(102) ~ 賢者と勇者、邂逅
大量の情報を処理しきれず、一時的に錯乱状態に陥ったアーヴァンスだったが、とりあえず細かいことは置いておいてともに図書塔へ入ろうという結論に至ることはできた。
「にしても、なんで図書塔の入り口前で呻いていたんです?」
「図書塔の賢者へお目にかかる条件の中に、この入り口に触れた時点で彼の賢者の歓迎の言葉をいただくというものがあるんだ。今日こそはと思って挑戦したのだが……今日もまた、お言葉は聞けず……」
「へえー。私はどうだろう、聞けるかなあ」
「ミドリ様、所詮はそれも噂に過ぎないでしょう。とりあえず中に入って、賢者を探しましょう」
「……そこの神殿騎士はなんというか、『称号持ち』にしても鼻持ちならない態度この上ないな」
「いやアーヴァンスさんもなかなかですよ」
ばちばちと静かに火花を散らすレイヴンとアーヴァンスを眺めて、ハロードは酷く疲れた表情を浮かべながら投げやりに呟いた。それを見て、大丈夫なのだろうかこの勇者一行は、などと思いつつ、美鳥はそっと扉に手をかける。
扉を押した感覚は軽く、ほとんど音も無く開いていく。特に何かの声も、気配も感じることは無かったが、目の前に広がる光景に美鳥は「わあ!」と歓声をあげた。
「これは……!」
「見渡す限り、本だらけですねえ!」
他の面々も図書塔の中に入って、周囲をぐるりと見渡しため息をついた。
塔の中は吹き抜けになっていて、階層ごとにぐるりと壁に沿った廊下が上へ続いている。その壁沿いに、ずらりと本棚が並べられ、多くの書物が収められていた。
美鳥たちが入ってきた場所はどうやら塔の二階廊下に当たる場所らしく、中央吹き抜けの方を眺めるとさらに下の階層が見えた。一階には円卓がいくつか並べられており、壁だけでは無く円卓ごとにスペースを仕切るように本棚が並べられ、上から見るとまるで迷路のようにも見えた。
「大きな図書館だね。でも……あの階段、なんだろう?」
一階を見下ろしていた美鳥だったが、手すりを離れると自分たちの入ってきた入り口正面から半端な高さまで上に伸びている階段を眺めた。不思議に思ってアーヴァンスを振り返ると、彼も悔しそうな表情を浮かべて首を横に振る。
「この、途切れた階段については謎を解明したものはいないのです。ただ、どうやらこれが作られたのは賢者がこの塔の管理を任されてかららしい、という記録が残っているのみで」
「じゃあ、ここを登ればひょっとして会えるのかな」
「そう思って登った者は何人もおりますが、見ての通り二十段程度の短い階段です。その先には手すりも何もなく、ただ足を踏み出しても何かがあるわけではなく、期待を胸にした魔術師達がそのまま階下に落ちるだけでして」
「アーヴァンスも落ちたりした?」
「足を踏み出したことはありますが、浮遊の魔法ですぐに体勢を整えましたので特に問題は。ミドリ様はそういった魔法は習得されて?」
「ないです……ここに来る前に一度、妖精さんを呼びだしたことがあるだけで」
「すでに召喚体と契約されておりましたか! それはすばら」
「ミドリ様を賞賛するのはいいが、結局賢者はこの最上階にもいないのか?」
おずおずとフラトールでの経験を口にする美鳥に、アーヴァンスは瞳をきらりと光らせて大きく頷いた。そのまま絶賛の言葉が続く……かと思ったところで、面倒くさそうにレイヴンが流れを断ち切る。言葉をさえぎられたアーヴァンスはこれ以上無く目を細めて彼を睨み付けたが、レイヴンは何処吹く風といった表情で階段を上り始める。
「……最上階も隅々まで見たが、賢者はそこにもいらっしゃらない。だが、王の間にある契約板に偽りがあるはずない。確かに賢者はこの図書塔にお住まいになっているのだ」
「うん、そうだね……きっと、賢者様はここにいるよ」
ぎり、と強く拳を握るアーヴァンスのそばで、美鳥がぽつりと呟く。え、とほうけた表情を浮かべた彼のそばを通り抜け、美鳥は先に階段を登っていったレイヴンを追った。
「レイヴン! 変わりない?」
「ええ、見晴らしがいいだけです。ミドリ様、危ないですから最後の段には上がらないように」
最上段に右足だけをかけた状態で周囲を見回していたレイヴンは、続いてきた美鳥を軽く手で制した。彼と並んだ場所で同じように周囲を眺めていた美鳥は、「あれ?」と声をあげる。
「ミドリ様?」
「……ああ、そっか。ここからの光景だ。私が、あのときフラトールで見たときと同じ」
周囲を埋め尽くす、本。
敷き詰められた赤い絨毯。
円形の小さな部屋……いや。
あれは、部屋では無く。
「そうだ、あのとき見た、あの人がいた部屋は、壁が遠かった。本棚が遠くにあって、きっと、ちょうど……ここに、浮かんで」
「ミド」
ぶつぶつと口を動かしながら、目の前の何もない空間を見つめたまま動かなくなった美鳥に不安を感じたレイヴンが彼女の肩に触れようとした、そのとき。
『よしよし、やっと来たね』
この場にいる誰の者でも無い、若い男の声が響いた。
「えっ?」
全員が驚きの声を上げて、声の聞こえてきた方……上り階段の先、何もないはずの空中に視線を向ける。すると、塔の中心にふわりとオレンジ色の炎が灯った。
『お前、性格悪くねえ? ちゃーんとたどり着いたんだから、さっさと出てこいよ照れ屋か』
『あっはは、だってあそこの魔術師くん、もう何十回とここに通い詰めてたのにさあ、あんまりあっさり出てあげるのもなんか気の毒じゃない?』
若い男の声が二つ。一つは少々早口で乱暴な、もう一つは余裕を持った良く通る声。
一行がみな、階段を登り炎を見つめていると、その炎を中心に幾重にも重なった魔法陣が広がった。光で編まれた魔法陣は美しい円形を形作り、ちょうど縁が上り階段の先端と接続するほどにまで広がると、ぱあんとはじけて消える。
その眩しさに目を閉じた美鳥たちだったが、目の前から聞こえてきた一人分の拍手に気づき、ゆっくりと視線を向ける。
先程までなにもなかったはずの空中には、広がった魔法陣と同じ広さの島が浮かんでいた。赤い絨毯が敷き詰められ、いくつかの本棚が並び、背の低いテーブルの上には無造作に開かれた古びた書物と何かが書き散らかされた紙片が積み重なっている。そして、島の中央にはいつか美鳥が見たのと同じ、赤い長ソファが置かれていた。その前に、彼は立っていた。
「やあ、ようこそ美鳥。不運な異界の子。俺がこの塔の管理者で君の役目の手伝いをさせてもらう魔術師、オズだ」
先端に古びたカンテラをつり下げた杖を腕で支え、穏やかな笑みを浮かべた黒髪金目の絶世の美青年は、そう名乗りあげた。
やっと会えたあああああああああああああ!!!!!!