【IOF_92.log】異世界にたなびく国旗(2)
6階から階段で屋上に出ます。
「なんて高い! このような高いところから景色を望める場所など、我が国にはございませんわ!」
屋上に出て周りの景色を見たローレルさんが驚嘆しています。
「あちらの方角、はるか向こうにオーメ領の領都が見えます。つまりローレルさんのお屋敷があるところですね」
「あ、あれですわね! なんですの、もうゴマ粒ほどにしか見えませんわね」
初めて見るであろう遠景に大喜びのローレルさんです。景色に喜んでいる姿は、年相応のお嬢様です。
しばし景色を楽しんでいただいたところで、国旗掲揚式に入ります。
掲揚柱の下で木村係長と正村さんが待機しています。本来であれば3人で掲揚を行って欲しいのですが、人数の都合で2人です。木村係長がロープを引いて国旗を掲揚する担当、正村さんは引き上げられるロープに若干の負荷をかけて弛みを防止する担当です。この2人が息を合わせて国歌の演奏時間で掲揚します。国歌である君が代は、一般的な演奏だとおおむね58秒間くらいの長さです。
城取主任は、ラジカセで国歌を流す担当。
可愛さんが撮影担当です。
残りの署員4人は、掲揚柱に対して横隊に整列します。
指揮官である私は、隊列を底辺とした正三角形の頂点で部隊に正対して立ちます。
陪席のローレル様は、隊列の最右翼から少し離れたところに位置していただきます。マーガレットさんは、ローレル様の後ろですね。
指揮官の位置で部隊に正対した私は、「これより国旗の掲揚を行う」と宣言します。
今の私は、掲揚柱を背にしています。このままでは国旗掲揚に入れません。
私は回れ右をして掲揚柱に正対しました。
いよいよです。異世界に日本国の象徴たる国旗「日の丸」が高く掲げられます。
「国旗にーーーーー、注目っ!!」
私は、あらん限りの声で号令をかけました。一生に一度しかかけられない号令です。悔いのないよう、喉を傷めることなど気にせず声を張り上げました。
号令とともに、整列していた署員が一斉に国旗に注目します。
私は部隊の代表として国旗に対して挙手注目の敬礼を行います。
時を同じくしてスピーカーから荘厳な音楽が流れます。
流れ出したのは、日本国国歌、君が代。
木村係長がロープを引き、正村さんがロープの張りを調整する中、日の丸が、ゆっくりと昇りはじめる。お二人の息はぴったり合って、ロープのたるみがまったくありません。お見事!
オヤシーマ王国の7月は、日本と異なり蒸し暑くない。そよぐ風も爽やかです。
あたりに漂う空気は、ここが異世界であることを一瞬忘れさせます。
ローレル様は、両手を胸の前で重ね、眩しそうに目を細めて日の丸を見上げています。
……あの旗は、地球からこの空へ。
見知らぬ星の風を受け、しなやかに、しかし誇り高く翻ります。
国歌の流れとともに、日の丸が掲揚柱の頂に達しました。
その瞬間、遠い故郷が確かにここへとつながったのです。
異世界の空と日本の空が、日の丸の赤と白の中で重なり合うようでした。
「注目なおれ」
私の号令で全員が元の姿勢に復します。
掲揚が終わっても誰も動きません。
言葉を発する人もいません。
ただただ異世界の空に翻る日の丸を見つめ続けます。
こうして改めて目にすると、国旗はただの布ではありません。
警察官になってから、国旗に対する漠然とした敬意を抱くようになりました。
ですが、生まれてからずっと、公共施設や学校に掲げられていても、ただそこにあるものでしかなくて、意識したことなんてほとんどありませんでした。
それが今、遠い空の下で、この旗が風を孕んではためく様を見ていると……胸の奥がじん、と熱くなるのを感じます。
あの白と赤に、自分が育った街や、見慣れた景色、両親や友だち、守ろうと思って選んだ仕事……すべてが詰まっているように思えてきます。
私が警察官である前に、日本人であるということ。
普段はそんなこと考えもしなかったのに、異世界に転移して初めて、ああ、自分は確かに日本人なんだと、骨の髄まで感じています。
国旗は、ただの象徴でもありません。
祖国の空気や、暮らす人の息づかい、歴史や、未来……それらすべてを背負って、ここに翻っているのです。
これが愛国心というものなのでしょうか。
誰かに教えられたものではない。自然と胸の奥からこみ上げてきます。
この旗を汚さないよう、この旗に恥じないように生きていこう。
……そう思わせる何かが国旗には、あります。
気づくと私は頬を濡らしていました。
私の背後からも鼻をすする音が聞こえます。
無神経にも大きな音を立てて鼻をかんだのはリリヤさんですね。
私は、相変わらず国旗から目を離せずにいます。
異世界に生きる日本人の代表として、この地にしっかりと根を下ろそうと誓いました。
たとえ日本に還ることが叶わなくても……




