波はときに
「お願いします!!」
「いくら澪の頼みでも無理なものは無理っ!!!」
放課後の教室で澪にそうつめよられた遊は逃げるように教室を出ていってしまった。
「あ、、、やっぱりダメか...。」
「どうかしたか?」
声の方に目を向けると先程まで教室に居なかった悠と憬都が立っていた。
「あー、あのね...」
その話は数日前にさかのぼる。
2学期も始まり、9月中旬。澪の所属するコーラス部では1ヶ月ほど先にある市の音楽祭に向けての練習を始めていた。その曲の見所はソプラノとアルトの1対1のソロ。顧問や部の幹部が澪の声を聞かせたいために選んだようなものだった。しかし、それに対応できるソプラノ歌手は部内にいかなった。
「私は、遊と歌いたいの...。」
いつもの元気な声ではなく少し沈んだ、でも芯のある声質で言った。
「なるほどね...。」
悠はそうつぶやいた。
「あれ?電気ついてる...。」
「本当だ。」
悠と遊が家につくとそこは珍しく電気がついていた。2人の両親は仕事が忙しく2人より先に家にいることは滅多になかった。
「お帰りなさい、はるくんにゆうちゃん!!!」
扉を開けると迎えてくれたのは2人の母親である紅葉だった。紅葉は茶色のふわふわのロングヘアの可憐な雰囲気の女性で2児の母には到底見えなかった。
「ただいま、お母さん。」
「ただいま。珍しいね、母さんがこの時間に帰ってきてるなんて。」
「うん、寥ーryoーの1周年イベント用のデザインが一段落したからね。お父さんは会社の幹部会議があるからまだ忙しいみたい。」
寥ーryoーとは紅葉がデザインを手がけている20代の女性に今絶大なる人気を誇る洋服ブランド。そして、遊と悠は'茅ヶ崎'という元々は呉服店であった旧家で現在C2(シーツー)という会社の社長の子息令嬢なのだった。
「そういえばね、今度の寥ーryoーの1周年記念、澪ちゃんのお母様のところの雑誌とコラボすることになったの。」
夕食中、紅葉が嬉しそうに言った。澪と玲の両親は今人気のファッション雑誌の編集長とカメラマンでよく紅葉と組んで仕事をしてるのだった。
「そういえばこの間、憬都がお礼言ってたっけ...。なんでも新しい中居さんの着物がどうとか。」
「あら、ご丁寧に。」
憬都の家は大きな旅館で付き合いはそれこそご先祖様にさかのぼるらしい。
なんだかんだで4人は両親や家、でもつながっているのだった。最も、なくても友達だっただろうが...。
「で、どうしたの?はるくん。」
遊がお風呂に行くと、紅葉は悠の向かい側に腰をおろした。今回、早く帰ってきたのは遊に説明した理由も大きいが、それともう1つ。悠から相談がある、との連絡をもらってたことである。
「遊のこと。アイツ、まだ自分は部活で歌っちゃいけないって思ってるよ。」
悠は淡々としかしどこなくさみしそうな雰囲気を醸し出して言った。
「ゆうちゃん、今の学校楽しい?」
遊と入れ替わりにお風呂へ行った悠がいなくなるのを確認して紅葉はいつもの調子で遊に問いかけた。
「どうしたの?お母さん。」
遊はいきなりの質問に戸惑いながらもにっこりと笑って言う。
「楽しいよ。悠もいて、憬都も澪ちゃんもいて、クラスとか部活も雰囲気がすごくよくて!」
その言葉を聞いて紅葉は内心ほっとしていた。
「よかった、それならいいの。でもね...」
そこで1度言葉を区切る。
「やりたいことはやらないとダメよ?もちろん犯罪はダメだけど、今しかできないことって思っているよりずっと多いんだから。」
その言葉に思い当たる節がある遊は言葉に詰まる。
「いいの、かな...」
不安げに言うのはやりたい証拠。
「いいのよ。ゆうちゃんがやりたいならわたしは応援するしお父さんも悠も反対するわけないもの。」
言うだけいうと紅葉はキッチンに行ってしまった。
「澪、あの...」
「おはよう。どうしたの?」
翌日の朝、あいさつもそこそこに遊は澪に話しかけた。
「音楽祭の話ってまだ、間に合う?」
澪は驚きのあまり目を見開いた。けどそれもすぐ笑みに変わりうなずいた。
「もちろん!!!」
ーやっと、過去から前に踏み出せた瞬間だった。