(93) ~ 彼方からの助言
シャナは自分の手の下で、美鳥の背がこわばったのを正確に感じ取っていた。
(まだ、この方はまだ何も受け入れ切れてないのに、どうしてこんなに早く異形のものと出会ってしまったの!?)
異形のものが元々は人間であるという事実は、この増え続けた何十年かのうちに人々のうちに次第に浸透していった。だが、当初は誰もが混乱し、怯え、どんな人間が変化するのかといったでたらめな情報が出回る度、凄惨で無意味な殺戮が繰り返されたという。
美鳥が呼ばれた理由は、人々を脅かす異形のものを滅すること。しかしそれはまた、同族を手にかけるということ。
シャナの脳裏に、真実を伝えられた日の取り乱した美鳥の姿が浮かぶ。呆然として、喚いて、気を失って……次に目が覚めた美鳥は、もともと気乗りしていなかった使命についての話題を極端に避けるようになった。それを見て側付きたちは決めたのだ。彼女が自分の使命を受け入れようとするまで、無理に彼女の負担になるようなことはするまいと。もし、どうしても美鳥が使命を受け入れないときは、どうにかこの地に三柱を呼ぶことだけでも頼もうと。
「うーん、では絶望的と言っていいのですねえ、この状況。いやーこれはフラトールが地図から消えることになりますかね」
シャナの返答に対し、カップルは苦笑を浮かべながらぐるりと周囲を見回して呟いた。
「カップルさんの力では……」
「いやあ無理ですねえ! さすがの私でも、異形のもの相手にはさっきのが限界ですよ。それに、本来ならとどめのためにととっておいた手段も、すでに使ってしまいましたし……さてはて、あの術の効力が切れたときが、私たちの命運も尽きたときですかねえ」
「そんな……!」
シャナの悲痛な声が上がる中、異形のものを封じていた土壁が大きく震えた。どごん、どごんと巨大な力で叩く音とともに、びくともしていなかったはずの土壁がぽろぽろと崩れていく。
(本当に、私、なんにもできない……)
背中にシャナの手の温度と、震えを感じながら、美鳥はじっと地面を見つめていた。
勇者。救世の巫女。最高の召喚術師。
そう呼ばれて、どこかでちやほやされる状況を楽しんでいる自分が居て。
(でも、こんなのって……!)
目の前が、暗くなる。雄叫びが響き渡る。
そんなときだった。
『ほら、前を向かなければ帰ることもできないよ。それに、俺も手助けできないし』
急に音という音が消えて、シャナの手の感覚すら失われた。自分の手が爪を立てている地面の感触さえあやふやになったのに気付いた美鳥は、慌てて顔を上げた。すると目の前には、妙な光景が広がっていた。
自分の座り込んでいる場所はあきらかに土の道なのに、少し離れると緋色のやわらかな絨毯に変化していた。周りの風景も、果樹や木立がならぶ田園風景に重なるようにして、数え切れないほどの本が収められた棚がぐるりと囲んでいるものが見える。
なにより、ぴたりと制止している異形のものの手が突き出している土壁とほぼ同じ位置に、座り心地の良さそうな横長のソファと、それに寝そべる人影が現れていた。人影の顔は開かれた本で隠されていて分からないが。
「あ、なた、誰ですか?」
『基礎知識は巫女の誰かから教えてもらったはずだろうけど。まあそのあたりは今はいい。こうして干渉しているのも本来なら約束の範疇外なんだしね。無理矢理君を理由にして繋いでいるわけだし』
人影は一気にそうまくしたてると、寝そべった体勢のまま人差し指で美鳥のことを指さした。
『平穏な日常からこんなへんぴな世界へ飛ばされてきたことは同情するけど、どうにかして呼んだ奴らの希望も叶えてあげなきゃ帰れないんだから。そう簡単に諦めるもんじゃないよ』
「簡単に、って、今この状況で、生きてられるかなんて!」
『だから手伝ってあげるっていうんだよ。たく、本当ならこっちについてからいろいろ教えてあげる予定だったのに、リンブルーリアから出る前に……ねえ? さすがにちょっと手を打たなさすぎたかな。まあいいや』
人影が人差し指をくるりと回すと、その軌跡に光の輪が出来あがった。それを美鳥の胸の前まで軽く弾きとばす。
『さて、そのリング。普通に持てるから片目で覗いてごらん』
「え?」
美鳥は混乱しながらも、言われたとおりにリングに触れて、ゆっくりとそれを右目の前に移動させた。そして何度か瞬きをしているうちに、じわりと視界に浮かび上がるものに気付いた。
「あれって……」
ふわりふわりと、異形のものを取り囲むように光の玉が浮かんでいた。薄紅色であったり、水色で会ったり、黄緑色であったりと様々な色があったが、さらによく見るとその中に小さな人の姿が見えた。おそらく人の手のひらくらいの大きさであろうその人の背中からは、ぴんと伸びた美しい羽が生えていた。そしてその誰もが、悲痛な表情を浮かべて異形のものを見つめている。
『フェアリー。様々な術を得意とする種族だね。そしてそこの異形のものが人間……というか召喚術師だった頃、契約していた者たちでもある』
「え」
人影の言葉に、美鳥は息をのむ。異形のものは人間が変じたもの。しかも今の人影の言葉から察するに、人間の中でも召喚術師がこうなってしまうらしい。
「それって、あたしもああなっちゃうってこと!?」
『……うん? なーんか中途半端に知識が伝わってるな。そこらへんの補強も俺がしないといけないのか……。あー、結論から言うと君はならない。なぜなら異世界から来たから。以上』
「へ!? あ、あと、えっと」
『あーそんなんいいから』
人影が質問に答えてくれたのを見て、美鳥はさらに質問を重ねようとするが、まるで犬猫を追い払うかのように振られた人影の手を見て言葉を飲み込む。
『さて、もともとの術者が異形のものになっちゃったわけで、彼らフェアリーを喚ぶ者はいなくなった。次元がずれているとはいえあんなに近くにいるのにね。けれど今君は彼らの存在を知ったわけだ。三柱と交信、できたんでしょ? すぐそばにいる彼らに声がかけられないなんてことないだろう』
「え」
『彼らの力を借りて、捕らわれた召喚術師を解放するんだ。殺すのとはちょっと違う。それが勇者として喚ばれた、君の仕事だ』
最後に、人影は顔に載せていた本をどけると、金色の双眸を美鳥に向けた。
次第に薄れていくそれを見ていた美鳥は、相手の正体にようやっと思い至る。
「あなたが、図書塔の賢者……」
お前久々にきたね!!! 久々すぎて私も口調忘れそうだよ!!!
けどまだ半透明だねごめんね!!!




