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【IOF_106.log】シャボン・アモーレ

 石鹸の製造には時間がかかります。まずは工場を先に稼働させます。

 最初に作るのは「シャボン」です。次に娼館用の「シャボン・アモーレ」を作ります。

 シャボン・アモーレには、香りづけに「シダーウッド」を使います。シダーウッドは、揮発しにくいベースノートなので長時間香りが残ります。香りの効果としては、次のようなものがあるといわれています。


【抗菌・防虫作用】

【落ち着き、安心感】

 甘さを抑えたウッディ系。森林浴を思わせる深い香りが、客にも女性にもリラックス効果を与える。

【大人びた色気】

 バニラや甘い花のように露骨な艶やかさではなく、奥ゆかしい官能を演出。

【性別を問わない】

 甘すぎず爽やかすぎない中庸な香調で、幅広い層に受け入れられる。


 どうですか? 娼館用にはもってこいだと思いませんか?

 灰汁と溶かした獣脂を混ぜ、杓子が重くなったころにシダーウッドを数滴垂らせば娼館用石鹸「シャボン・アモーレ」のできあがりです。


 そして、すき間時間をみて貴族用の石鹸を少量作ります。

 貴族用の香りは3種類+王族専用1種類の合計4種類にします。


【ローズアブソリュート + 乳香】

 一輪の薔薇を聖堂の祭壇に捧げたような調和


【ジャスミン・サンバック + サンダルウッド】

 夜明け前の庭園のように甘く深い香り


【ネロリ + ベルガモット + アンバー】

 昼間の謁見や華やかな庭園パーティーを思わせる高貴さ


 どの香りの謳い文句も分かったような分からないような、抽象的な表現です。でも、こういうのは「なんとなく高級そうだ」と思ってもらえればいいのです。


 そして、王族専用は……


【バイオレットリーフ + アイリス + ムスク】

 王座の奥にだけ許された静謐を放つ


 もはや香りではなく音を表現しています。


 石鹸の製造が軌道に乗ったのを確かめたところで店舗のスタッフに教育を施します。石鹸の主だった客層が女性になることを予想して、支配人の土田さん以外のスタッフは女性を揃えました。店舗スタッフは、ただ販売だけをやっていればいいというものではありません。毎日の売り上げで伝票を起こし、支配人がそれを帳簿に転記します。品出しや在庫管理も重要な仕事です。定期的な棚卸しで帳簿と実際の在庫が合っているかを確認します。石鹸を売るお店です。お店の清掃にも気を遣います。

 スタッフが一通りの仕事を回せるようになり、開店準備が整いました。清潔感のある制服も揃えて一同やる気に満ち溢れています。


 開店を前に、私にはもう一仕事があります。

 娼館への石鹸の納品と妃殿下への献上です。


 こういうことは、順番が大事です。

 やはり、妃殿下への献上から始めるべきですね。

 妃殿下には、シャボン・ブリリアントラインの3種類と王族専用の併せて四種類を献上します。娼館用は……今回は控えます。

 妃殿下に献上品がある旨の先触れをまた木村係長にお願いして、少し遅れてトラックの神様がオーメ街道を爆走します。同行者は、ローレル様です。これで王城の門はフリーパスです。


 謁見の間でタイロンさんと妃殿下の前に進み出ます。

「妃殿下、本日はお目通り叶いましたこと、光栄至極に存じます。本日は、妃殿下に献上いたしたい品がございます故、こうしてまかりこしてございます」

「あら、ジュリさん。タイロンは名前でお呼びになるのに、わたくしは妃殿下ですの? ひどいですわ。カロリーヌとお呼びくださいまし」

 妃殿下の拗ねたようなお顔の破壊力ときたら……抗えません。


「失礼いたしました……カロリーヌ様、こちらはわたくしの故郷で石鹸と呼ばれるものにございます。この度、わたくしが代表を務めます商会でこの石鹸を販売する運びとなりました。商品名は『シャボン』にございます。本日は、シャボンの中でも高級品であるシャボン・ブリリアントラインの品をご用意いたしております。通常のシャボンは無香料でございますが、シャボン・ブリリアントには高級な香料を練りこんでございます。その香りは、日々の疲れを和らげ、心にも静けさをもたらすことでしょう。シャボンに水を加え手に転がしますと、柔らかな泡が立ち、肌を清めることができます。カロリーヌ様の日々の美と健やかさをお守りするささやかな品として、どうかお納めくださいませ」


 私は、純白の絹の布で包んだ石鹸三種類を銀の盆に乗せ、恭しく妃殿下の御前に捧げ持つ。

「あらあら、まあまあ。これがお話に聞いていたセッケンというものですの? ローレルが手紙で自慢するものですから、ずっと気になっていたのですよ。どれも素敵な香りだこと。オヤシーマ王国では、手に入らない香料をお使いになっているのではなくて?」

 さすが妃殿下。その通りです。

「さすがカロリーヌ様、お目が高うございます。シャボン・ブリリアントに使用している香料は、いずれも祖国日本国より特別に取り寄せている大変希少なものにございます」

 特別と希少という単語に妃殿下の眉がびくりと上がました。分かります。期間限定とか特別とかのワードには弱いですよね。


「さらに、本日は、王室にのみ納める品として作りました、非売品のシャボン・ロワイヤルをお持ちしております」


 別に控えさえていた絹の包みをそっと銀の盆に乗せます。

「こちらのシャボンは、バイオレットリーフ、アイリス、そしてムスクという3種類の香油をブレンドいたしております。その香りは、繊細さと威厳を併せ持ち、王妃のサロンを連想させ、王座の奥にだけ許された静謐を放つかのごとくでございます」

「まあ! 王室専用ですの?! ジュリさん、あなた本当に分かってるわね! タイロン、あんた今すぐその玉座をジュリさんに譲りなさい!」

 妃殿下が素になっていらっしゃいます。

「ちょっと、そんなシャボンがあるなんて聞いてませんわよ」

 ローレルさんが隣で脇腹をつつきます。ちょっとしたサプライズです。

「もちろん、わたくしもいただけますわよね?」

 ローレルさんに献上しないわけがありません。ちゃんとご用意してございます。

 女性同士の会話に入れなかった挙句、退位まで要求されたタイロンさんは苦笑いです。

「ねえ、ジュリさん。あなた今度私の部屋に遊びにいらっしゃい。いつでも自由に来ていいわ。そうね、まずはお茶会ね、うんうん。あ、ローレル、あなたも来るのよ」

 妃殿下は、ずいぶん砕けたお人柄だったようです。

「あの状態になったお母様を止められる人は、この国にはおりませんわ。しかも、お母様が私室に自由な出入りをお許しになったのは、お父様を除いてフクハラ様が初めてでしてよ」

 そ、そうなんですね……

 なんか、どんどん王宮に取り込まれているような気がします。私は辺境の警察署長ですよ。

 妃殿下に気に入られ、逆に気が重くなると言う経験をした私は、王宮を辞去してマザーのいる娼館に向かいます。


「こんにちは、マザー。お待たせしてしまい申し訳ありません。お約束の石鹸をお持ちしました」

 出迎えたマザーに挨拶をしつつシャボン・アモーレを詰めた箱を差し出します。

「お久しぶりです、フクハラ様。単なる立ち話のようなことを覚えていただけて嬉しいですわ。あらっ、こちらは第四王女殿下でいらっしゃいますの! 気づかなかったとは申せ、とんだご無礼を……このようなところまでお運び賜り光栄至極に存じますわ」

 マザーが恭しく礼をしますが、元の服装がそこそこ、というかかなりエロいので恭しくならず、ちょっといらやしくなりがちです。それもマザーらしくてよいと思います。

「オヤシーマ王国第四王女ローレンシア・メグロ・テンテルウスですわ。頭をお上げくださいませ、マザー。あと、わたくしは第四王女として参っているのではございません。フクハラ様の従者として随伴しているにすぎませんので、いないものと思っていただいて構いませんことよ」

「そ、そんな畏れ多い! 失礼があってはいけません。精一杯おもてなしをいたしますわ」

 そんなことを言われて「はいそうですか」と従える人はいませんよ、ローレルさん。

「王族の方をお通しするような場所ではございませんが、立ち話もよろしくございません。ささ、どうぞわたくしのお部屋までご案内いたしますわ」

「マザー、いないものとして扱えと言った舌の根も乾かぬうちから申し上げるのも気が引けるのですが、お願い事がございますの。この娼館の中を見学させていただけませんこと? そして、できればで結構なのですが、ここで働いているお嬢様とお話をしたいんですの」

 マザーが目を丸くしています。

「王族の方が、このような汚らわしい場所の見学をでございますか?」


「あら、何をもって汚らわしいとおっしゃっているのか、わたくしには分かりませんわ。ごらんなさい、この娼館はとても明るくて風通しがよいではありませんか。お掃除も王宮並みに行き届いていますわ。これだけ手入れされている場所が汚らわしいことなどあるはずがございません。もちろん、お仕事の内容についても承知いたしておりますわ。それも含めて、わたくし、娼館を汚らわしいなどと微塵も感じておりませんの」


「殿下……」

 マザーが涙ぐんでいます。

「フクハラ様がシャボンのご説明をなさる間の短い時間で結構ですわ。どなたかとお話をさせていただけまして?」

「ええ、ええ、ぜひ娘たちの話を聞いてあげてくださいませ。娼館の娘たちが王族の方にお声をかけていただける日が来ようなど、考えてもみなかったことでございます」

 マザーの案内で娼館内を見学して回ります。


 ローレルさんは、興味津々なご様子でマザーの説明に聞き入っています。

 個室を覗き込んで「こちらのお部屋で男女が交わるのですね。このようにきれいに整えられたお部屋で致す行為は、きっと格別でございましょう」など、あけすけな発言を繰り返しています。耳年寄りというやつですか?


 マザーさえ引かせる大胆さを見せたローレルさんを娘さんたちと引き合わせ、私はマザーの部屋で石鹸の説明を行います。

「こちらがシャボンです。私の故郷の国では石鹸と呼んでいたものです。シャボンは、間もなく私が代表を務める商会から発売になります。一般用は無香料のシャボンです。今日ご用意したのは娼館専用の『シャボン・アモーレ』です。これは、娼館向けに調合した特別な香料を配合しています。どうぞ香りをお試しください」

 箱のふたを開けると、ふわっと軽やかな香りが広がります。

「なんですの、この香り! ふわっと爽やかな香りかと思いきや、それとなく色っぽさも感じますわ。清潔感と色気、まさに娼館のためにあるような香りですわね!」

「はい、その通りです。シャボン・アモーレは、まさにそれが狙い目の商品です。しかも、この香りは性別を選びません。男女どちらにも好印象を与えることができる、優れた香りなんです」

「素晴らしいですわ! それで、このシャボンというのは、どうやって使えばよろしくて?」

 石鹸に水を付けて手でこすると泡立つこと、その泡を使って手や体を洗うことを説明します。娘さん方がお客さんと行為をいたす前後にも石鹸で会陰部を清浄にすると性感染症の感染リスクを減らせることも説明しました。これが石鹸提供の目的ですからね。

「今回は、試供品ということで無料でご提供します。お使いになってみて、効果を感じていただけるようであれば、オーメ領の店舗「ジパング」にご注文ください。もちろん、他の娼館に広めていただいても結構です。できるだけ多くの娼館で石鹸による清浄を習慣化して欲しいです」

「ありがたく使わせていただくわ。もちろん、ジパングに注文もいたします。そうですわね……本当なら、こんな素晴らしいものを他の娼館に教えたくないのが本音なのですけれど……ことは娼館で働く娘たちのためになることですから、必ず広めてみせますわ。ご期待いただいてよろしくてよ」

 力強いお言葉をいただきました。ありがとうございます。


 この後、シャボン・アモーレは、あっという間に国中の娼館に広まり、生産が追い付かなくなる事態に発展します。娼館に石鹸が普及することで、性感染症の患者もぐっと少なくなったと聞いています。


 ローレルさんは、「閨事(ねやごと)の技をいくつもご教授いただけましたわ」とつやつやしたお顔でトラックに乗り込んでいらっしゃいました。つやつや?


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