(16) ~ 彼の作る輪
「じゃあ余裕じゃないか。いっくよー」
「う、わああ!?」
ふわりと二人を取り巻く風に体を持ち上げられ、レイルは何度目のことか分からなかったが、思わずオズの腕にすがりついた。あっという間に四階建ての校舎を見下ろす高さまで上昇すると、風に乗って目的の教室へ向かっていく。
見習い棟……通称『原石の館』と呼ばれる、入学後の見習い魔術師が三年間過ごすことになる校舎にたどり着いたオズは、その三階……調合試験を行っているその教室の窓を叩いた。試験の順番待ちをしていた生徒がオズに気づいて指を向け、振り返った教師が驚愕の色を浮かべて、慌てて窓に駆け寄ってくる。
がらりと勢いよく開けられた窓から、薬草学担当の魔術師、ウィスパーが腕を伸ばした。
「オズ!! さっさと来なさい、危ないでしょう!!」
「ほら、レイル、先生の手に捕まって」
「う、う、うん……」
必死の形相で腕を伸ばすウィスパーに向けて、しかしオズは余裕の表情を崩さないまま、右手にしっかりと抱きついていたレイルを促す。レイルはゆっくりとオズの腕から左手を離すと、ウィスパーの手をつかんだ。そのまま、腕を伝って両脇をしっかりと抱えられたレイルは、無事に教室の中へ降り立ち、深いため息をついた。ばくばくと早鐘のように打っている心臓を押さえていると、隣に軽やかな足取りで着地するオズの姿が見えた。
「オズ、見習いのうちは、たとえ学校の敷地内であっても、いかなる魔法も使用を禁ずると校則にあったはずですが、まさか聡いあなたが理解していないはずないですよね?」
とたんに、普段は涼しげな表情を浮かべているウィスパーの、これ以上無い怒り顔が向けられる。そのあまりの怒気に当てられて、オズでは無くレイルが肩をすくめた。そのことに気づいたウィスパーは、慌てて彼の肩を叩く。
「すみませんレイル、無茶なことを頼んでしまって。貴方は先に、列に戻って下さい。オズを連れてきてくれてありがとうございました」
「あ、い、いいえ……」
「……試験を続けて下さい! レイネル、監視のほう頼みます、オズ、あなたはこちらへ」
「わかりました」「はーい」
教室の隅に座っていた、上級生の外套をまとっている青年が静かに頷き、オズは場の空気を全く読んでいない表情で返事をした。思わず、頭痛がするかのような動作で側頭部を押さえていたウィスパーだったが、そのままオズを連れて教室の外へ出て行ってしまう。
残された生徒たちは最初こそざわついていたが、レイネルが静かに「あと十五分」と告げると、慌てて自分の作業へ戻り始める。レイルは壁際を歩いて、順番待ちをしている生徒たちに混じると、教科書を抱きかかえて背を丸めた。
「レイルくん、大丈夫ですかー?」
「……ミリアさん」
真っ先に心配する声をかけてくれたのは、試験日にレイルの席で爆睡していた女子生徒だった。彼女もその後合格し、レイルたちと同じクラスになり友人になった一人である。
「オズくんは今日はどこにいたんです?」
「校舎裏だよ。あそこは、木が多いから……見当たらないなと思ったら、大体あそこにいるんだけれど」
「校舎裏あ? 嘘ついてんじゃねーよレイル。俺、この間からあっちのほうに何回も行ってるけど、オズとなんか一度も会ったことないぜ」
そこで会話に参加してきたのは、しかめ面がデフォルトの少年バルドである。平民出身だが、攻撃魔法のセンスがずば抜けていて、乱暴そうな性格とは裏腹に努力家であるため、実際に問題行動の多いオズよりも評判の良い生徒だった。彼も以前はオズのことを、才能の上にあぐらをかいた気にくわない野郎だと言って毛嫌いしていたが、あるときとうとうキレて喧嘩を売り、あっさり負けたことで彼をライバル視しつづけている。
魔法を使った喧嘩をしてからというもの、オズのことを気にくわない、気にくわないと言いながら積極的に会話に混ざってくる。しかし、オズの性格を知り、彼の深い知識を目の当たりにすることで、悪態をつくことも少しずつ減ってきていた。彼の目標は、オズの結界を自身の攻撃魔法でぶち抜くこと、らしい。
「オズくん、多分魔法を使って隠れてるんだ。僕だって、探しに行っていつも見つけられるわけじゃないし……バルドくんに見つかると大変だからって、前に言っていたから……」
「あ、の、野郎~!」
ぎりぎりと、試験中であることを考えてか小声で悔しそうに唸るバルドに、レイルは苦笑を向ける。
入学直後は、平民を中心にオズの周りには自然と人が集まった。中には下流貴族の子息も混じっていて、身分違いでもこんなに穏やかに交流が出来るものなのかとレイルは密かに感動していた。
だが、オズが授業をサボり始めてから、彼の側からは人が減った。彼が主席であったという情報が漏れてからは、内心馬鹿にされていたのだと、オズと交流の無かった者から次々に憤りの声があがり、気づけば普段から一緒にいたレイルとミリア以外はオズに近づくこともなくなった。すっかり問題児として名をはせてから出来たオズの友人は、バルドだけだ。
最初の頃のまま、過ごせていたらよかったのに。そう思って、レイルはため息をつく。ひょっとすると、友人だと思っているのはレイルの方だけなのかもしれないなんて、嫌な考えにまでとりつかれて。
その後、疲れた顔をしたウィスパーに連れられてきたオズを交えて、次の班の試験が始まった。
後日張り出された試験結果では、当然の如く合格者名の中にオズの名前も入っており、授業にろくに出てもいないクセにといつもの陰口が始まった。