03. 我々ハ仕事ヲ放棄スル
「すごい、地味」
幼い子どもの発言はいつだって無遠慮で、そのくせ本音であったり真実であったりするものだから、時として無垢な子どもでなくなった者達に深く刺さるのだ。
今まさに製図班室内はその状況で、一部が不機嫌になるのを隠せずにいた。
時は少しばかり遡る。
「本日はエルズワース殿下が見学にいらっしゃいます」
いつだって微笑みを絶やさない老女、ヴァージニア・ヘンストリッジ班長の宣言に、部屋の中がざわつく。
国内の魔術士で、いや他国の魔術士であったって、エルズワース第四王子を知らない者はいないからだ。
魔術に愛された神童。
新しい魔術時代の幕開けとなる者。
ようは秀才や天才というレベルを超えた、輝かしき未来を描く魔術士の卵なのだ。
齢十歳にして、既に三等魔術士の資格が与えられている。
扱う魔術だけでいえば、既に一等の資格を持っていておかしくないほど。
「スペックがおかしいんだよ」
ノアが放った一言が、第四王子の全てを表していた。
「それにしても、殿下は一体どうして見学を?」
フレックの疑問はもっともで、誰もがヴァージニアへと視線を戻す。
けれど、皆の視線の先で老女は穏やかな笑みのままで、「好奇心じゃないかしらね」と返すだけ。
つまりは本当に好奇心か、何か理由があっても些末なものだということだろう。
そうだとわかれば、誰もがいつも通りに戻るのは当然の話だった。
ここで働いて三ヵ月。
基礎的な魔術陣で線に躊躇いが生じることはないし、急な依頼があるとしても月に一度か二度ほど。
普段の依頼数もまちまちだが、王宮での生活と仕事に必須であるものは、時間内に余裕で終わる量に収まっている。
許容範囲内だろう。
すっかり身に付いた動作で依頼書を惰性で眺めようとするも、間もなく迎える建国祭用の花火の魔術陣の依頼によって、普段の依頼書は消え失せていたのを思い出す。
昨日ひたすら描き続けた、弾ける火花の魔術陣を惰性で描いておくかと思いながら、適当な席に着いて緩慢な動作で籠をテーブルの奥へと押しやった。
魔術塔に在籍していた時のような、常に研鑽を重ねる心構えなどとっくに失せている。
いつものように隣に座るのはフレックだ。
反対隣はその時々だったが、あの服が燃える魔術陣以来、最近ではスタンがよく座るようになった。
「ハーダーさん、今日は居眠りしたら駄目ですよ」
「はいはい、さすがの俺も殿下の前で居眠りして、クビになるつもりはないさ」
ノアを挟んで無駄口を叩く二人はいつものことだ。
「それだけじゃなくて、花火の魔術陣もまだまだ残っているんです!」
「わかってるさ」
会話の内容だけ聞いていると、どちらが年上なのかわからなくなる。
「お前ら、煩い」
苛々を隠さずにノアが言えば、軽い返事と一緒に両隣のペンが紙の上で乾いた音を立て始める。
そんな中、途端に響いた軽快なノック音。
今日はどの依頼も受け付けていないので、訪れる人は限られている。
三人揃って錆びついた蛇口のような動きで、扉へと目を向けた。
開かれた扉の向こう側、まだ愛らしいと表現されてもいい年齢の少年が、従者を伴って立っていた。
黄金を贅沢に溶かした髪と、海よりも青いと讃えられる瞳。
エルズワース第四王子だ。
従者が口を開くよりも早く、小さな王子が部屋の中に入り込む。
「ふうん、ここが製図班室なんだ」
従者が制止のために第四王子の名を呼んでも、気にした様子も無くノアの手元を覗き込み、そうかと思えば描いている途中の紙を強引に手元へと引き寄せてみたり。
その際にインク瓶を倒し、描いていたフレックから小さな悲鳴が上がったのも仕方のない話だろう。
あれは仕上がる途中だった、一番ややこしい魔術陣だったのだから。
とんだ災難だ。
けれど気にした様子のない第四王子といえば、子どもらしく、実に自由だ。
標的になりたくない者は素早く籠に書きかけの魔術陣を突っ込み、インク瓶を倒されたらかなわないと蓋をする。
瞬く間に誰もが仕事を中断した状態になり、関わり合いになりたくないとばかりに目を合わさない。
そうなってしまえば第四王子もつまらなくなったらしく、そして冒頭の台詞へと戻るのだった。
「こんなの、僕が花火を上げたらいいだけでしょ?」
第四王子に言われた従者の顔が、気まずいものへと変わっていく。
「殿下。そういうことは言わないとお約束でしょう」
「だって、本当のことだし」
第四王子が話す度に従者の顔色が悪くなる。
心中では焦っているだろう。
肯定も否定も出来ないのだから。
ノアと比べても桁外れな天才である第四王子ならば、確かに建国祭の花火を一人で受け持つことは出来そうな気がする。
だからといって、それを肯定して問題事にしたくもない。
ま、口振りから肯定しているようなものだったが。
結局、第四王子が製図班室にいたのは実に二十分程度。
瞬く間の出来事だった。
少しばかり呆気に取られた者もいたが、すぐに気を取り直して描きかけの紙を広げ直している。
だが、ノアは手にしていたペンを製図途中の紙に放り投げた。
一度跳ねたペンの先からインクが飛沫を描き、途中まで描いていた魔術陣が駄目になる。
「本当のことなら、殿下が花火を打ち上げたらいい」
「カートライト君。殿下が何を言っても、実際にそんなことは不可能だってわかっているだろう?」
窘めるフレックの声が遠い気がする。
実際のところ、建国祭の王族は忙しい。
朝には王都にある大聖堂で建国できた感謝を捧げ、昼には聖騎士団によるパレードのスタートを見守ってから、国賓を迎えた夜会への準備に追われる。
この日ばかりは未成年である第四王子も参加となって、夜会を開催する大広間のテラスから花火を見届けるまでが公務だ。
そこに一切の余裕はないはず。
子爵家令息でもあるノアも、去年は夜会に参加していたから知っている。
だが、ノアが言いたいのはそこじゃない。
「殿下はそれを全てこなした上で、できると言ったはずだ。
だったら俺達がせっせと描いた魔術陣なんかなくても、殿下一人いれば事足りる」
天才と呼ばれたはずのノアですら手が届くことのない高み。
それが悔しいのではなくて、自分達の存在すら必要ないと言われた気持ちの名前がわからない。
子どものように拗ねているのかもしれないし、もっとしっくりくる表現があるのかもれないが、ノアでは知りうることのなかったものだ。
仕事を放棄するなんて、働いているくせにと言われるだろうと思っていたが、思いがけずヴァージニアから発される声は冷えたものではなかった。
「それで? カークライト四等魔術士はどうしたいのかしら?」
いつもの穏やかな空気のまま、尋ねられた言葉を反芻して考える。
ペンは放られた。
それは仕事の放棄だ。
「俺はもう、今日は魔術陣を描かない」
「あなたが拒否しても、ここにいる以上は仕事をしなさいと言うしかないわねえ」
のんびりとした声は責めてはおらず、だからこそ思うことを口にできる。
「だったら部屋を出て行く」
「お仕事を放棄して出て行く子は、連れ戻さないと」
「じゃあ逃げる」
途端に横から豪快な笑い声が加わった。
スタンだ。
「じゃあ、俺も一緒に逃げさせてもらおうかな。最近運動不足でどうしようかと思っていたんだ」
ハーダーさん、とフレックの非難めいた声を気にせず、スタンが描きかけの製図を真っ二つに引き裂いた。
「別に仕事に誇りや愛着はないさ。だがねえ、あの言い方は駄目だろうさ。子どもだからで許されちまうと、王族なんかやれねえよ」
裂かれた紙が宙を舞う。
「困りましたね」
全く困ってない顔でヴァージニアが言って、フレックへと視線を移す。
「フレック、これから二人が逃げるらしいから、後を追って連れ戻してちょうだいね」
天気の話でもしていそうな顔で下される指示に、フレックが自身の顔を指でさしながら、「何で、僕なんですか」と引き攣った表情を見せている。
「だって他の人はでは若い魔術士二人を追うのは体力的に難しいもの。くれぐれも双方ともに怪我だけはしたり、させたりのないようにね」
いってらっしゃいとヴァージニアはにこやかに手を振り、他の者は休憩に入り始めている。
どうにも仕事をする気のなくなった雰囲気に、だったら逃げる必要もないのではと思い始めたが、「俺らが逃げないと仕事できない言い訳にならんだろうが」と言われて、溜息を落しそうになる。
ようは上手く使われたのだ。
この様子だと始末書を書くのはノアとスタンの二人だけになるだろう。
けれど、動いた方が確かにスッキリしそうだった。
ローブを脱いで椅子の背にかける。
こういった逃走に重たいローブは邪魔だ。
「おっさん、俺に置いていかれないようにしろよ」
そう言いながら部屋を出た二人は合図もなく走り始めた。
「はーい、逃亡中の製図班一味が逃げ切れるか、賭けはこちらで受け付けていまーす」
平坦な声が三階の渡り廊下に響く。
「逃亡者はノア・カークライトとスタン・ハーダー。追跡者は同じ製図班のフレック・ワイラーです」
一人の少女が指し示す先には、王宮の屋根を走る二人と、時折上を確認しながら階下の廊下を走る一人の姿。
「かつての天災が逃げ切るのか、はたまたワイラー家の苦労人が捕まえるのか。間もなく投票は打ち切るので、参加する人はお早めに」
少女にしては少し低い声は、それでも渡り廊下によく通った。
野次馬と化した見物人達は誰もが「天災だ」とか「ワイラーだ」と口々に言って、お金を箱に投げ入れては名前の入った券を受け取っていく。
渡り廊下は壁がほとんどないので外がよく見える。
もうすぐ屋根の終わりが見えようとする中、ノアとスタンは屋根から身を躍らせるようにして落下していく。
それを追いかけるフレックも、廊下から躊躇いなく空中へと飛び出した。
ノアとスタンの着地場所には風が舞い上がり、落ちる衝撃を相殺しているのと同様に、フレックも風を起こして着地に備えている。
「そこだ、捕まえろ!」「今月の小遣い全部使っちまったんだ。頼むから逃げ切ってくれ!」という野次の中、一足先に着地したスタンがノアの襟を掴んで、地面に叩きつけるようにして置いたのは魔法陣だ。
途端に今度は強風が二人の体を攫って、野次馬だらけの渡り廊下に二人の体が飛び込んできた。
着地点に人の少ない場所を選んだのか、二人は無事に着地したかと思えば走り出す。
すぐに中央階段を駆け上がり始め、二人の姿はあっという間に見えなくなった。
数秒してフレックが駆け上がってくると渡り廊下に目を走らせ、野次馬の視線の先に気づいて階段を駆け上がる。
その顔は追い詰められた獣のような表情を浮かべていた。
フレックを見知った者なら知っている、過剰なプレッシャーとストレスが暴発する寸前の顔だ。
暫くして聞こえた爆発音とスタンの叫び声に、彼らを見送った野次馬たちが顔を見合わせて数秒、「ただいま閉め切りました」という少女の無慈悲な声が届けられる。
こうなると、読めないレースと化したことを察した誰もが、もはや祈ることしかできなくなったのだと廊下の天井を見上げた。
この日、製図班二名の逃走劇はフレックが魔力切れを起こして倒れるまで続き、けれど心配して駆け寄ったノアとスタンの腕を掴んだフレックが、彼らを捕まえたということで終了した。
そして、廊下の数箇所にできた爆発による損傷について、追加でフレックの始末書を提出するよう求められたのは後日の話である。
「あの王子様、本当にやってくれたなあ」
本当に製図班は納期破りをした結果、慌てふためく人々を尻目にエルズワース第四王子は、建国祭の夜を飾るための花火を魔術によって打ち上げている。
「しかも花火用の魔術は元から複数の魔術を組み合わせてできているってのに、それを複数生み出す魔術詠唱ときたもんだ。とんだ化け物級だぞ」
いつの間にいくつもの花火を打ち上げるための魔術を構築したのか。
製図班を訪れた昨日か、もしかしたら思い付きで今やってできましたとか言うのかもしれない。
格子窓の外から見える花火は尽きることなく上がっては、光を瞬かせながら散っていく。
「来年も殿下が花火を担当してくれることで話が着いているから、これで仕事が楽になるな。王子様、万歳?だ」
「いいから手を動かせよ、おっさん」
現在進行形で打ちあがる花火を見ながら、ノアとスタンは始末書作業だ。
ちなみにフレックは魔力切れによる体調不良で、本日は休みである。
家にも帰れず救護室のベッドで寝込んでいるので、あそこの窓からでは花火は見えないだろう。
「とりあえず始末書を書いたら、菓子でも持って見舞いに行ってやろうぜ。建国祭で配られる菓子は美味いからな」
テーブルの脇に置かれた小さな籠に入ったお菓子は、今日という日を記念して王宮で支給されたものだ。
バターをたっぷり使ったクッキーから、少し塩気のあるキャラメルナッツ、ビスコッティなどが小分けの紙に包まれて詰め込まれている。
人はいないが食堂の一部は使えるので、温かいお茶でも用意してもらってから向かうか考え、それよりも先に始末書だと思い直す。
この短期間で始末書を書くのは三回目となっている。
非情に不味い状況だといえるだろう。
反省事項の書き出しをどうするか考えながら、黒のインク瓶にペン先を浸した。




