(77) ~ 彼女が喚ばれた理由
本当に魔法陣の上で気絶してしまった美鳥が、次に目を覚ますと広々とした天蓋付きの寝台に寝かされていた。見慣れない場所だと言うことを理解して跳ね起きると、着ていたはずの高校の制服は脱がされていて、すとんとした白い丈長のワンピースと厚手のガウンを着せられていた。
「え、え、嘘。なんで?」
布団も、服も、その身で触れる何もかもに現実の感触を伝えられ、美鳥は膝を抱えた。
ついさっきまで、全くいつも通りの生活をしていたはずだった。母親以外の家族がやっと起き出した頃に登校し、陸上部の朝練を終えて、あくびをかみ殺しながら授業を受け、帰りのショートホームルームが終わったところでもう一度陸上部の練習に行き、そして……。
「更衣室で、着替えて、帰ろうとしたんだ……」
そこから、記憶が途絶えた。運動服から制服に着替え終わって、勉強道具がそれなりに入ったリュックを背負ったところで、急に気が遠くなったのだ。そして、ふと気がつくとあのおかしな空間に座り込んでいた。
小説が好きな友人が、最近ライトノベルというらしい若者向けの小説ジャンルで異世界に召喚されるストーリーが流行っていると話していたのを思い出す。何かの前触れがあったり、何かの事故にあったり、そういったきっかけから自分が今いるのと別の世界へ行って、何かの役目を負わされたり、第二の人生を歩むようになると。
「いやいやいや、役目なんて何にも出来るわけないじゃない、ただちょっと人より体力があるだけの女子高生だよ? っていうか、まだまともに恋愛もしてないしあこがれのキャンパスライフとかいうのもしてないし、地球でやりたいこといっぱいあるのに、なんで第二の人生なんてしなくちゃいけないのーっ!?」
そこまで思い出して、美鳥は膝を抱えたまま叫んだ。すると、どこからかドッタン! と誰かが倒れ込むような音が聞こえてきた。ん? と首をかしげて音のした方を向くと、金細工が施された白い扉が左手に見えた。
しばらく、扉の向こうでもみ合うような物音と、人の声が聞こえたが、やがて落ち着くと控えめなノックがなされる。
「……ど、どうぞ」
美鳥が遠慮がちに小さな声で許可を出すと、ゆっくりと扉が開かれた。
部屋の中に入ってきたのは、最初に出会った女性の内の一人で青い服を着ている人だった。彼女の後ろには、白い外套をまとった少女が一人と、白銀の鎧をまとう青年が二人続いた。誰もが、緊張にこわばった表情をしていて、美鳥はさらに縮こまった。
「あ、あの」
「……突然、平穏な暮らしからこのような世界へお呼びしてしまったこと、誠に申し訳ありませんでした、召喚師さま」
少女と青年たちを扉の辺りにとどめさせた女性は、ゆっくりと美鳥に近づいてくると、近くにある椅子に座らず、直接床に膝をついて寝台の上にいる美鳥と目を合わせてきた。
年の頃は二十を超えたくらいだろうか、きらきらと輝くストレートの髪は銀色で、肌は雪のように真っ白。何より印象的なのはその瞳で、どちらも青と呼べる色なのだが、微妙に左右で色味が違っていた。
オッドアイの美女は、膝を抱えていた美鳥の手を取ると、ぎゅっと自身の両手で包み込んだ。白いそれは、例えた雪と異なり酷く温かだった。
「ここはリンブルーリアの中心都市にあるカルトア大神殿です。わたくしたちが信仰する神々からのご神託により、召喚師様をお迎えすることとなりました」
「りん、ぶる?」
「リンブルーリア……隣国、オーデントとヴィストに伝わるカルトア神教の、聖地が残された国です。そして私は、三柱と呼ばれる神々が一柱、水の神のご神託を受け取る水の巫女、ファーネリアと申します」
「えと、ファーネリアさ……様?」
なにやらものすごく偉い人らしいということをおぼろげながらに理解した美鳥は、わたわたと膝抱えポーズから正座に移ろうとした。だが、慌てる美鳥の手を掴んだまま、ファーネリアは静かに微笑む。
「どうぞ楽になさっていて下さい。わたくしのことも、無理せず、呼びやすいようになさって下さって結構です」
「……えと、じゃあ、ファーネリアさん……で、いいですか?」
「はい」
心なしか、様ではなく、さん付けで呼ばれると嬉しそうな表情になったファーネリアをしばし見つめていた美鳥だったが、はっと我に返ると自分も自己紹介を始めた。
「え、えっと、私、高橋美鳥っていいます。美鳥が名前で、高橋が名字……家の名前です」
「ミドリ・タカハシ様、ですね? よければ、ミドリ様とお呼びさせていただけますか?」
「様なんて! よ、呼び捨てでもいいぐらいです!」
「それは少々……では、人の少ない場所では、ミドリさん、と」
「あ、はい」
頷いた美鳥は、そのままファーネリアに握られた自分の手を見下ろした。
「あの、ファーネリアさん、私、なんでここに……」
「ええ、それをお話しするために来ました」
わずかに手を握る力を強めると、ファーネリアはゆっくりとこの世界の状況を語り始めた。
始まりは、たった十数年前だという。魔術師の多い隣国オーデントに、『異形のもの』と呼ばれる人でも動物でも無い、おぞましい化け物が頻繁に現れるようになった。
だが、それは急に現れ始めたわけではなかった。残された資料を辿ると、大体十数年単位で一度、オーデント国のどこかに『異形のもの』は現れ、そして大量の人間を殺して消えたという記録が残されていた。だから、最初の内は誰もが、また一瞬の災厄が襲ってきたのだと思ったのだという。
が、今度は『異形のもの』はいなくならなかった。どころか、ゆっくりと確実にその数を増やしていったのだ。その出現場所も、オーデント国だけにとどまらず、戦士の国ヴィスト、宗教国リンブルーリア、果てにはオーデント国の東に広がる海域にまで広がっていった。
増え続ける『異形のもの』と反比例するように、人間が減っていった。三国が協力して討伐に向かうも、たった一体の『異形のもの』を倒すのに何百人という人間が犠牲になった。それでもなんとか人間が勝つことができるのは、召喚魔術師たちがこの世界へ呼び寄せる召喚体の力が大きいという。人では無い様々な特徴を持つ彼らは、『異形のもの』との戦いに大いに貢献していた。
そんなある日、各地で生まれた『異形のもの』が一斉にオーデント国の東を……海の向こうを目指し始めた。今までろくな連携もしていなかった彼らが全く同じ行動をとり始めたのを見て、三国の上層部は焦りに焦った。そのとき、三柱の神々から神託が下されたのだ。
『かつて世界を滅ぼさんとした破壊の一族、魔族の復活が為されようとしている。このままでは、人間は滅びる他ない。よって、我らの力を呼び寄せる力を持つ者を、最高の召喚師を与えよう。その者を守り、支えよ。さすれば、希望はもたらされる』
「そして、呼ばれたのが、私……?」
「はい。三柱の神々ご自身が、探し当てたお方、人間の希望が、ミドリさんなのです」
熱を込めた瞳で答えるファーネリアに、美鳥は混乱しきった様子で首を横に振った。
「待って、私、そんなすごいこと、出来ないよ……!」
「……すでに、水の神よりミドリさんが争いの少ない世界からいらしたことは聞いております。このような戦乱とは、無縁の生活をなさっていたと」
「そうだよ、普通に、家族と暮らして、学校に行ってただけなんだよ!? 私なんかがそんな、そんなこと!」
「ええ、ですから、ミドリさんのいらした世界では、貴方の持つ才能は花開きませんでした。全く使わないのであれば、それは持っていないのと同じことです。ですが」
震える美鳥の手を撫でて、ファーネリアは続ける。
「この世界でなら、貴方の……神々をも呼び寄せることの出来る召喚の才能が、確かに発揮されるのです。お願いします、ミドリさん。わたくしたちも出来る限りのお手伝いをいたします。決して、一人で背負わせたりはいたしません……!」
そう言うと、ファーネリアは握った手に自身の額を押し当てた。そして、美鳥は気付いた。怖くて怖くて仕方が無いのは、自分だけじゃない。ファーネリア自身も、神様の言ったこととはいえよその世界からやってきた美鳥にすべてを任せてしまうのが怖くて、申し訳なくて、情けなくてたまらないのだと。
「……ファーネリアさん」
「はい」
「いきなりこんなところに連れてこられて、帰してよっていっぱい叫びたいし、怒りたいし、怖くて仕方ないけど……ファーネリアさんに八つ当たりしちゃうかもだけど」
「それぐらいで済むのでしたら、いくらでも受け止めます」
間髪入れずに返ってきた言葉に、美鳥はとうとう、困ったように笑い出した。
「そんなに、言われちゃったらな。じゃあ、ファーネリアさん、私がこの世界にいる間、ずっと私の味方でいてくれますか?」
「もちろん、です」
「なら、頑張る」
「…………」
勢いよく、ファーネリアの頭が上げられた。そして美しい顔をくしゃりとゆがめて、彼女はそっと美鳥を抱き寄せた。
「ありがとう、ございます。……わたくしは、ずっとミドリさんの味方です」
抱きしめられたまま、ファーネリアの胸元に顔を埋めた美鳥は、ぐっと唇を噛みしめた。
ファーネリアの言葉のどこにも、自分を元の世界へ帰すといったものが無いこと、その意味を理解して。
巫女たちは神々から、「戦いの無い平穏な世界から来る者なので、その心までしっかり支えなさい」と何度も言われているので、対応がかなり腰低めです。