(82) ~ 騎士の葛藤
ハロードは、レイヴンを前に模擬剣を構えたまま、冷や汗を垂らしていた。
美鳥が火の巫女レイネとの、神々との交感をするための修行を終えたと思ったら、突然意識を失ってしまったと聞いたときには肝を冷やしたが、先ほどの食事を見る限り、本人の言うとおりただ慣れない交感に疲れてしまったのだというのも納得できた。
が、その食事の中でいろいろと彼女に馴れ馴れしい態度をとってしまったのが、レイヴンの逆鱗に触れてしまったらしい。巫女たちにも元気な姿を見せてくるといって、シャナと一緒に美鳥が出かけていったあと、ハロードはそのままレイヴンに拘束されて鍛錬場に引きずられてきたのだ。
「いや、あの、レイヴン様……そんな本気の殺気向けないで下さいすごく怖いです」
「お前の態度、気にくわないといったらない。ミドリ様はこの世界の希望だぞ。もっと敬意を払って接しないか!」
「ちゃんと敬語で丁寧に対応してるじゃないですか!? ていうか、確かにミドリ様は僕らを救って下さる方となるでしょうけど、本人はいたって普通の女の子なんですよ? あんまり距離を置いたらそれこそ……」
ハロードの弁明もむなしく、答えは剣で返された。
神殿第一騎士と、神殿第二騎士の差は大きい。ハロードも平民という何の身分も持たないところから実力で這い上がってきた騎士であるが、そのため彼はこれ以上の出世は望めない。ハロード自身も、第二騎士以上となれる能力が無いことは理解していた。
だが、レイヴンは違う。彼もまた平民出身ではあったが、リンブルーリアから贈られた『称号持ち』でもあった。称号とは身分に関係なく、その優れた能力によって国に貢献した者へ贈られる特別な名である。そしてそれは授けた国が認める限り一族の中のただ一人に受け継がれ、国の助けとなるよう育てられる。
レイヴンのものは、数代前から継承されていた牙を表すという称号だが、数年前にリンブルーリア国内に現れた『異形のもの』を命をかけて食い止めた神殿第一騎士であったレイヴンの父が殉職してから、当時見習い騎士であったレイヴンへと受け継がれた。そして彼は、確かにその名を継ぐにふさわしい才能を持っていた。
「ちょ、ちょっとお!?」
容赦なく繰り出される一撃に、焦りながらも対応していくハロードを睨みながら、レイヴンは唇を噛んだ。
平民とはいえ、重い責任を課される『称号持ち』として日々を過ごし、最近では救世の巫女と呼ばれ始めている美鳥の側近に選ばれた。ある意味で、称号を授かるよりも誇れることである。
だが、なぜ彼のような半端な能力しか持たない騎士も、自分と同じ側近として選ばれたのか。それだけが全く理解できなかった。先の食事でも、最低限のマナーは守っていたとはいえ、美鳥以上に辺りを汚し、あまつさえ苦笑を浮かべる彼女に口までぬぐわせていたのだ。
「なぜお前のような者が、選ばれたんだ……!」
思わず口から漏れた言葉だったが、ハロードにもしっかりと届いたようだった。彼の動きが一瞬固まったのを見たレイヴンは、すかさず手元を狙って模擬剣をはじき飛ばすと、がら空きの胴にとどめの一撃を入れようとし……。
「レイヴン、ハロード!」
聞こえてきた主の声に、そろって動きを止めた。声のした方を見ると、美鳥とシャナ、そしてその後ろにファーネリアの姿もあった。
純粋に、まとう空気のおかしい二人の騎士を止めたくて声を上げた美鳥とシャナは心から心配そうな表情を浮かべていたが、二人よりも後ろにいるファーネリアは、どこか厳しい表情でレイヴンを見つめていた。そんな彼女の視線を耐えかねて、レイヴンは美鳥たちがやってきたのとは別の通路へと去って行く。
残されたハロードは、いててと言いながら自分の剣を拾い上げた。おそるおそるといった風に近づいてくる二人の少女に、痛めた手首を軽く振りながら笑みを向けた。
「いやー、やっぱり嫌われちゃってますね僕! 彼、ホントに平民出身かってぐらい真面目な人だとは聞いてましたけど、想像以上っぽいです」
「え、レイヴンって平民だったの!?」
名前の前に何か別の名称があったし、立ち振る舞いも紹介された三人の中で一番しっかりしていたので、てっきり貴族か何かだと思っていた美鳥は心底驚いた。彼女の表情から、しっかりそれを読み取ったハロードも大きく頷く。
「そうですよ、確か彼の父方の祖母はどこかの下級貴族の方だったはずですけど、それ以外は全員自由恋愛で結ばれた平民だったはずです。『称号持ち』と言いましてね、国の役に立ってくれた人に固有の称号を与えられた一族なんですよ」
「称号……確か、コルナ、だっけ?」
「ええ、意味は牙。数代前平民から神殿第一騎士の中でも、さらに厳選される神聖騎士にまで上り詰めたレイヴン様のご先祖から受け継がれているものですね」
かっこいいよなあ、と呟くハロードの顔に、妬みのような粘ついた感情は一切見られない。ただただ、純粋な憧れのみが浮かんでいた。
美鳥はレイヴンが立ち去った方を見つめる。ハロードの剣を叩き落としたあと、美鳥たちの方を見た彼は何かから逃げるように、苦しそうにしていた。
「……レイヴン、無理、してるのかなあ」
「それは、あるかもしれませんけど……彼も今まで『称号持ち』として誇れるよう、途方も無い努力を重ねて第一騎士になったんです。きっと、無理をしている姿なんてもの、私たちに見せてくれることはないですよう」
ぽつりと言った美鳥の言葉に、シャナがおそるおそる返した。
そんなシャナの台詞を聞いた美鳥は、思わず後ろを振り返る。美鳥の見る先では、ファーネリアがそっと目を伏せていた。
レイヴンの面倒くさいのは結構ひきずります。