【IOF_110.log】絶対零度の倫理
お疲れさまです。
駐オヤシーマ王国日本国大使館臨時代理大使兼ねて臨時代理領事兼ねて警察庁長官官房付兼ねて警視庁異世界警察署長警視正福原珠梨です。
勤務中異常なし。
四月に私たちが日本からオヤシーマ王国へと転移して半年が過ぎました。
早いものでもう10月です。
帰還の鍵となるであろう全国東照宮の位置情報は、7月中には捜査支援分析センターから提供されていました。
その情報をもとに、可愛さんが神符に与える情報を組上げる研究を続けてくれています。ときどきバルボアさんと町に出かけたりして、適度な息抜きもできているようで何よりです。
提供された東照宮の数は全部で20を超えています。東照宮ってこんなにあったのかと驚きました。それぞれの位置情報、つまり緯度と経度を小数点以下6桁までの精度で提供してもらっています。
その位置情報をいい感じに量子化して結合した後、日光東照宮の位置情報を量子化したものを使って排他的論理和でデジタル信号にするそうです。そして、作ったデータを使って警察無線で使っている波長2メートルの搬送波を位相変調させれば、転移ゲートを作ることができるのではないかという仮説です。
ところで、この仮説で仮に転移ゲートが作れたとして、天界として危険や不都合はないのでしょうか? 今のところ、天界に無断で計画を進めてしまっていますけど、やはり試験実施前には相談なり報告しておいた方がよさそうな気がします。
組織人として「報・連・相」は必須ですから。
「ということでリリヤさん、間もなく転移ゲートの人工的な展開を実験に移そうと思っています。これを実行した場合に、天界に何か影響は出ますか?」
「出ると思うよー。だって、転移ゲートが開くってことは、そこにいた人や物が異世界に転移しちゃうかもしれないわけでしょ? 誰もいない場所を狙うってことができれば別だけど」
そうでした! なんでそこに思いが至らなかったんでしょう。転移ゲートが開いたら、私たちと同じように誰かが異世界から転移して来てしまうかもしれません。逆に、こちらの人が異世界に転移する可能性だってあるんです。かなりリスキーな実験ですね、これは。
「しかもさ、人間が無理やり転移ゲートをこじ開けるわけじゃん? それって、天界的には『攻撃』として振舞い検知されるかもしれないわよ。振舞い検知で攻撃認定されると、自動的に検疫対象に認定されて抹消……なんて可能性もあり」
え、私たちってパソコンの中のウィルスみたいな扱いなんですか?
「世界の境界を越えようとか、世界の管理者権限を盗もうとかでもしない限り検知されることはないはずだけど。あ、今回の実験は、まさにその境界越えかー……ヤバいかも」
「そういえば、リリヤさんのおじいちゃんも似たようなことを言ってましたよ。昔の人も電波で天現界壁を破ろうとしたけど察知して阻止したって……」
幽霊さんも心配顔です。
「管理者権限……境界を超えることが許されない……」
可愛さんがぶつぶつ言っています。
「リリヤさん、天界が管理してる世界って仮想マシンみたいなもんすか?」
「うん、そうだね。天界がホストOSだとしたら、日本とかオヤシーマ王国があるような世界は、それぞれがゲストOSっていう感じですわ」
「つまり、天界っていう大きなシステムの中に作られた仮想空間っすね」
「そうそう、そんな感じ。だから、私はオヤシーマ王国がある世界の管理者権限を持っている天界のお役人ってこと。だけど、天界では管理者権限を持たない一般ユーザーよ」
なるほど、そういう構造になっていたんですね。
ということは、もしかしたら天界もさらに元になっているホストOSの上で動いている仮想空間かもしれないという仮定も成り立ちますね。
「そうねー。だから本当の最高権限「root」が誰なのかは、天界でも知ることができないわ。天界の最高権限者である内閣総理大神がrootかもしれないし、もっと上があるかもしれない」
つまり、世界は入れ子構造になっていたんですね。としたら、地球がある世界というか空間にもさらに小さな別世界があるかもしれない……
「すでにあるじゃないの。ほんと、地球の人間てすごいわよね。私たち天界の力とは関係なく小宇宙を作れちゃうんだから。仮想マシン作ったでしょ? 人間は。あれって、もう宇宙を作ったのと同じことよ。仮想マシンの中に人の意識を作り出して、その意識に『自分には実体がある』と思わせれば、もう生身の人間の誕生だからね。仮想マシンの中で生き死にもすれば繁殖だってするでしょ。その意識はホストOSを管理している地球の人間がどうにでもできるわけで、たとえばある意識を他の仮想マシンに移すことだって簡単よね? 天界でやってるのはそういうこと」
人生観というか生死観というか、宇宙観までひっくり返りました。
なんとなく宇宙の構造が理解できました。
天界と私たちが生きている世界がホストOSとゲストOSの関係にあるとします。いえ、リリヤさんがそうおっしゃるんだから、そうなんですね。
そうしたら、私たちがやろうとしている転移ゲートを開くという行為は、どういうことになるのでしょうか?
「天界に対するサイバー攻撃っすね」
「えっ?!」
その場の全員が声を上げました。
「単なる自然現象の再現じゃないの?」
小路さんも声が震えています。
「違うっす。私たちは、天界と世界は物理的に存在して、その境界も物理的なものだという前提で考えていたっす。でも、実はそうじゃなかったんす。世界は、天界っていうホストOSの上で作られた仮想空間でしかなかったんす。仮想マシンは、物理マシンもエミュレート、つまり模倣するっすよね。だから、仮想マシンの中にいる私らは、物理的なものがあると思っていたのに、実はそんなものはなくて、あるのは、『そう思っている』という状態だけだったんすよ」
「それと、転移ゲートのこじ開けがサイバー攻撃になるという話がどう繋がるんだ?」
南畝主任が首をひねります。
「ひとつひとつの世界、言い換えれば仮想マシンは、ひとつのメモリー空間の中に作られているっす。でも、それぞれは独立していて、相互にその存在を知ることもなければ連絡を取ることすらできないっす」
「つまり、セグメント分けされてるんす」
「でも、ホストOSでは一括して管理できるんすから、スイッチみたいな装置でセグメント分けしてるんだと思うっす」
「そういう構造だと、世界間で移動することはできないっす。いま、ここと日本で一部だけ通信が可能なのは、前に電波で天現界壁をぶち破ったときに、スイッチに何か影響を与えてしまった可能性が高いっす。あれは、故意による攻撃じゃなかったから天界としては見逃してくれたんだと思うっす」
「転移ゲートを開くというのは、そのスイッチの設定を変更させるか誤動作を誘発させることっす。それは、ホストOS、つまり天界の管理者権限を奪うことっす。これはサイバー攻撃っすよね?」
なるほど……
言われてみればその通りです。
家康の転移ゲートやこちらの無線中継所の神符が、どちらも未完成に終わっているのは、天界による防御機能が働いたからなのかもしれません。
うかつに実験に移らなくてよかったです。
可愛さんの説明を聞いて、幽霊さんが日本とこちらを往復できる理屈が理解できました。
幽霊さんがもらった冥魂府通行証は、天界OS内の仮想スイッチで行われているセグメント分けを通過できる資格証明です。そして、冥魂府を経由しなければならないのは、各世界はセグメント分けされているので直接のやり取りができないため、一度天界OSを経由する必要があったからです。
だからリリヤさんの説明でも「自然現象による転移ゲートの出現原理が解明できていない」という言い方だったのですね。転移ゲートの作り方や、転移方法が解明できていないのではなく、天界が意図しない原因による転移ゲートの出現が解明されていなかっただけで、世界間移動自体は技術的には可能だったんです。天界的には……
「隠したわけじゃないんだよ。技術的には可能だけど天界のポリシーで、魂の状態以外でセグメントを超えた転移を行わせることが許されていないのよ。だから、あえてそこには触れなかったのですわ。絶望させることになるから……そ、それでも自然現象で戻れる可能性はゼロじゃないわけで……」
リリヤさんは、初めから今までひとつも嘘を言っていません。
私たちにも最大限配慮した発言に終始してくれていることがよく分かります。軽薄そうに見えてもやはり管理者です。しっかり考えた上での発言だったんですね。
ですが……
この瞬間、私の中で何かが弾けました。
天界が私たちにやっていたこと……
転移の可能性を隠蔽するための虚偽説明。
私の中で焼けるほどの熱を持って膨れ上がったものが急速に冷え込んでいきます。
怒りというものは、熱ではないのですね。
熱している間は、まだ人間です。
息が荒くなって、声が震えて、誰かにぶつけたくなる。
でも、私の中のそれは、そうではありませんでした。
冷たく、静かで、透明でした。
どうして、隠したのですか。
どうして、嘘をついたのですか。
どうして、黙っていたのですか。
その「どうして」は、怒号にもならず、呟きにもなりません。
誰に向けたものでもありません。
理不尽を糾弾するための正義ではありません。
矛盾を焼き尽くすための怒りでもありません。
ただ、世界そのものを修正しようとする静かな怒り。
私は、知ってしまったのです。
天界の方便とは、「神の方便」ではなく、「怠惰の方便」だったということを。
無知な人間のために作られた物語ではなく、神々自身が責任を回避するためのルールだったのです。
そこに気づいたとき、私は壊れました。
壊れて、なお、残った自分を見つめる自分がいます。
私は、ボタンに手をかけました。
これは怒りではない。決意でもない。
「あなたたちは、嘘をついた」
そう呟いたとき、私の声は自分のものではありませんでした。
それは、冷たさの中に宿る職務倫理。
絶対零度の中心にだけ残る、ひとつの熱です。
ボタンに手は掛けました。
さあ、交渉しましょう。
「リリヤさん。内閣総理大神につないでいただくことはできますか?」
「え? ええ、おじい様にお願いして、内閣総理大神につないで差し上げることはできると思うよ。天界と各世界の構造に気付いたのは、ジュリちゃんとフウカちゃんが初めてだから、もしかしたら、単なるパーツとしてではなく、世界の理解者として扱ってもらえるかもしれませんわ。そうすればポリシーだって改めてくれるかもしれなくてよ?」
そうですね。お話合いは大事です。
「分かりました。それでは、リリヤさん、内閣総理大神におつなぎお願いします。そのためには、まずおじい様にご説明を差し上げなければなりませんね」
「そうね。私が言うよりジュリちゃん本人から説明した方が信じてもらえると思うわ。私、いまいち信用ないから」
「それと、可愛さん」
「はいっす」
「強制的に転移ゲートをこじ開ける技術の確立を急いでください。できれば、リリヤさんのおじい様にお会いする前には完成させたいです」
「了解っす。概念実証は済んでるっすから、あとは実装の検証だけっすね」
「それは心強いです。それと並行してお願いしたい作業がありますので、それは後ほど指示します」
「人工的に転移ゲートをこじ開けるのは、天界に攻撃を仕掛けることになるから、技術の開発もやめた方がいいのでは……」
城取主任が不安げに発言します。
おっしゃる通り、転移ゲートをこじ開けるのは、天界に攻撃を仕掛ける手段足りえます。
ですが……
「外交では核のカードを持っている方が絶対的優位に立てるんですよ」
「世界の構造に気付いた私たちは、もはや天界を消滅させることすら可能になりました」
おそらく、今の私はとても悪い笑顔をしていると思います。
「つまり、『あ? いいのか? やんのか? よーし、じゃあやるわ』っていうやつだな」
木村係長。あなたもすごく悪い顔になってますよ。
「いやあ、結婚前、嫁にこれをやって殴り合いになりましてね。負けたんですよ。はっはっは」
抑止力になってないじゃないですか。しかも、負けてるし……
それにしても木村係長に殴り合いで勝つ奥さまって、すごい。




