【IOF_04.log】停電
お疲れさまです。
警視庁奥多摩警察署警務課長代理警部福原珠梨です。
勤務中異常あり。
「やっぱり異世界なんでしょうか……」
署の一階の窓から外の景色を見ながら私は気の抜けた声を発していました。ええ、思わずっていうやつです。
私は、4月1日付で警部に昇任してここ奥多摩警察署に異動となりました。
32歳の若輩者ですがよろしくお願いします。
奥多摩警察署では、警務課長代理の職を拝しています。
警務課長代理は、署の要だといわれます。まあ、たしかにそのとおりではりますけれど、実態は署の雑用を一手に引き受ける便利屋のようなものです。署長の秘書みたいなこともしなければなりません。
こんなクソ面……忙しいけれどやりがいのある仕事です。
さて、今日は奥多摩署にきてから2回目の当番責任者です。
緊張します。
あ、手汗が……
平日は、午後4時半くらいに当番員が集合して当番責任者の指示を受けます。
つまり、今日は私が指示を与える立場です。
正直なことを言ってしまうと、私は指示を与えるより与えられた指示を実行する方が得意です。
人に指示を出すのは、相手の意思を抑え込んでいるようでどうにも慣れません。
じゃあ昇任なんてしなければいいという話なんですけど、試験で手抜きするのはどうにも気持ちがよくなくて、つい全力で取り組んでしまいます。
結果どうなるかというと、割といい順位で合格してしまうのです。
こんな若輩者が、そうそう警部まで順調に合格できるかっていうと、にわかに信じがたいんですよね。
人為的というか何らかの作為を感じずにはいられません。
警察官の昇任試験は、実務能力と人物評価により行われます。
初級幹部である巡査部長の昇任試験では、主に実務能力がみられます。そして、階級があがるにつれて、人物評価の占める割合が高くなり、警部になると実務能力はほとんど評価されず、ほぼ人物評価で合否が決まるといわれています。
つまり、ぶっちゃけてしまうと、警部の昇任試験は「合否をいかようにも調整できる」のです。
私などは、その「見えざる手」に引っ張り上げられたに違いありません。
ありがた迷……いことです。
さて、当番員に対する指示ですが、毎回同じような内容です。
特別な警備事象や行事のようなものでもない限り、当番でやるべきことや気を付けるべきことが大きく変わるようなことはありません。
そんなわけで、今日の指示は次のような内容です。
1 有事即応体制の確立(これは当然ですね)
2 報告連絡の適正(当番責任者に情報が集約されないと困ります)
3 警戒警備の徹底(機械警備はあるけれど署に火でもつけられたら大変!)
4 留置場巡視の励行(留置場の事故も防がないと)
最後の「留置場巡視」ですが、誰でも行けるというものではありません。行ける人が限られています。
原則として、捜査を担当する係の人は巡視に入れません。扱っている被疑者がいたら不要な会話や便宜供与が行われてしまうかもしれないから、それを防止するためです。
刑事ドラマであるような取調室で「カツ丼でも食うか」なんてことは、今の時代では絶対にできません。カツ丼が食べたければ自分のお金で注文できるんですよ、今は。ちょっとした甘味まで買えてしまいます。
そんなわけで、留置場の巡視に行ける人が元々少ないので、皆さん忙しいだろうから、巡視は私が行きますよと当番指示のときにお伝えしました。
いつも1時間に1回くらいは巡視に行っているので、当番でも普段と大差ありません。
その日も、午後8時くらいに留置場の巡視を終えて1階に戻ってきました。ちなみに、留置場は2階にあります。
そうしたところ、1階にある会計係の事務所の照明が点いていることに気付きました。
はて、もう8時すぎているのに誰かいるのかしら? 今日は会計係の警察官は当番にいなかったはず。
「お疲れさまでーす」
私は、会計係のドアをそっと開けて顔を出しました。
参考情報ですが、警視庁では「お疲れさまです」が万能の挨拶です。上流階級のお嬢様方が使う「ごきげんよう」や芸能界の「おはようございます」と似たようなものですね。
「あ、福原代理、お疲れさまです」
ドアを開けたすぐの席から少し疲れたような声が返ってきました。
会計係の行政職員、小路結さんです。
行政職員の制服? 行政職員には制服がないから事務服というのが正しいのかしら?
チェックのスカートと白いブラウスにベストを着たちょっと地味な子。
たしか、私と同じ日に本部の会計課から異動してきたのよね。
机の上にたくさんの帳簿を積み上げてパソコンとにらめっこしています。
「遅くまで大変ですね」
「はい、まだここの仕事を把握しきっていないので、早く慣れようと思いまして。それに会計年度の期末期首の処理もたくさんありますし」
私がねぎらいの言葉をかけると、表情を変えることなく淡々と事務的に答えます。その間もパソコンを操作する手は止まりません。
ちょっと苦手なタイプかも。
「じゃ、じゃあ頑張ってね。あまり遅くならないように」
「はい」
目も合わせてくれませんでした。嫌われているのでしょうか……
「マジ尊いんだけど」
会計係の中から発せられた独り言がドアを閉めた福原の耳に届くことはなかった。
「あ、代理いた! 空き巣の被害臨場に行ってきゃーす!」
「わ! びっくりした」
会計係から出たところでものすごい元気な声で呼びかけられました。
声の主を確かめると、鑑識係の可愛楓夏巡査長でした。
鑑識の活動服を着こみ、肩には大きな臨場用アルミケースをかけています。
一眼レフカメラとコンパクトデジタルカメラを首から提げ、左腕に「鑑識」と書かれた腕章を着けています。ザ・鑑識といったいで立ちです。
臨場用の帽子を後ろ被りにしているのが彼女のいつものスタイルです。鑑識の人はこのスタイルが多いと聞きます。カメラのファインダーを覗くのに帽子のつばが邪魔になるからだそうです。
語尾が変なのも彼女独特のものですが、ちゃんとしたところではちゃんとした言葉遣いができるらしいです。だったら普段からちゃんとすればいいのに、と思ったりもします。私の頭が固すぎるのでしょうか。
「今日もきれいな指紋を採取してきてくださいね」
「了解っす! 鑑識技能検定上級の腕をご覧に入れるっすよ」
そう言いながら可愛さんはぐっと力を込めた二の腕をばんばんと叩いて見せました。
そうなのです。実は彼女、指紋採取と鑑別に関しては凄腕の持ち主なんです。彼女が採取した指紋から犯人が特定され、検挙につながった事件が何件もあるとか。
本部の鑑識課が虎視眈々と狙っているそうですが、署長が手放したがらないのと、鑑識課に空きがないのとで、なかなか本部ご栄転になりません。ちょっと気の毒です。
「それじゃ!」
可愛さんが挙手の敬礼をして玄関を出ようとしたそのとき。
ぶつん!
署内が真っ暗になりました。
停電です。
私は慌てて窓の外を見ました。
窓の外も真っ暗で何も見えません。
「大規模な停電かしら」
照明がある生活に慣れ親しんでいる身としては、夜の暗闇はとても不安なものです。




