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だが――
日暮れになっても、彼は現れなかった。
夏の太陽がノロノロと沈んでゆく。
いよいよ僕が用意した台詞を使う時が来た。
一歩前へ出る。咳払いをして僕は言った。
「今日の再会のことをリオ君は忘れているのかもしれないよ。でも、君は約束を守った。サッカーを続けて、名門校でフォワードとして活躍している。つまり、魔法は使命を果たしたのだ」
有能な我が相棒が僕の言葉を引き継いでくれた。
「それにね、この〈悪魔祓いの樹〉の花言葉は他にもあるのよ。聞いて、『悲しみは――』」
「青―――――っ!」
突然降って来た声。僕たち3人は一斉に振り向いた。
「青――! おまえ、やっぱり憶えててくれたんだな、あの約束……!」
全速力で駆け寄って来るのは、身長155くらい? ああ、絶対に170はない。小柄で痩身、でも、圧倒的な身のこなし、しなやかな足さばき、強靭なバネ、肩先で揺れる黄色いゴムバンドで一つにくくった髪――
少女だった!
「久しぶり、ってか、デカくなったな、青!」
「……えーと、ど、ど、どなたですか?」
「なんだよ! それはないだろっ」
少女は自分より首ふたつ以上背の高い少年の背中をバシッと叩いた。
「相変わらずボーッとしてんな、おまえは青だろ? 俺はすぐわかったのに」
「そ、その口調は変わってない――でも、でも……」
「そうさ、俺は変わってないよ、あの日だって、今日だって。もちろん、サッカーやってる! ってか、俺、去年、15歳でU-17に選抜されたんだぞ! 2歳年上の選手に交じって3試合に出場……ほら、見ろよ、『U-17女子W杯では準々決勝進出に貢献!』って写真付きでデカデカと報道されたし、昨年末のアジアサッカー連盟が選ぶ〈有望なスター6人〉にも選出された。正直、いつおまえから連絡あるかと待ってたんだ。でも全然無反応だからがっかりしてた。まさか、もうサッカーに興味ないとか、言うなよ?」
少女はリュックから取り出したスマホを日浦君へ突き出す。覗き込んだ日浦君は叫んだ。
「あ! 小杉里桜? このリオって、君だったのか? いや、TVでもネットでもニュース見たけど、まさか、おまえがなでしこカテゴリーだとは全く思ってないから、俺――」
キュッと唇を噛む。しっかりと少女を見つめて日浦君は言った。
「でも、俺もな、おまえほどじゃないけど、サッカーちゃんと続けてるよ。この春、燦陽高校に進学してサッカー部に入って既にレギュラーとしてフォワードで頑張ってる――」
「燦陽高校? すげぇ、新興強豪校じゃないか……!」
QED:案件終了!
本日の依頼人・日浦青君が自身の近況を熱く説明し始めた時、既に探偵とその相棒は静かに歩き去っていた。満開の黄色い花々が揺れる悪魔祓いの茂みに、二人だけを残して。
「……そうだ、さっき君が言いかけたヒペリカム・ヒドコートの二つ目の花言葉を最後まできちんと教えてくれないか?」
「いいわよ! 〈悲しみは長くは続かない〉 ね? まさにそうだったでしょ」
「ああ、速攻でリオ君の弾丸シュートが飛んできたもんな!」
ふいに足を止めて来海サンがまっすぐに僕の顔を覗き込んだ。
「ねえ、今回の案件――悪魔祓いの樹について、新さんは最初から知ってたんじゃない? 植物系も花言葉系も得意分野じゃなかった? だとしたら全て知ってて私に任せてくれた――これぞまさに『花を持たせる』よね!」
「いや、そんなカッコイイものじゃない。白状すると、ビビって逃げたんだよ」
まさに僕の欠点。悲しい結末が怖くて。ピュアな若者日浦青君の、魔法使いが現れなかった時の落ち込んだ顏を見る勇気がなくて敵前逃亡したのだ。
「正直でよろしい」
来海サンは笑った。
「調べたところ、ヒペリカム・ヒドコートの花言葉にはもう一つあるのよ。それが〈秘密〉ですって。先に、英国で園芸種として改良されたって言ったけど、オトギリソウ科のこの樹は、ギリシアで悪魔よけのお祭りの際、像のてっぺんに飾られたんだそう。ねぇ、オトギリソウ科で花言葉が〈秘密〉と聞けばその由来は推理できるわよね、悲しい結末に弱い名探偵さん?」
「基礎だよ、ワトソン君。鷹匠兄弟の悲しい伝承だな」
鷹の怪我を治す秘薬をうっかり他人にばらしてしまった弟を、激怒した兄が斬り殺す。その場所に咲いていた花がオトギリソウだ。だから未だにこの花の葉には飛び散った弟の血の痕が残っている――
「待てよ、君の調べた資料には〝オトギリソウは薬効がある〟とも記されてたな。鷹匠の、鷹の怪我を治す秘薬はまさにオトギリソウだったってことか? 古代ギリシアの祭りで像の上に飾られた理由も薬草ゆえ? その同じ種から園芸用に作出されたこのヒペリカム・ヒドコードが肥料要らずで強壮なのも――ドンピシャ、全て辻褄が合う!」
「〈輝き〉〈悲しみは長くは続かない〉〈秘密〉……でも、やっぱり今回の案件には〈輝き〉がピッタリだわ!」
ぐるりと周囲を見回して来海サンがつぶやいた。
「あー、なんだか無性にレモンケーキが食べたくなった!」
「黄色い紙に包まれた、もみじ饅頭と並ぶ広島銘菓のあれか? よし、ごっそり買い込んで 我らが画材屋でお茶にしよう!」
さて。
悪魔祓いの樹=ヒペリカム・ヒドコートの三つの花言葉、
〈輝き〉
〈悲しみは長くは続かない〉
〈秘密〉
この中で、あなたはどれが一番好きですか?
―― 了 ――