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私の飼い主が公爵様に見初められまして

作者: 白月つむぎ
掲載日:2026/05/04

 私の名前はエミール。

 雪のように真っ白で長毛の美しい被毛と、サファイアのような青い瞳を持つ、誇り高き雄猫である。


 私の飼い主は、王都の片隅で小さな仕立て屋を営む平民の娘――クローチェだ。


 彼女は数年前、裏路地でカラスにつつかれて死にかけていた私を拾い、自分の少ない食事を分けてまで看病してくれた命の恩人である。

 だから私は、この少しばかりお人好しすぎる飼い主のナイトとして、彼女を一生守り抜くと決めているのだ。


 クローチェは少し――いや、かなり変わった人間だ。

 彼女は針仕事をしている最中、よく一人でブツブツと謎の言葉を呟く。


「ああもう、ミシンがあれば一瞬なのに……でも、この世界の布地にはやっぱり手縫いで魔力を編み込む方が定着がいいのよね。前世の日本の技術と、異世界の魔法のハイブリッドってやつよ」


 ニホン? ミシン?

 私には彼女が何を言っているのかさっぱり分からないが、どうやらクローチェは別の世界からやってきた魂を持っているらしい。


 そのせいか、彼女の作る服は王都のどの職人が作るものとも違っていた。

 洗練されたシルエット、見たこともないような細やかな刺繍、そして何より、服の持ち主を守るための防御魔法が糸のひと針ひと針に込められているのだ。


 しかし、クローチェは商売が絶望的に下手だった。

 自分の技術の価値を全く分かっておらず、趣味の延長だからと、信じられないような安値で依頼を引き受けてしまうのだ。


 そんなクローチェの才能に目をつけ、搾取しているのが、下級貴族の娘であるオルトリンデ男爵令嬢だった。


「ねえ、平民。頼んでおいたドレスはできているでしょうね?」


 香水のきつい匂いを撒き散らしながら店に足を踏み入れたオルトリンデに、私はすかさず「シャーッ!」と威嚇の声を上げた。

 しかし、彼女は私を汚いネズミでも見るような目で一瞥しただけだった。


「も、申し訳ありません、オルトリンデ様。あのデザインは刺繍がとても複雑で……もう少しだけお時間をいただけないでしょうか」


「はあ? 舞踏会は目前なのよ!? その日までに間に合わなければ、お前の店を潰してやるわ。私がデザインして『私が縫い上げた』ことにしてある、最高傑作のドレスなんだからね!」


 オルトリンデはバンッとカウンターを叩き、数枚の薄汚れた銅貨を投げつけた。


「これ、前金よ。徹夜してでも仕上げなさい。ああ、それから、当日お前は店から一歩も出ないこと。私が着ているドレスを見て『自分が作った』なんて言いふらされたら迷惑だからね」


 高笑いと共に去っていくオルトリンデの背中に向かって、私は思い切り爪を立てて飛びかかろうとしたが、クローチェに優しく抱きしめられて止められてしまった。


「ダメよ、エミール。あの方は貴族様だもの。私たちが逆らったら、本当にこの街にいられなくなっちゃう」


 クローチェは悲しそうに微笑みながら、冷たい銅貨を拾い集めた。

 私はその手に頬を擦り寄せながら、あの性悪女にいつか強烈な猫パンチをお見舞いしてやると心に誓った。


 そんな不条理な日々の中、私たちの店に一人の珍しい客が訪れるようになった。


 艶やかな漆黒の髪と、鋭くも知的なアメジストの瞳を持つ、長身の青年だ。

 彼は常に簡素な外套を羽織り、身分を隠しているようだったが、その洗練された身のこなしや歩き方を見れば只者ではないことなど猫の私にでもすぐに分かった。


「この破れたマントの修繕を頼みたい。少し特殊な魔術繊維で織られているのだが、可能だろうか?」


 彼が差し出したのは、激しい戦闘の跡が残る、高度な魔法が付与された高価なマントだった。


「はい、お任せください。この織り方なら……『カケツギ』という技法を使えば、元の魔力回路を繋ぎ合わせながら、傷跡を完全に消すことができます」


「カケツギ……? 聞いたことのない技術だ。君は本当に面白い職人だな」


 青年の名前はアールニといった。

 彼はクローチェの技術の高さに驚嘆きょうたんし、それ以来、度々店を訪れるようになった。


 彼はクローチェの前世の知識からくる突拍子もないアイデアを決して馬鹿にせず、真剣に耳を傾け、そして正当な――いや、相場よりもずっと高い報酬を支払ってくれた。


 最初は警戒していた私だったが、アールニが私の顎の下の一番気持ちいい場所を的確に撫でてくれる腕前を持っていると知り、早々に彼を合格と認定した。


 アールニが来店するたび、クローチェの頬はほんのりと桜色に染まり、声は弾んだ。

 アールニの瞳もまた、クローチェを見つめる時だけは、春の陽だまりのように優しく、甘く溶けていた。


「クローチェ。君の作るものは、着る者の心を温かくする。君のその手は、魔法よりも素晴らしい奇跡を生み出す手だ」


「アールニ様……大袈裟です。私はただ、お洋服を作るのが好きなだけの、しがない平民ですから」


「身分など関係ない。君は私が今まで出会った誰よりも、気高く美しい」


 カウンター越しに見つめ合う二人の間には、邪魔など到底できない甘い空気が流れていた。

 私は気を利かせて、店の奥で丸くなって狸寝入りを決め込むのが日課になっていた。


 ――しかし、そんな穏やかな時間は、オルトリンデの依頼のせいで削られていった。


 舞踏会の前日。

 クローチェは三日三晩一睡もせず、オルトリンデのドレスを縫い上げていた。

 星空を切り取ったかのような深い藍色のシルク生地に、銀糸で緻密ちみつな星座の刺繍が施されている。


 さらにクローチェは、着る者が疲れないよう、布地に軽量化と体力回復の魔法まで丁寧に編み込んでいた。

 前世の知識と異世界の魔法が融合した、まさに国宝級の芸術品だった。


「ふん、まあまあね。平民にしてはよくやったわ」


 完成したドレスを取りに来たオルトリンデは、ドレスの美しさに一瞬息を呑んだものの、すぐに傲慢ごうまんな態度を取り繕った。


「これは約束の報酬よ」


 彼女が投げ捨てたのは、またしてもわずかな銅貨だった。

 材料費にすら全く届いていない。


「あ、あの! オルトリンデ様、これでは生地代にも……!」


「うるさいわね! 私が着て宣伝してやるんだから、むしろ感謝しなさい! ああ、そうだ。明日の舞踏会、お前がウロウロしていると目障りだから……」


 オルトリンデは突然、クローチェを突き飛ばした。

 クローチェが床に倒れ込んだ隙に、オルトリンデは店の外へ出ると、なんと外側から扉に重い南京錠をかけてしまったのだ。


「ふふっ、明日の夜が終わるまでそこで大人しくしていなさい! じゃあね、哀れな仕立屋さん!」


 外から響く下劣な笑い声。

 私は怒りで全身の毛を逆立て、扉に向かって激しく爪を立てたが、分厚い木の扉はびくともしなかった。


「いいのよ、エミール……どうせ、私みたいな平民、お祭りになんて行けないもの……」


 クローチェは疲れ果てた顔で力なく笑い、ボロボロと涙をこぼした。

 私は彼女の膝に飛び乗り、その涙を懸命に舐めとった。

 許せない。

 あの女だけは、絶対に許さない。


 ――翌日の夜。

 王都は舞踏会の熱狂に包まれていた。


 店に閉じ込められたままのクローチェは、暗い部屋の片隅で膝を抱えていた。

 私はなんとかして外に出られないかと、屋根裏の小さな換気窓をカリカリと引っ掻いていた――その時だ。


 ドォォォン!!


 凄まじい轟音と共に、店の頑丈な扉が木っ端微塵に吹き飛んだ。

 舞い散る木屑の中から現れたのは、息を切らしたアールニだった。


 しかし、今日の彼はいつもの簡素な外套姿ではなかった。

 最高級の素材で仕立てられた純白の夜会服に身を包み、胸元には王家から授与されたことを示す月の勲章が燦然さんぜんと輝いていた。


「クローチェ! 無事か!」


「アールニ様……? そのお召し物は……」


「すまない、身分を隠していた。私はアールニ・ジョルト・グローブナー。この国の宰相さいしょうであり、公爵の地位にある者だ」


 ――公爵!?

 クローチェは目を丸くして固まってしまった。

 私も思わず「ニャッ!?」と変な声を出してしまった。


「君の店が閉まっていると聞いて、胸騒ぎがして駆けつけた……その腕の痣はどうした。まさか、誰かにやられたのか」


 アールニの声音は静かだったが、その奥には底知れぬ怒りの炎が渦巻いていた。

 クローチェが言葉に詰まっていると、私はここぞとばかりにオルトリンデが置いていった銅貨を前足で弾き飛ばし、残されていたオルトリンデの香水の匂いがついたハンカチに向かって「シャーッ!」と威嚇してみせた。


「……なるほど。あの男爵令嬢の仕業か」


 アールニはすべてを察したように冷たく目を細めると、クローチェに向かって恭しく手を差し出した。


「クローチェ。君をこんな暗い場所に閉じ込めておくわけにはいかない。私と共に来なさい」


「で、でも、私、こんなボロボロの服ですし……」


「心配いらない」


 アールニが指を鳴らすと、彼の従者たちが一着のドレスを運び込んできた。

 それは以前、クローチェが「自分が着るならこんなデザインがいいな」と、こっそり趣味で作っていた淡い水色のドレスだった。

 アールニがこっそり買い取って保管していたらしい。


「さあ、世界一の仕立て屋の腕前を、王都中に見せつけに行こう」


 舞踏会の会場である王城の広間は、華やかな貴族たちで溢れかえっていた。


 その中心で、最も注目を浴びていたのはオルトリンデだった。

 彼女が着ている藍色のドレスのあまりの美しさに、誰もが感嘆の溜息を漏らしていた。


「素晴らしいドレスですね、オルトリンデ嬢。どこの職人に作らせたのですか?」


 貴族の一人が尋ねると、オルトリンデは扇で口元を隠しながら、得意げに鼻を鳴らした。


「おほほ、お褒めいただき光栄ですわ。実はこれ、私が自らデザインし、ひと針ひと針縫い上げたものなのですのよ。私には刺繍の神が宿っているのかもしれませんわね」


 その見え透いた嘘に、周囲から称賛の拍手が巻き起こる。

 オルトリンデは有頂天になり、次期国王の側近であるアールニ公爵の目に留まるのを今か今かと待ち構えていた。


 そこへ、会場の空気を一変させるような重厚な扉の開く音が響いた。


「アールニ公爵閣下、ご入場!」


 従者の声と共に現れたアールニの姿に、貴族たちは一斉に道を空け、深々と頭を下げた。

 オルトリンデも「ついに私の時代が来たわ!」とばかりに、目を輝かせて一番前へと進み出た。


 ――しかし、アールニの隣を歩く人物を見た瞬間、オルトリンデの顔からサァッと血の気が引いた。


 そこにいたのは、美しく着飾り、見違えるような貴婦人へと変貌を遂げたクローチェだった。

 そして、アールニの肩には、ふんぞり返った私がちゃっかりと乗っている。


「公爵様! そ、その横にいる小汚い女は……いや、なぜそのような平民を連れておられるのですか!?」


 パニックになったオルトリンデが金切り声を上げると、アールニは氷のように冷ややかな視線を彼女に向けた。


「言葉を慎め、オルトリンデ男爵令嬢。彼女は私が愛し、生涯の伴侶と決めた女性だ」


 会場にどよめきが走る。

 クローチェは顔を真っ赤にして俯いてしまったが、アールニは彼女の腰を優しく抱き寄せた。


「そ、そんな……! 公爵様は騙されているのです! その女は、平民のくせに私のドレスを盗もうとした卑劣な泥棒で……!」


「泥棒だと? 貴様が着ているそのドレスのことか」


 アールニの声が一気に低く、威圧感を増した。

 そのあまりの迫力に、オルトリンデはビクッと肩を震わせた。


「そのドレスを縫い上げたのはお前だと言ったな。ならば答えろ。そのドレスの裾に施されている特殊な縫製技術――フランスシームの構造を説明してみろ」


「ふ、ふらんす……? な、なんですかそれは。私はただ、普通に縫っただけで……」


「では、そのドレスに編み込まれている魔法の術式を暗唱してみろ。自分で付与したのなら、当然言えるはずだな?」


「えっと、それは……その……」


 シドロモドロになるオルトリンデを、周囲の貴族たちが冷ややかな目で見始めた。


「答えられないのも当然だ。そのドレスを作ったのは、そこにいる私の婚約者、クローチェだからだ。彼女の服には、すべて裏地の目立たない場所に『C』の文字が特殊な魔力糸で刺繍されている。確認させてもらおうか」


 アールニの指示で、女性の侍従がオルトリンデのドレスの裏地をめくった。

 そこにはっきりと、淡い光を放つ『C』の文字が浮かび上がっていた。

 決定的な証拠を突きつけられ、オルトリンデは顔を真っ青にして膝から崩れ落ちた。


「平民を不当に搾取し、監禁した挙句、その成果を盗んで公爵である私――ひいては王室が主催する舞踏会を欺こうとした罪は重い。男爵家には厳重な調査を入れさせてもらう。この女を連れ出せ!」


「お、お待ちください! 誤解です、私はただ……ひぃぃっ!」


 衛兵に両脇を抱えられ、無様に引きずられていくオルトリンデ。

 その惨めな姿を見下ろしながら、私は「ざまぁみろ、性悪女(ニャーオ)」と、最高に機嫌の良い声で鳴いた。


 静まり返った会場で、アールニは優しくクローチェの前に跪いた。


「クローチェ。君を必ず幸せにする。君のその素晴らしい才能も、優しさも、すべて私が守り抜く。どうか、私と結婚してくれないか?」


「……はい。アールニ様。私でよければ……喜んで」


 涙ぐみながら微笑むクローチェの手に、アールニが口づけを落とす。

 割れんばかりの祝福の拍手が、会場を包み込んだ。


 ――その後。

 オルトリンデの男爵家は数々の不正が明るみに出て爵位を剥奪され、彼女自身も遠方の寂れた修道院へと送られたという。


 一方のクローチェは、公爵夫人となった後も仕立ての仕事を辞めることはなかった。

 ただし今度は、アールニの徹底的な管理のもと、王族や上位貴族からのみ目の飛び出るような高額な報酬で依頼を受ける超一流のブランドとしてである。


 そして私はといえば、公爵邸のフカフカの絨毯の上で、毎食最高級のサーモンを振る舞われるという――猫としてこれ以上ない勝ち組の生活を謳歌している。


 私の飼い主は、前世の記憶を持つ少し変わった――けれど、世界で一番優しくて才能溢れる、最高のお針子なのだ。

 今日も私は彼女の膝の上で、幸せなゴロゴロ音を響かせている。

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