01. ようこそ、我らが魔術陣製図班へ
階段の踊り場で、足を止めた。
視線の先にある窓の向こう側に、白亜の塔が見える。
少し先を歩いていた老女がゆっくりと足を止め、こちらを見下ろした。
「ノア・カートライト四等魔術士、どうかしましたか?」
穏やかな声は問いかけでありながらも、答えは気にしていなさそうだった。
ノアと呼ばれた少年は首を横に振り、「なんでも」と短く返して、階段へと踏み出す。
それを見守る老女は、僅かに微笑むだけに留め、また少年を誘導するために歩き出した。
再び階段を上り始め、三階の表示がある場所で廊下へと出る。
渡り廊下のある三階は窓がなくて風通しが良く、この階にはカビや湿気を好まない、いわゆる「紙もの」が多く保存されている。
勿論、風が強いと吹き飛ばされる可能性だってあるのだが、この階の部屋は全て、細かな格子窓になっているので問題ない。
今の知識は全て先を歩く老女から聞いた話であり、これからノアが必要な知恵となる。
「ここは魔術塔と違って静かでしょう? たまに用事で訪れる魔術士は、紙に音を吸い取られているのではないかと言うもの」
「はあ」
ノアの気乗りのしない相槌を気にすることなく、老女は話を続ける。
「この階には紙や書物が多いの。それぞれの部屋ごとに防音と防火といった魔術は施しているけれど、十分に注意してちょうだいね」
柔らかな物言いに、けれどノアは注意という言葉に反応して、眉間に皺を寄せた。
「それは俺がやらかしたからですか?」
ノアの硬質な声音での問いに、老女はきょとんとした顔で振り返り、そうしてから穏やかな笑みへと戻して否定する。
「いいえ。ここでは当たり前の常識よ。誰にだって言っていること」
そうしてノアに一歩近寄り、腕を軽く叩く。
「あなたがここを気に入るといいのだけど」
いつの間に着いていたのか。
目の前の扉には、魔術技術部魔術陣製図班というプレートが掲げられている。
老女が軽いノック音を響かせてから、遠慮なしに扉を開けた。
外よりも薄暗い中へと陽射しは差し込み、一層薄暗さが際立つ。
大きな円形テーブルが中央に据えられ、そこに座る人々がノアへと無遠慮な視線を向けてくる。
けれど、すぐに興味を失ったように紙へと目を落とした。
ここがノアの新しい職場だ。
「ようこそ。王宮魔術室、魔術技術部魔術陣製図班へ」
そして、輝かしい未来を描くはずだった少年の、思いもよらない末路の場所だった。
「皆さん、新人の方がきたので紹介しましょう」
老女が軽く手を叩けば、再び皆の視線が上へと向かう。
無関心そうな顔に、どこか迷惑そうな顔。それから戸惑いを隠さない顔。
「ノア・カートライト四等魔術士。本日付けで製図班所属となります」
途端に誰かから漏れた「ああ、あの」という言葉に、思わず視線を走らせたが誰が言ったのかはわからない。
「優秀な人材なので、すぐにここの一員として力を発揮するでしょう」
老女は言葉を続けた後に、一人の青年を呼ぶ。
ノアより一つ二つ上と思える外見だ。
「フレック、ここでのルールを教えてあげてちょうだい。それから製図のやり方もね」
戸惑いの表情だった青年が慌てて立ち上がったかと思えば返事をし、それからお人好しそうな笑顔を浮かべた。
「初めまして、フレック・ワイラー四等魔術士です。年齢はそうかわらないし、同じ四等なので気楽に接してくれたら」
差し出された手を渋々と握り返し、見えないように注意しながらズボンで拭く。
ワイラーという名を記憶から辿って、間違っていなければ由緒正しい魔術陣構築が得意な家系だと思い当たったが、それを本人確認する気にはならなかった。
フレックと名乗った青年は部屋で気を付けることや、中にいるメンバーの名前を教えてくれる。
「使わない荷物は一度部屋を出て、この階の人達が共有で使っている私物保管室に。A-11番が君に割り当てられたスペースだよ」
それから差し出されたのは一抱えほどの籠。
「仕事に使う道具は籠に入れて。ここでは机が決まっていないから、適当に座っているので必要なんだ」
ノアが受け取れば、すぐさま大小さまざまな紙やら色とりどりのインク瓶やらが入れられる。
最後に差し込まれたペンには、ノアの名前が彫られていた。
どうやら備品は全て支給されるらしい。
「じゃあ次は魔術陣の製図の説明を」
気づけばフレックの座っていた横が空けられていて、そこに座ればいいのだと見当をつける。
籠をテーブルの奥側に置いて、粗雑な手つきで紙とインク、ペンを抜き取れば、隣に座ったフレックがお人好しそうな笑顔を少しだけ真面目なものに変えた。
「魔術陣の製図だけど」
と言いかけたフレックを無視して紙を広げる。
「描くぐらい学生でもできるだろ」
ノアが吐き捨てるように言えば、少しだけ眉尻を下げながら「それなら火起こしの魔術陣を」とだけ言う。
火起こしの魔術陣は学生が最初に習う実技の学習でも取り扱われる、いわば魔術初心者の為の魔術陣だ。
馬鹿にされたのかと思わずペンを強く握りしめたが、フレックの近くにあるメモに「火起こしを十枚」と書かれていたので、本当に依頼なのだと理解し、同時に下らない仕事だと口にしそうになる。
さっさと済ませようと手にしたインクの先をインク瓶に浸し、それから紙の上でペンを掲げる。
ここからペンにノアの魔力を注いで、ペン先から落ちていくインクに魔術陣を描かせるのだ。
製図班の連中は魔術の腕が悪いのか、せっせとペン軸を握って紙の上に手を走らせているが、ノアのやり方ならば数十秒で済む。
この底辺達に仕事の効率化を教えてやるのだという気持ちで、ペン先を見つめるが、
「あ、カートライト君の魔力を注いで仕上げたら駄目だよ」
フレックの一言に、魔力を注ごうとしたのを止めて、訳のわからない禁止ルールを出してきた相手を見る。
「それをすると、カートライト君が使う分にはいいけど、他の人が使う時には君の魔力に干渉されるから使いにくいよね。それに基礎的な魔術陣を使うのは、大半が魔術なんて扱えない人達だから余計に駄目。魔術士で生成された魔力よりも、大気に含まれる魔力の方が相性はいいんだ」
今描いているのも厨房の火起こしに使う為だと言われ、嘘だろとノアが思わず声にしたのは当然だろう。
フレックの言っていることは間違っていない。
魔術師ならば火起こしの魔術ぐらい、誰だって自分で準備できるし詠唱した方が早い。
必要なのはそれすら出来ない人々なのも理解している。
していたはずだった。
「それって、ひたすら手で描けってことかよ」
口について出た言葉に、フレックが苦笑いで応える。
「だから僕たち、製図班がいるんだよ」
フレックが紙を一枚広げてペンを手に取った。
ペン先に掬われたインクは零れない程度。
すぐさま描き始められた迷いのないペン先が、赤の線から魔術陣を作り上げていく。
均等な力加減で引かれた線の太さに、一切のムラが無い。
初心者向けの魔術陣だから描き込む量は少ないが、それでも正しく描かねば魔術は発動しない。
フレックは慣れた様子で、大気の魔力を程好く収束させていく。
これが初心者だと、火起こしの魔術陣は書き終わる前に、魔術陣が発火してしまうのだ。
ノアも初めて描いた時には、机と一緒に炎上させている。
だから火起こしの魔術陣は、魔術師としていい魔力配分をコントロールする、いい勉強になるのだと昔から提唱されている勉強方法だ。
「これで出来上がり」
フレックが見せてくる魔術陣は、今まで見た中で一番丁寧で、けれども誰よりも早く書き上げているのではないだろうか。
彼の魔力を少しも感じさせない、精密で規則正しい魔術陣。
確かにこれなら誰でも使えるだろう。
そう思ってから、フレックの魔術陣に見入っていたのに気づいて、慌てて顔を逸らす。
どんなに魔法陣の出来がよかろうと、所詮は初心者の魔術だ。
それをこんなに丁寧に取り扱うなんて、馬鹿みたいだとノアは心の中で毒づく。
ノアが前にいた場所では、もっと強力な魔術が使われ、時折姿を見せる害獣や魔獣を討伐する為に使われた。
大掛かりな討伐出ないと誰も魔術陣など描かないし、用意されていたら使うぐらい。
詠唱のほうが早いのだからと、誰もが軽視する代物なのに。
ここは全く異なる在り方を求められる場所で。
「火起こしは一番簡単な魔術陣だから、改めて製図をしてみよう」
あんなものを見せられた後では、より上のものを描ける気がしない。
だが、描かないと。
のろのろとペン先に溜まったインクを落とし、紙へと向き直る。
この後、ノアが満足できるような魔法陣を描けたのは、実に三枚目のことだった。
その間にフレックが八枚目の魔法陣を描き終わらせている。
だが、フレックの顔には達成感など無く、少しばかり顔を引きつらせながら、扉の付近をチラチラ見ていた。
そこにいるのは魔法陣を待つ依頼主、早く終われという圧が強い厨房メイドだ。
「それはとてもいい出来だから使えそうだね。今日はそれぐらいにしておく? 残り一枚は僕が描いておくよ」
暗に自分が描いた方が早いとフレックから言われ、ノアの負けず嫌いな気持ちに火が点く。
「いい。コツは掴んだから最後の一枚は俺が描く」
返事を待たずに広げた紙にペンを走らせる。
三枚目で成功したからか、勢いに任せても手が勝手に描いてくれる。
そうして魔法陣が出来上がった瞬間にメイドが取り上げ、枚数を確認したかと思えば、やたらと低い声での感謝と提出が遅れた怨嗟の口にしながら走り去っていく。
まるで嵐のようだった。
「なんだ、あれ」
ノアが呆れと不満を形にすれば、フレックは引き攣った表情を戻しながら、ペン先のインクを拭きとり始める。
「彼女も退勤時間を過ぎて待っているからね。早く帰りたいんだよ」
仕方ないと片付けられ、それに感じた不満を言葉にできないまま、ノアも片付けようとインクの蓋を閉じ、ペン先を軽く水に泳がせてから柔らかな紙で拭う。
失敗した紙は魔術が発動しないように破り捨てれば、今日の仕事は終了らしい。
「カートライト君はこのまま家に?」
と聞かれて、数秒無言になってから首を横に振るだけに留める。
ノアが魔術塔から異動させられたことは、そろそろ家にも伝わっているだろう。
暫くは早く帰るつもりもなく、王宮の食堂で夕食でも食べて本を読み、時間を潰すつもりだ。
場合によっては仮眠室を借りてもいい。
「そっか。王宮の食事は美味しいからね。食堂のお勧めは若鶏の香草焼きらしいよ」
定時退勤派なのか、いそいそと荷物をまとめるフレックの動作は早い。
すぐに荷物を片付け終わると、爽やかな笑みを浮かべて口を開いた瞬間、ドカンと盛大な音が部屋の外で響く。
部屋の中の全員が顔を上げ、一体何事かと部屋の外へと飛び出せば、渡り廊下の端の方から煙が立ち上ってくるのが確認できた。
他の部屋からも続々と人が出てくる。
そんな中で誰かが渡り廊下の下を覗き込み、「厨房の煙突が吹っ飛んでるぜ!」と声高に言ったのに、フレックがノアを見たのは仕方がない話だろう。
「カートライト君。一応聞くけど、最後の一枚に何かした?」
今や誰もがノアを無言で見ている。
割とやる気が出てスラスラと書けた最後の一枚。
火起こしだけだと燃えにくかろうと描き足した親切心。
「……つむじ風の魔術陣を、混ぜた」
そして無意識に近い普段の癖で、籠められたかもしれないノアの魔力。
ノアの一言に、老女の手が二人の肩に乗せられる。
「二人共、私と一緒についてきなさい」
この後どうなるかを想像するのはあまりにも容易で。
がっくりと肩を落としたフレックと並び、ここに来た時と同様に老女の背中を追いかけるのだった。
後日、王宮厨房部より正式な抗議書が魔術陣製図班に届けられ、ただし幸運にも怪我人がいなかったこと、悪意はなかったことから、ノアはフレックと一緒に始末書の処理とあわせて、初心者魔術講習会に参加させられる羽目になった。
講習会では随分と年下の子ども達に囲まれて大いに目立って恥ずかしさで死にそうだったと、ノアとフレックの泣き言からよく伝わってきたので、恐らく次はやりませんと始末書の上長備考欄はまとめられたのだった。




