【IOF_81.log】黒船来航
こんにちは。
内閣官房長官西垣内将臣です。
然るべく。
総理官邸内閣議室で緊急の会議が開催されている。
当初予定されていた出席者は以下の通り。
内閣総理大臣
総務大臣(国家公安委員長)
法務大臣
外務大臣
厚生労働大臣
経済産業大臣
内閣法制局長
そして内閣官房長官たる私、西垣内だ。
これに待ったがかかった。
出席者に指定されていなかった各省から大臣出席の要望が出されたのだ。
財務省(国交樹立になれば予算組が必要)
文部科学省(さらなる新元素発見の可能性)
農林水産省(異世界にいる自国民に対する食糧の安定供給)
国土交通省(異世界との往来)
環境省(異世界からもたらされる物質が環境に与える影響)
防衛省(異世界からの侵攻の可能性に備える)
結局、行政大臣を除くすべての国務大臣が出席することになった。
このほか、各大臣の省から事務方の責任者が出席している。
議題は、日本から異世界への医薬品の提供について。具体的には抗生物質をはじめとする感染症治療のための薬だ。
つい数週間前までなら、こんなバカみたいな議題の会議など考えられなかった。
それがどうだ。一気に日本中が異世界の話題でもちきりなってしまった。
異世界だぞ? 役所が扱うような概念ではない……
そう思っていた時期が私にもあった。いや、今でも嘘であって欲しいと願っている。
しかし、そんな泰平の眠りを覚ます上喜撰が現れたのだ。
一枚の金貨とビデオレター。そして、それらをもたらした幽霊という特上の上喜撰だ。
ビデオレターでは、異世界に転移した署員全員の無事が確認できた。それは喜ばしいことだ。
それだけで済んでくれればよかった。
ところが3本中の3本目に黒船が開国を迫ってきたものだから堪らない。
署員たちの転移先「オヤシーマ王国」の第四王女が国を代表して国交樹立の意向を明確に伝えてきたのだ。
令和の黒船だ。
江戸時代の上喜撰は、4杯で眠れなくなったが、令和は3本でおそろしく効いている。
これが報道先行であったら私たちも笑い話で済ませることができた。ところが、これを報告したのが警察、それも事実上の全国警察のトップである警視総監だというではないか。この報告に接したとき、私は「ついに日本警察は狂ったのか?」と首を捻ったものだ。
それからは首を捻る暇もない。いや、ゆっくり寝ている時間も取れないほど異世界に忙殺されている。上喜撰の効能か……定例記者会見では、報道機関から「政府は異世界の存在を認めるのか」と連日のように質問攻めにあっている。
認めずに済むなら認めたくない。これが本音だ。
そんな淡い期待とは裏腹に異世界は次々と客観的証拠を突き付けてくる。もうお腹いっぱいだ。
そして今日の会議だ。
会議ではあるが、全国務大臣が出席しているからこれはもう閣議のようなものだ。そして、この会議での意思決定は閣議決定より重いものとなることを出席者の誰もが認識している。
この会議が招集されたのは、異世界にある異世界警察署長からの上申書が端緒となっている。
異世界から上申書が届くということだけでも異常事態なのだ。
どうしてそんなことになったのか。
異世界から送られてきた非公式の報告によれば……
異世界に存在する警察無線中継所を自家精製した軽油により再稼働させ
「神符」により電波の質と出力に大幅な変更を加えたところ、
射出された電波に例の幽霊が吸い込まれ、
天界と下界を隔てる「天現界壁」を突き破り幽霊が天界に侵入、
天界の冥魂府上席管理官から冥魂府通行証を貸与され、
幽霊が異世界と日本とを行き来できるようになった。
その直後から、異世界警察署のWANが復活して警視庁と文書のやり取りが可能となった。
今のところだけでも突っ込みどころが9から10個くらいは拾える。
なんだそりゃ? である。
それはそれとして……
送られてきた上申書は、次のようなものだ。
この上申を上げてきた署長は、策士なのか天然なのか判断に悩む。
女性問題として国や東京都が無視できない理由を突き付けているところが憎たらしいがうまい。国交樹立交渉に向けた有力な持ち札となることも事実だ。
その一方で、いまだ国として承認していない幽霊の存在を前提とした支援方法をしれっと混ぜ込んでいる。それしか方法がないもの事実なのだが……
そうこうしている間に開会時刻になった。全員そろっているな。
冒頭、私がこの会議の趣旨を説明する。真面目に説明するのも馬鹿らしいが、真面目な顔をして聞く方の気持ちを考えると同情を禁じ得ない。
そこからは自由発言形式で会議を進めることとされた。
始めに口を開いたのは総理だった。総理は、普段は「ぽんこつ」と揶揄され、国会で質疑に立つと野党が舌鋒鋭く追及してくる。しかし、国を背負う覚悟は尋常ならざるものがあり、有事に直面すると普段のぽんこつ具合は何だったのかと思うほどの強い牽引力を示す。
そんな国のリーダーがこの会議をどう進めるのか。出席者の注目が集まる。
「皆さん、状況は急を要する。まず、異世界からは国交樹立の打診があった。これは本日の議題ではないが、関連する重要な論点であり、かつここが急を要する部分でもあるから先に言及した。現地にいる我が国の警察官から異世界における性感染症の蔓延を封じ込めるため我が国に医薬品の提供を求めてきた。これが本日の主要な論点である。また、当該警察官からは、『支援は国交樹立の有力な材料になる』、『困難な問題を抱える女性への支援に関する法律の趣旨にも合致する』とする意見が付されている。みなもすでに理解していることと思うが、この問題は単なる医薬品輸出にとどまらず、我が国の外交と人権政策全体に関わるものだ。心して議論していただきたい」
外務大臣が外交交渉を有利に進める立場から積極。
「異世界からの国交樹立要請は歴史的な機会です。我々が人道支援を行えば、交渉を有利に進められるだけでなく、国際社会に対しても新しい文明との平和的関係構築を主導できると示せます。外交上、抗生物質の提供は極めて価値の高いカードです」
内閣法制局長官が法律の解釈から意見を述べる。役人なので判断ではなく、判断材料を提供した形だ。
「外務大臣のおっしゃることに異論はございません。しかし、異世界人は、国内法上は依然として人か否か不明な存在です。現行法では『人』の定義がどこにもありません。民法では自然人とされておりますが、これとて何をもって自然人とするかの定義は存在しません。異世界人が、明確にホモ・サピエンスと同一の種あれば人と断ずることに疑問をさしはさむ余地はありません。ですが、ホモ・サピエンスでなければ人ではないとする定義も存在しないのが現状です。つまり、現行法上、『人』の解釈には幅が残ります。この点については、刑法第37条緊急避難や超法規的措置により政府が責任を引き受ける形での対応が可能です」
厚生大臣が薬機法や医師法を主管する立場でやや消極。
「私は依然として慎重です。彼らの身体構造が異なれば、抗生物質が有害になる危険もあります。だが、現地警察官の上申書にある困難な問題を抱える女性への支援という観点は看過できません。日本の国内政策と一貫性を持たせるという意味では、厚労省としても一定の理解を示さざるを得ません。他方、抜け道がないわけでもありません。薬機法や医師法は人に対する医薬品の処方や投薬を規制しております。異世界人を法律的な意味での『人』ではないと解釈して動物用あるいは研究用として提供することも考えられます。ただし、この解釈は人道又は人権論からも強い非難に晒されることは間違いありません」
ここで厚生労働省の事務次官が発言を求めた。
「これからの発言は、厚生労働省として推奨する意図がないということをあらかじめお断りいたします。これから申し上げることは、非常に姑息で露見すれば違法の誹りを受ける可能性が高いものです。それを承知で敢えて選択肢の一つとしてご提示いたします。やり方はこうです。厚生労働省から製薬会社に対して今回の対象となる抗生物質等を問屋に卸すことを指示いたします。問屋は、それを『医薬部外品』として警視庁に送り、警視庁は異世界への衛生品の支援と『認識して』使者である幽霊氏に託します。簡単に言えば誤配送に誰も気づかないうちに抗生物質が異世界に送られてしまった、しかし、それを是正する手段もなく、現状を維持せざるを得ないというわけです。もうひとつ。地方の古い薬局などでは、『どうしてこんな薬が?』と思うようなものが大量に在庫として残っていることがあります。そのような在庫は、すでに帳簿類もなくなっており、出所の追跡が困難です。出所が分からない在庫がいつの間にかなくなっていたという体で、抗生物質を異世界に送ることもできなくはありません」
「可能性のひとつとして傾聴に値するが、さすがにそれは採れんな」
総理が即断で却下した。事務次官もそれでいいといった表情だ。「あらゆる可能性を検討した」という形を残したかったのだろう。
そこからまた各大臣の発言に移った。
法務大臣は、憲法論から基本的に積極。
「法的にはグレーですが、むしろそれを逆手にとり、人である可能性がある以上、保護すべきという解釈は可能です。国内の人権立法と整合性をとることは、憲法第13条に規定する個人の尊重にも合致します」
文部科学大臣は、問題点を指摘しつつ教育及び研究の観点から積極。
「科学的データ不足は依然として問題です。だが、現地警察官が指摘した『女性への支援』は、異世界でも社会的弱者が存在することを示唆しています。我々の知見を提供することは、教育及び研究の観点からも意義深い」
防衛大臣は、国防の観点から人道支援に積極。
「感染症の拡大防止に加え、国交樹立を見据えた外交カードの獲得は、我が国の安全保障に直結します。人道支援は、友好国形成の先行投資とも言えるでしょう」
ある程度意見が出そろったようだ。
最後に私が総理の決断を仰ぐ。
「つまり我々は、人道、外交及び安全保障という三つの観点から支援を正当化することができます。問題は法的裏付けのみですが、ここは総理の政治判断に委ねられます。統治行為として違憲立法審査権の埒外となる可能性もある重大なご判断になります。総理、ご決断を」
しばし沈黙した総理が重い口を開く。
「よろしい。我々は彼らを人である可能性がある存在として尊重する。抗生物質を提供し、人道支援を行う。これは我が国の女性支援政策の理念にも合致し、また国交樹立交渉を進める上での最大の布石となる。法的、政治的リスクは私が負う。事後には特別立法を整備し、法の安定性を確保する。人命と外交の未来のため、この道を選ぶ」
閣議室には静かな緊張が走る。
出席した大臣たちは、支援に積極の者は頷き、消極の者は苦々しい顔をしている。
このときの会議を契機として、次期通常会で「異世界交流及び支援特別措置法」が審議入りすることとなった。テーマがテーマだけに、成立までは紆余曲折を経ることが予想される。会期末を迎えての審議未了による廃案は避けたいところだ。
内閣としての意思決定が行われた。あとは実働である厚生労働省に動いてもらう。




