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なるほど、新興住宅向けの完璧な植栽だ……!
それぞれの区画を貫いて公園と遊歩道……道の両脇に植えられた百日紅、ヤマモモ、フェイジェイの樹々……今が盛りの紫陽花は紫から青、ピンクの花々を咲かせている。黄色い一群はヤマブキかな?
でも、確かに、日浦君の言う悪魔祓いの樹らしきものは何処にもなかった。魔女の箒、あるいは鞭にピッタリのトゲトゲした、よくしなる、細い枝の茂みは。
来海サンが訊いた。
「別れて以来、リオ君とは連絡を取っていないの?」
「ええ、全く。小学生の頭にはアドレス交換なんて思いつかなかった。僕は約束の日だけを心に刻み今日まで頑張って来ました。中学ではサッカー部に所属し高校もサッカーの強豪校を選びました」
ここで日浦君は誇らしげに胸を張る。「言い忘れましたが、僕、サッカーの推薦枠で入学したんです。フォワードやってます」
「凄いじゃない!」
「フフ、それもこれも多少は魔法が続いてるのかも。でも、明日、リオに会えなかったらきっと完全に魔法は解けてしまう。そんな気がするんです」
ピュアで一途な性格だというのはわかった。ここらで言うべきかもしれない。その約束とやらを相手が忘れている可能性もある、という事実を。
僕が何よりも恐れているのは、記憶の差、思い入れの違いだ。ヒトは変わる。成長すればするほど夢や嗜好は違って行く。変化するのは風景だけではない。人の想いや考え方もそうだ。つまり、リオ君が日浦君と同じ熱量で約束を憶えているとは限らないのだ。心の中で出来るだけ湾曲な言い回しを僕は探した。
『なぁ、日浦君、今、きみがこうして立派なサッカー選手になっていることで魔法が完結したとは考えられないか?』
うん、悪くない、これで行こう。
「なぁ、日浦く―」
半歩早く来海サンが前へ出る。
「新さん、この案件、私に任せてくれる?」
「え? いいけど……」
何か閃いたな? わが相棒の瞳がキラキラ輝いている。内心、ホッとして僕は言った。
「君に任せるよ」
じっとしていられないみたいで落ち着きなく遊歩道周辺を走り回っている日浦君はひとまず好きにさせて、来海さんはスマホで検索し始める。僕は腕を組んで6月の空を見上げた。いつか見た空の色。風が運ぶ公園からの子供たちのさざめき……
「探し回ったけど、やっぱりあの樹は何処にもない!」
駆け戻って来る日浦君――大型フォワード、確かに俊足、軽快な身のこなし、これからの日本サッカー界はこの種の大型フォワードが増えて来るんだろうな! 頼もしい限りだ。で、彼に魔法をかけた小鬼はどんな風に成長したのだろう? 日浦君に負けないくらい大きくたくましく育っているといいのだが。
改めて僕は思った。魔法は解けた方がいいのか、解けない方がいいのか? 魔法の出発点、呪文はその効力が失せる前に麻紐で縛って地中深く埋めるべきかもな。例えば、黄色く輝くあの賑やかな花の群れの根元にでも? 周囲を見渡して僕は苦笑した。スマホから顔を上げ、来海サンが言った。
「見つけたわよ」
「え? どこに? じゃ、すぐその場所へ連れて行ってください!」
狂喜する日浦君に落ち着き払って来海サン、
「ここよ、見えない?」
日浦君は首を左右に巡らせる。
「いえ、全然、そんなもの見えません。あのトゲトゲの鞭みたいな、あるいは、箒の先っぽのような悪魔祓いの樹は、どこにも――」
来海サンがクスッとが笑う。
「まだ魔法は解けてないようね? というか、見えているのに見ていないのよ、あなたの目が」
日浦君、むっとして、
「掘り出した宝箱が空っぽでも『見えないの? ここに至る旅こそが宝物なのよ』みたいな? いや、その手には乗らない。僕は高校生だ。小2じゃない。まやかしの言葉のトリックで言いくるめようったってダメです」
「そんな観念的な話じゃなく――言った通りよ。わが画材屋探偵はリアリスト揃いなんだから。いい? 見えないの? これがそう、あなたが探している悪魔祓いの樹です」
相棒の指先はピシッと黄色い花の群生を指している。
「正式名、ヒペリカム・ヒドコート」
長い沈黙。
「う、嘘だっ! こんなに豪勢な、緑の葉っぱと黄色い花々が咲き誇る樹じゃなかった! まぁ、高さは同じくらいにしろ」
ブンブン頭を振る日浦君。我が相棒はひるまない。
「あなたが見たのは冬の姿。初夏にはこうなるの」
来海サンはスマホを差し出した――
【 ヒペリカム・ヒドコート/和名 大輪金糸梅
オトギリソウ科オトギリソウ属
1920~1930 英国の著名な園芸家で〈ヒドコート・マナー・ガーデン〉を作ったローレンス・ジョンストン氏が中国から持ち帰り園芸種として作出した。】
写真を拡大して来海サン、
「別称〈悪魔祓いの樹〉と言われるのは、私が推理するに、葉が〝十字対生〟だからかな。ほら、枝に2枚ずつつく葉が交互に重なって、真上から見ると十字に見える。これを十字架に見立てて西洋の人は『悪魔が嫌う』と思ったのね」
「あ、なるほど」
「それに、この季節、紫陽花など青系の花が多い中で黄色は凄く目だって美しいでしょ。後から後から次々に咲いて庭木にはピッタリ。おまけに病害虫に強くて手がかからない。冬は葉を落とすけどほっといても春には蘇る……」
「僕がリオと会ったのは冬だった。だから? 鞭みたいな細い枝だったのか」
「そして今、初夏の太陽の下、キラキラ輝いて――花言葉は〈きらめき〉ですって!」
ちらり、僕を見る相棒の目も同じくらいきらめいている。
感無量でうなづく日浦君だった。
「あー、その花言葉、ぴったりですね!」
さあ、あとはただリオ君、当時の小鬼、否、小さな魔法使いを待つばかり。この輝く道で痩せっぽっちで泣き虫の日浦君に魔法をかけた同じく痩せっぽっちの少年を。