(90) ~ 対峙のとき
一定の間隔で聞こえる声に、レイヴンは強く唇を噛みしめた。あれは忘れもしない。自身がまだ騎士見習いだった頃……父親が生きていた頃、聞いたもの。
これのせいで、父親は帰らぬ人となった。
「来たか、異形のもの……!」
不安げに辺りを見ている住人たちなど目もくれず、レイヴンは声の聞こえる方……美鳥たちが嫌な感じがすると言っていた教会へと駆けていく。
固く閉じられた門の前までやってきて、レイヴンは美鳥たちの言葉が正しかったことを理解させられた。
「なんだ、これは」
門の向こう、教会の敷地内はどろりとした赤黒い霧が渦巻いていた。ほとんど日も落ち、暗くなっていく中、レイヴンはじっと暗がりの向こうを見つめる。
きい、と小さな音を立てて、教会の扉が開いた。その向こうから覗いたぎょろりとした目を見て、レイヴンの全身からぶわりと嫌な汗が噴き出す。ぺた、ぺたと水っぽい音を立てながら、視線の主はレイヴンを見つめたまま扉を押していく。教会の中から現れた存在に、レイヴンは息を忘れた。
「……神官、殿、か?」
彼の目には、汚らしく地を這う男がまとっている衣が、神殿に仕える者たちと同じものに見えた。
いや、だが、と混乱するレイヴンへ、異様な風体の男は近づいていく。顔には赤黒いものがこびりつき、絶えずよだれを口からこぼしている。手足は枯れ木のように細く、生き物とは思えない灰色をしていた。
「何をぼさっとしているのかね逃げろ!!」
男がじりじりと門へ近づいてくる中、動けずにいたレイヴンは誰かに抱えられて門から引き離された。はっと我に返って振り返れば、口元を引き締めたカップルがレイヴンの体を片手で支えていた。道ばたには軽食らしいパンが入ったバスケットが投げ出されており、どこからか帰ってくる途中だったようだ。
「な、お前……あれはどういうことだ!?」
レイヴンの怒声など気にも留めず、カップルは門の向こうで怪しく笑う男を見つめる。
「やっぱり、そろそろ限界が近いだろうとは思いましたがね……まさか代わりが間に合わないとは」
昼間に会ったときとは口調の違うカップルに、レイヴンの頭も少し冷える。
「やはり、あれは神官殿か。ずっと、隠していたのか」
「本人の意志でもあったんですけどねえ。代わりの方がきて、もろもろの引き継ぎが終わったら、聖都への道中殺してくれというのが自分への頼みでしたし」
さらりと答えられた内容に息をのみながら、レイヴンはもう一度男へ……神官、サイラースの成れの果てへ目を向ける。とうとう門前までたどり着いた彼は、両手でガチャガチャと格子を揺らしながら、一際狂った笑みを浮かべると。
吼えた。
「っ!」
まともにそれを聞いてしまったレイヴンは、あまりの痛みに顔をしかめて耳を押さえる。しかし、カップルは変わらずけろりとしたまま、サイラースを見つめていた。
「いやーしかし、どうしましょう……」
どこか諦めたような、力ない彼の声が発された直後、その場の空気のそぐわない三つの声が割り込んできた。
「レイヴーン! 生きてるよねすっごい嫌な感じしかしないけど事故ったりしてないよね!?」
「ミドリ様それはちょっと言い過ぎですよ! そこは思ってても言ってはダメです!」
「ハロードさん、実は貴方もそう思ってらっしゃるんじゃ……」
にぎやかな、聞き覚えのありすぎる声に、レイヴンはげんなりした表情を浮かべ、カップルは思わずといった風に吹き出した。
「皆様もいらしてしまったワケですか! しかし、神官様がいらっしゃるのは心強いですねえいやー本当に剣一本の方よりずっと!」
「貴様……!」
あからさまな言葉にレイヴンが気色ばむと、彼らに追いついたミドリ、ハロード、シャナは二人の姿を見て何とも言えない表情を浮かべた。ハロードとシャナはかろうじて言葉を飲み込んだが、美鳥はそのまま疑問を口にした。
「レイヴン、なんでカップルさんにだっこされてるの?」
「ッ!!!!?」
その一言で、いまだにカップルが腹部を支えているのを思い出したレイヴンは、たまらず抜剣して距離を取った。
「酷いですねえ、せっかくお助けしたのに」
本気で胴を薙いだレイヴンの剣だったが、カップルはあっさりそれをかわしてみせた。その身のこなしに、レイヴンとハロードは目をむき、美鳥とシャナはぽかんとした。