(96) ~ 道化の心
がたごとと全身に響く振動に気付き、美鳥はゆっくりと目を開いた。上手く開かない瞼をこすろうと右手をあげかけたが、その異様な重さにぎょっとする。
「え、と……」
「ミドリ様、目を覚まされましたか」
すると、隣に座っていたらしいシャナが顔をのぞき込んできた。彼女はほっとしたように笑みを見せると、少々お待ち下さいと言って後ろを向く。しばらくして、湿らせた布で美鳥の顔を軽くぬぐってくれた。
「シャナ、ここ、どこ? あれから、どうなったの?」
「ここは予定していた、オーデントへ向かう街道です。ミドリ様が目を覚まされるまでフラトールにいようとは考えたのですが、騒ぎが大きくなってしまうのはダメだということで、大神殿から応援が到着したのと入れ替わりに町を出たのです。……ミドリ様、もう、あれから三日も経ったのです」
「みっか……?」
シャナの言葉を、美鳥は呆然と繰り返す。
あの戦いの最後、覚えているのは枯れ木のようになったサイラースの体を、駆け寄ったカップルがそっと抱えて何か呟いているといった場面。それ以降を思い出そうとしても、唐突に世界が歪んだことしか分からなかった。
「あの異形のものがサイラース様としての姿を取り戻したあと、ミドリ様はそのまま倒れ込んでしまわれたのです。召喚体も、同時に消えてしまいましたし……。それから、カップルさんが教会の中へ私たちを案内して下さったので、そこから伝達魔法で大神殿へ連絡をいれたのです」
「あの、じゃあ、カップルさんと神官さんは」
「おやおやこの声は我らが救世主さまのもの! お目覚めになりましたかそれはよかったと、わたくし胸をなで下ろしますよ!」
「!?」
唐突に二人の会話に割り込んできた、妙な言い回しのその声に、美鳥は思わず目を見開く。
「え、か、カップルさん? も、ついてきてるの!?」
「ええ、ええ、驚かれるでしょうねえ、そりゃあそうでしょう、ミドリ様の救世の旅に、このようなしがない道化が道連れになるなど、どこぞの語り部たちはずっこけるでしょう!」
「やかましい、黙れ道化」
「まあまあ……」
カップルの声は幌の外側から聞こえており、それにかみつくようなレイヴン、なだめにかかるハロードの声も同様だった。
「サイラースの遺体は大神殿が引き取ることになりまして、フラトールの教会も一度しっかり清めてから次の神官を選定するという流れになったのです。まあ住民達は何事だと騒いでおりましたが、実際にあれを見たものはわたくしたち以外おりませんでしたので、強力な魔獣が出たと言ってうやむやにされましたよ。そしてわたくしはといえば、異形のものを見てしまった上、ミドリ様の力の片鱗まで知ってしまったということで! 本来なら大神殿の地下にでも放り込まれるのでしょうが、ハロード様とシャナ様が口添えして下さいまして、決して他者にこのことを話さず旅を手伝うなら、このまま外の世界をまわってもよいということになったのです!」
「……つまり、私たちに関わっちゃったから、変なこと言わないように見張られながらついてくることになった、ってこと?」
カップルの長い説明をなんとか理解した美鳥は、シャナの顔を見上げた。シャナは困った表彰を浮かべると、何か言いかけたが、それを遮るようにカップルが答える。
「ミドリ様、何も貴方様が気に病むことはございません。わたくし見ての通り、ちょいと手先の器用な道化でございます故、地下などに放り込まれれば退屈のあまり何をしでかしてしまうか! 皆様の素性を胸に秘めておくだけで日の下を歩けるというのであれば、それぐらいどうということはございません。もとより、神官殺しの汚名を被るつもりでいたのですから」
最後の方は、いつものふざけた調子では無く、数段低いトーンの声でカップルは呟いた。
「ミドリ様、わたくしは感謝しているのです。サイラースは卑しいわたくしを友と呼んでくれた。ただ一度、魔獣を払いのけ、美味くもない干し肉を分けただけのわたくしに救われたと。そんな彼がああなっていく様を見ながら、わたくしは彼を殺さねば、それが彼の望みなのだと理解していても、なかなか実行できずにいました」
いつしか、カップルの告白に一行は皆、口を閉じ耳を傾けていた。
美鳥は、異形のものと化したサイラースと、その周りを飛び回っていたフェアリー達を思い出す。
「結果、あのような姿にしてしまってからのわたくしの心の内など、分からないでしょう。彼だったものに刃を向けた手が幼子のように震えたことなど、分からないでしょう。そして」
一度言葉を切ったカップルは、吐息混じりに、酷く優しい声色で続けた。
「貴方様と、召喚されたものたちの力で彼が元の姿に戻った時、どれほど喜び安堵したか、分からないでしょう。ですから、わたくしは貴方様のため、サイラースのようなものをこれ以上増やさないため、協力を惜しむつもりはございません」
「カップルさん」
カップルの言葉を聞き、美鳥は今、彼と同じ空間にいないことを感謝した。美鳥の様子に気付いたシャナは、何も言わずに彼女の手を握る。
賞賛と感謝、そうして得た献身。この世界で、求められた力を行使して初めて救えた人々。彼らの想いは嬉しくて、よいことができたのだと思えるのに、それらは美鳥の胸に酷く重く感じられた。
「……うん、一緒に、がんばりましょう。でも、絶対絶対、無茶はしないで下さいね。みんなも、だよ。もう、私も、みんなも、怖い目にあうのなんて、嫌だから」
疲れ果てて動かしにくい手のひらで流れた涙を乱暴にぬぐい、美鳥はぐっと唇を噛みしめた。
そうして、少々騒がしい旅の仲間が一人、増えることとなった。
いつぶりでしょう。久々更新。
また文章の質が落ちたように思えますが、ご容赦を……誤字脱字、意味の取り違えなどお気づきの点は感想にてご連絡を!(お手柔らかに)
にしてもなぜかシリアスっぽい。うぬう。