1. 声が好き
すべて作られた嘘の世界で、ヘッドホンから聞こえてくる声だけを頼りに、その人を想像していた。
退屈しのぎにメタバースというインターネット上の仮想空間を彷徨っていた時のこと。僕はここで、ひとりの女性ユーザーと出会った。メタバースではアバターという自分の分身みたいなキャラクターを操る。女性のアバターだからといって、操作しているのが女性とは限らない。操作方法がわからなくて、上手く動かせない女性型アバターがいても、躊躇しているのか誰も助けようとしなかった。
僕が最初に声を掛けた。ヘッドセットを使えば会話ができる。「ありがとう」女性の声が返ってきた。
アバターの頭上にはユーザーネームが表示されている。自分からは見えないけど、僕のアバターの頭上には“TAK”と表示されているはずだ。声を掛けた彼女のアバターには“叶夜”と記されている。
今日、登録したばかりだと言う叶夜に、僕はメタバース内を案内してあげることにした。色々動かしているうちに、操作なんてすぐに慣れてしまう。時々聞こえてくる「待って」とか、「あれ、間違えた」なんて声がするたびに立ち止まり、振り返って彼女を見守った。なんだか本当に一緒に歩いているみたいな気持ちになる。
叶夜は、「楽しかった。また教えて」と言う。だいぶ上手に動かせるようになったから、教えることなんてないと思うけど。でもまた話をしてみたかった。ログインしている時間帯を教えて、フレンド申請をした。フレンドになれば、相手のいる場所がわかる。
仮想空間なんて虚構の世界だ。メタバースという場所もアバターの姿も創作物。名前だって嘘。話していることさえ嘘かもしれない。
「じゃあ、また明日」
ログアウトすると、アバターは煙のように消える。どこの誰かもわからない人との約束は、もしかしたら守られないかもしれない。でも、会えるといいな。
嘘だらけの世界で、ひとつだけ本物があるとするならば――
温かみのある優しい声だと、僕は思う。
₍ᐡ⸝⸝•ᯅ•⸝⸝ᐡ₎ つづく