り出している。腐れ縁とは言え、久追は他人に頭を下げるような男ではないことを山本は熟知している。だからこそ久追の行動に驚いたし、反面嬉しくも感じた。この複雑な気持ちを山本は掴みきれずにいる。でもこの気持ちはけして嫌なものではなかった。
「久追の気持ちは十二分に分かるから。……まったく、自覚した途端俺を利用するんだから、久追はやっぱり久追だよね」
可笑しそうに山本は肩を震わせて笑う。久追もつられるように笑みを浮かべた。カーテンの隙間から差し込む夕日の赤。山本は肩越しに後ろの窓の外を眺めた。彼の顔が夕日色に染まる。
「……どんな手段を使ってでも守るさ。久追がいなくなったら、ひよりちゃんを守れるの俺だけだしね」
「……山本」
夕日を眩しそうに見つめる山本の瞳に映るもの。それがなんなのか久追にはなんとなく分かった。視線を落として、久追はグッと拳を握る。分かったからこそ、滲み出る感情。これは怒りにも似たものだ。しかし、病で弱った久追には山本を殴り倒す力もない。眉間にシワを寄せて、小さく呟いた。
「……ふざけんなよ、山本」
「ん?」
久追の声に穏やかな表情で山本は聞き返す。怒気の孕んだ久追の瞳が山本を射った。あからさまな久追の怒りに山本は苦笑する。本当にすぐ態度に出るところはなにも変わらない。「お前、自分が犠牲になったらとか考えてんじゃねぇだろうな」
久追の言葉に山本はクスクスと笑う。
「どうしてそう思う?」
山本は笑顔を絶やさずに聞き返す。久追はその理由を告げることに躊躇した。怒りはあるが、不用意に口にしてはならないことを告げられずにいる。二の句を告げられない様子の久追を見て、山本は苦笑した。山本には分かっていたのだ。久追が言いたいことを告げられずにいることを。
「久追が怒る気持ちは分かるし、言いたいことも分かってる。そしてそれを安易に口にしちゃいけないと思ってることも」
「分かってての質問かよ……意地が悪すぎるぞ……」
久追の反応を山本は楽しげに笑う。
「俺はね、何気ない日常を過ごせる今が好きなんだ。久追と出会って、ひよりちゃんと出会って三人でいるのが心地良いんだ」
逆光で山本の顔は見えない。どんな顔をして言っているのか久追には分からなかった。けれど、その言葉は山本の本心なのだということぐらいは分かる。久追もまた三人でいる時間がとても楽しかったから。生を諦めていたはずなのに、生きたいと願うほどには好きだ。
「久追の残された時間は本当に短い。今、こうして生きているのだって奇跡なんだよ」
「……」
「俺はね、守りたいんだ。俺に何気ない日常と幸せをくれた久追とひよりちゃんを」
「だからって……っ」
何かを言おうとした久追の口を山本は指先で押さえる。間近にいる山本は微笑んでいた。指先を久追から離すと再び同じ場所に移動する。
「今を守れるなら俺はなんだってする。たとえ、ひよりちゃんに嫌われてもね」
「考え直せよ。そんなことしなくたって、ひよりは守れるだろ」
「俺が在学中なら常にひよりちゃんについていればいいかもしれないけど、卒業してしまったら簡単には隣に居られないんだよ、久追。あいつらはしつこい。久追だけでなく俺さえも傍にいないと分かれば、ひよりちゃんに何をするか分からないじゃないか」
山本の言いたいことを久追には痛いほどわかっていた。久追が今まで他校の生徒にしてきたものは、たった数年で済まされるような恨みではないはずだ。山本も来年の春には卒業してしまう。ひよりを守れる存在がいなくなる。ひよりは護身術など身を守る術を持たない。今までの付き合いで精神的に強くなっていたとしてもひ弱な女の子であることは変わらないのだ。 山本の言葉が突き刺さる。久追よりも彼は先を見ている。目の前の問題ではなく、ひよりの今後の身の回りを心配し、今行動を起こそうというのだ。
「今、俺がまだ学校にいられる間に、久追と何かしら関係がある奴らを抹殺しないとね」
「山本、言葉が物騒になってる」
「あ、いけないいけない」
久追のツッコミに山本は楽しげに笑う。普段はこのように物騒な言い回しをする男ではない。しかし、そんな彼が口にするほど今の状況は悪いのだ。今の久追にできるのは、どうにか普通の生活ができる程度で、激しい運動はたぶん今回の吐血のせいで体力を根こそぎ奪われたことからドクターストップがかかるだろう。もう走ることさえも許されない。頼れるのは目の前にいる山本だけだ。
「久追」
「……」
山本に呼ばれて久追は彼を見る。山本はいつの間にかベッドサイドまでやってきていた。その表情は、今までの笑みはなく、どこか冷たく見える。
「二人のために、俺は『山本』の仮面を取る」
「……もう、止められないんだな。……すまない、俺がこんな体なせいで」
「謝るな。遠からずこうなる運命だったんだ。……逃げられないってことなんだな」
病に冒されたのは久追のせいじゃない。悔しそうに謝罪する久追に、山本は首を左右に振って少し寂しそうに答えた。
「心配するな、あの子の前では最後まで『山本』でいる」
ポンと山本が不安げな久追の頭を軽く叩く。久追は複雑そうな表情を浮かべた。久追はひよりの知らない山本の事情を知っている。知っているからこそ、山本の決断のきっかけを作ってしまった自分が不甲斐なくて仕方がない。今になって思う。なぜあんなにも馬鹿な真似をしてきたのだろうかと。こんな結末が待っていると分かっていたなら、真面目に生きていたかもしれない。今さらなのは分かりきっているのに、後悔ばかりが残る。
「久追」
「!」
呼ばれて久追は我に返る。再び山本を見ると、そこには『山本暁』の表情はなかった。彼は片手にケータイを持っている。誰かと連絡をしていたようだった。
「俺は行くよ。連絡が来たから、そっちに向かう。お前は大人しく退院するまで寝てろよ、じゃあな」
ケータイを閉じてカバンに仕舞った山本は、それだけ言って病室を出ていった。一人残された久追が泣きそうな顔で呟いた声は病室の中に溶けて消える。
「後を頼む……『高遠』……っ」