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2.『神童、二十歳過ぎる 2』

 マーサの言ったなんとかしろは、アーサーが片付けろという意味でもなかったはずだが、アーサーは部屋の片づけをするつもりらしかった。

 まずは掃除道具だ。一ヶ月前まではちゃんと掃除をしていたらしいから、道具は部屋にあるはずだ。部屋の隅に投げ出されたドレスをめくっていくと、床に散らばって置かれたほうきとはたきを見つける。それを確保すると、自分の荷物からタオルを取り出し口に巻きつける。

「エプロンも欲しいなぁ、おーい、マーサー」

「なによ」

「エプロンをよこせ。お前のならぎりぎり着れるだろう」

「はあ!?ちょ、ちょっと勝手にもってかないでよ!」

 どたばたとやり取りして一分後。

「よし、やるぞ」

 キリッとした顔でベアトリーチェの部屋の中央で仁王立ちをし、ごみ山を睨みつけるアーサーがいた。

「まずは掃除の基本、仕分けだ。いらないもの、洗濯物、片付けるもので分ける!」

 アーサーはそう言うと、部屋にしゃがみこみ、洗濯物をかごに、ごみは袋に、その他の荷物についてはあらかじめ片付けた部屋の隅のスペースに分けていく。

 黙々とベアトリーチェの部屋のごみと格闘していると、音がしたせいかベアトリーチェが起き上がった。

「んんっ…」

 まだ眠たげな目をこすり、上半身を起こす。そのとき、ベッドの上に乗っていた洋服のいくつかが、ばさばさと床に落ちていった。

 上半身だけ起こしたベアトリーチェは、落ちた洋服たちをまったく気にする様子もなく、ゆっくりと部屋を見回す仕草を見せる。そしてアーサーを見つける。

 手ぬぐいで顔を多い、シンプルな柄だが女物のエプロンをつけた怪しい男だったが、ベアトリーチェは一瞬にしてアーサーとわかった。

「すまん、起こしてしまったか?」

 そして振り向いたアーサーに。

「ガルルルル」

「唸るな…」

 唸った。

「ガウー!」

「吠えるな…」

 吠えた。

 ベッドの上でアーサーを威嚇していたベアトリーチェだが、アーサーが何もしないという風に両手をあげて首を振ったので、少し意識が戻る。そしてベッドに乗ったまま、眉を寄せた表情でアーサーを見上げ呟く。

「なんで、アルがいるの…」

 もう聞きなれたベアトリーチェの低い呟きを、アーサーは両手をあげたまま簡潔に答える。

「お前の部屋を掃除している」

 そう言われてみれば、アーサーの両手にはハタキと塵取りが用意されてる。

「頼んでない」

 むっとした顔でいうベアトリーチェに、アーサーは呆れた顔でいう。

「頼んでないってお前、どれだけこの部屋が散らかっていると思ってるんだ。人間の住む部屋ではないぞ。マーサに頼まれたからやってるが、頼まれなくてもやらざるをえない」

 アーサーが部屋に入ってから、30分ほど作業をしているが、部屋はいまだきれいになる兆しが見えない。むしろどうやったら一ヶ月とはいえ、ここまで散らかせたのかが疑問だ。

「ちょ、ちょっとサボっただけだもん。もう少ししたら、掃除する予定だったし」

「お前…。いくらなんでも言い訳が下手すぎるだろう。その隣に転がっている飲んだばかりの酒瓶とつまみの滓はなんだ。これから演奏旅行で忙しくなる時期だというのに、そんな有様で片付けが終わるはずがないだろうが」

 ベアトリーチェの言い訳は、彼女にしては見得見得の典型的な言い訳だった。そもそも、彼女がこういう風に言い訳しなきゃいけない事態こそが珍しいのだから、ある種仕方のないことなのかもしれない。

「うーっ…」

 アーサーに言い負かされ悔しそうに涙目で睨みつけてくるベアトリーチェに、アーサーは指を突き付けて言う。

「悔しかったらちゃんと掃除ぐらいしろ。前までできてたのだから、がんばればできないはずがないだろう」

 その言葉にベアトリーチェは俯き、恨み言のような言葉をこぼす。

「なんで…。なんで…、がんばらなきゃいけないの…。アルだって、レティだって勝手にやってるんだから、私だって少しぐらいさぼっていいじゃないの…」

「だからって限度ってものがある…。俺はともかく、マーサたちだって心配してたぞ。俺から言われるのはいやかもしれないが、友達を心配させるのはよくないだろ…」

 今まで全てにおいてがんばってきたベアトリーチェだから、一旦さぼるとなると普通の人のように制御が効かないのかもしれない。

 アーサーはそんなこと思いながら諭すようにいう。

「私だって今までどおりちゃんとやりたいって思ってるよ…。でも今まで出来てたことが、急に苦痛に感じるようになって…できなくなって…」

 俯きながらそう言うベアトリーチェの言葉が、アーサーの胸の罪悪感を突き刺す。

 思わず謝罪の言葉が口からでかけたが、次の瞬間顔をあげたベアトリーチェは、唇を尖らせてアーサーを睨みつけながら言った。

「絶対、アーサーさまのせいだから、掃除はアーサーさまがやってよ」

「わかったわかった。やってやるから、もう大人しく寝てろ」

 ベアトリーチェの頬にはまだ赤みが差している。きっとまだ酔っぱらっているのだろう。アーサーのことをさま付けで、呼んだのも久しぶりだった。

 もとからそのつもりだったアーサーは、そう言われてさっさと作業に戻る。

 アーサーに言われたからというわけではないが、ベアトリーチェはベッドにひざを立てて座り、アーサーが掃除する姿をじっと眺めていた。

 背中を向けたアーサーは、そんなベアトリーチェに気付かず、黙々と作業を続ける。

 ベアトリーチェの目から見て、その手際はやたら良かった。

「掃除なんてできたんだ…。」

 ぽつりとつぶやいたその一言が、アーサーには聞こえたらしい。作業を続けながらアーサーは、ベアトリーチェの独り言に返事を返した。

「ああ、知らなかったか。お前の故郷にいたころは、部屋は自分で掃除してたんだ。侍女をつけられるのはわずらわしかったからな。それに今は一人暮らしだ。自然とできるようになる」

「ふーん…」

 ひざを抱えるように座りながら、アーサーの背中を見ていたベアトリーチェは思った。

 知らなかった。

 フィラルドにいたころはアーサーは何度もベアトリーチェのもとを訪れてくれたけど、ベアトリーチェからは訪ねることはできなかった。

 なんでもできる人だと思っていた。けど、それは馬術や、剣術や、勉強のことで、家事をしている姿なんて思いつかなかった。生粋の王族生まれの人で、そんなことしたこともないと思っていた。

 あらためて彼について、知らないことが多かったことに気付かされる。

 それからは特に会話もなく、アーサーは黙々と作業を続けている。アーサーを見ることに飽きたのか、ベアトリーチェはベッドの上で四つ這いになり、ベッドの隙間の部分に手を入れたあと、何かを引き出す。

 隙間から手を出したベアトリーチェの両手に握られていたのは酒瓶とグラスだった…。

「えへへ」

 それを嬉しそうな表情で見たベアトリーチェは、さっそく一杯。

「何をしてる」

 しようとして、アーサーにひょいっと酒瓶とグラスを取り上げられた。

「あー!返してー!」

 叫び声をあげるベアトリーチェに、アーサーがため息をつきながらいう。

「だめだ。今日の分は全部飲ませたって、マーセルたちが言ってたぞ」

 度を越して飲むと酒乱になるベアトリーチェは、マーセルたちから一日の酒量を制限されていた。本当は一滴も飲ませない方がいいのだが、それはさすがに可哀想だということで、ぎりぎりまあ大丈夫かな?って所までは飲ませてあげている。

 ベアトリーチェも本来は昼間から酒を飲むことはないのだけれど、アーサーが関わってくると豹変してしまうことがある。

 なので今回も概ね、ここまで酒が入ってしまったのは、アーサーのせいだったりもする。

「ひどい!せっかく苦労して手に入れたのに」

 ここらでも有名人のベアトリーチェが、酒を個人的に手に入れるためにはかなりの苦労がいる。今回取り出したのもそんな貴重なお酒だ。

「だめだ。ここで飲ませたら、俺がマーサたちに怒られるだろうが」

「返して!返してー!」

 アーサーの身長で上にあげられては、ベアトリーチェの手では届かない。全盛期の頃のベアトリーチェなら、高く翔び上がり取り返せたろうが、いかんせん昼時を酒を飲んで寝てだらだら過ごしたベアトリーチェでは取り返せない。その頃のベアトリーチェなら、取り返そうと思ったりはしなかったろうが…。

 アーサーの方もここで「お前が心配なんだ」なんて気の利いたことを言えばいいのに、思いっきり自己保身をさらけ出している。

 それでもまだ酔いの入ったベアトリーチェは、酒を求めアーサーの前で暴れ回り。

「あー、もう。掃除の邪魔だ。外でマーセルたちと時間をつぶしてろ」

 片手でベアトリーチェの服の襟首をつかんだアーサーが、そのままベアトリーチェをドアの外に運ぶと、その場所で落とす。

 どすんっと適当に降ろされたベアトリーチェは、お尻をうち涙目になる。思わず振り向いたベアトリーチェの目に。

「夕方には間に合わすつもりだったが、さっきので予定より遅れてしまったな。急がねばならん」

 アーサーがこちらの様子を見もせずに扉を閉めたのが見えた。

「あの人、本当に私のことすきなの!?」

 無情に閉じられた木の扉の前で、ベアトリーチェが叫んだ。


***


「信じられないでしょ!」

「あー、まあ…。あの男ならやりそうなことだけどね…」

 ちょっと早めの夕飯をとりながら、マーサは友人の愚痴というか、今日の報告と言うものを聞いた。

 ベアトリーチェに近づくために掃除をはじめたはずなのに、いつの間にか掃除に夢中になりベアトリーチェをたたき出す。手段と目的が入れ替わる。

 あのアーサーならきっとやりそうなことだ。

「本当に何がやりたいのかわけわからないし」

「実は掃除がやりたかったのかもね」

 やたらはりきって掃除をしているアーサーは、まだベアトリーチェの部屋からでてこない。

 ベアトリーチェは酔い覚ましのお茶を両手で持ち、へっと皮肉げに笑うようにして横を向いた。

 今まで自分たちには素直で綺麗な表情しか見せなかった友人だが、最近、こんなうらぶれたような表情も見せるようになった。

 それは良い変化かどうかはわからない。たぶん、良い変化と言う人は少ないだろう。

 でもアーサーと言う男が、やたらベルという人間に良くも悪くも大きな影響を与えてしまうことは事実だ。きっとこの子は、他の誰かに同じことをされても、綺麗な表情のままで乗り越えてしまってただろうから。

 ベルにとってアーサーはどうあれ無視できない人間なのだ、きっと。

 その変化が良いものか悪いものか自分にも分からないけれど、見守っていこうと思う。だってどんな表情をしていても、自分にとってベルは大切な友人なのだから。



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