6 決意
「…」
沈黙の中、月明かりの夜道を少しだけ足早にフィエル、メリア、モードと続く。
「…フィエル。」
「何だ?」
村を出て少し経ったころ、メリアが小さな声で言った。
「あれで、よかったのよね?」
「さあな。」
フィエルは振り向かずにさらりと答えた。
「もうあの村で、前みたいに買い物はできないわよ?薬草を売っても、お手伝いをしても、もうお金をもらうことはできないのよ?」
「…わかってる。」
一拍置いてフィエルは答えた。
村に入ることができない。
それは、彼女らが生活基盤を丸々失うことを意味していた。
「本当にわかってるの?そしたらもう、生きていけないじゃない。食べるために自分たちで狩りをして、何かが壊れたら自分たちで修理をして、必要なものは全て自分たちで揃えなきゃいけないのよ!」
「そんなこと、わかってる!」
フィエルは声を荒げながら振り返る。
「だけどなんて説明するんだ?未知の病気で、ただのククリの実を食べたら命が危ないなんて、そんな話信じてくれると思うか?」
「それは…」
「誰も魔女の言うことなんて信じちゃくれない。あの子は、またいつかククリの実を口にするだろう。そのときはどうなる?」
「…」
「皆の記憶に残す必要があったんだ。魔女の呪いで、ククリの実を食べたら死にますってな。だがそれは半分真実だ。それを知ってて、見過ごすことはできない。」
フィエルは落ち着きを取り戻しながら話した。
その口調ははっきりとしていて、強い想いが込められていた。
「だ、だけど…!」
メリアは返す言葉が見つからずフィエルから目線を逸らす。
振り向いた先にいるモードと目が合うと、ハッと思い出したように口を開いた。
「モードは、どうしてあの治療を始めからしなかったの?フィエルが治癒魔法をかけなかったら、こんなことにはならなかったんじゃないの?」
「申し訳ございません。待機状態で状況判断に徹していたため、より良い提案ができませんでした。」
「そうよ、あなたはいつも受け身で…!」
「メリア、やめろ!」
フィエルは、モードに歩み寄ろうとしたメリアの肩を掴んた。
「モードは召喚されたばかりで精一杯やってくれた。あの状況を招いたのは治癒魔法使いであるオレのミスだ。むしろ、彼女がいなかったらあの子はどうなってたことか…!」
「で、でも…!」
フィエルは説得するようにメリアへ訴える。
メリアはモードを召喚した当事者として、強く責任を感じているようだった。
彼女は悔しそうに声を震わせている。
「…ごめんなさい、あたしは何もできなくて…!」
「そんなことはない。モードの治療を続けさせたのはメリアだろ?」
「もっと早く、あたしが動いているべきだった。どうして…、どうしてこんなことに…!」
「…」
「なんで魔法使いはこんなに嫌われてるの?あたしたちが何かしたの?フィエルなんて、いつもみんなのために頑張ってるのに…!こんなにすごい治癒魔法使いなのに…!」
感情を抑えきれず、メリアの両目から涙がこぼれ落ちる。
フィエルはメリアの肩に置いた手をそっと離すと、懐から布を取り出して涙を拭いてあげた。
「…ああ、そうさ、メリアだってすごい召喚魔法使いだ。モードの診断と処置だって、あの村や俺たちにとってはとてつもない宝物だ。」
「うううっ…!」
やさしい口調で慰められ、メリアは小さく声を漏らしながら泣いた。
フィエルは苦笑いしながらメリアの頭をなでると、後ろに立っているモードに顔を向けた。
「モードもごめんな、メリアだって悪気があったわけじゃないんだ。」
「いえ、何も問題…っ!」
フィエルに返答しようとしたとき、モードは言葉に詰まった。
彼女は何かを押し殺すように、口元に手を当てている。
「…どうした?大丈夫か?」
「…ええ、大丈夫です。失礼いたしました。」
モードは少しだけ目を瞑ると、いつもの口調で答えた。
「モードの処置、すごかったぜ。魔力も何も感じなかったし、それなのにあっという間に治療を済ませて。あれは一体、どうやったんだ?」
「医学的見地に基づき、最も適切と思われる処置を実行いたしました。具体的には診察および検査に始まり…」
「…うおっ!」
モードの説明が始まったとき、突風が吹いた。
ざわざわと草の擦れる音が響き、頭上からは葉の当たる音が聞こえた。
「…ククリの木だ。」
フィエルが上を見上げると、ククリの木が真っ赤な実を左右に大きく揺らしていた。
「あっ」
フィエルが間の抜けた声を出すと、枝葉の間から一つの実が落下してきた。
その実はフィエルたちの間を転がり、メリアの足元で止まった。
「…。」
メリアは無言で、転がってきたククリの実を拾うと袖で拭いて荒っぽくかじりついた。
その目は涙で腫れていたが、どこか遠くを見据えていた。
「…そうだな、オレたち何も食ってねえもんな。」
フィエルは腰に手を当て、笑いながら言った。
風の余韻でククリの木はギイギイと心地よいリズムで揺れている。
「決めたわ。フィエル、モード、行きましょう。」
「行くって、何処にだ?」
食べかけのククリの実を持ったまま、メリアはさっぱりとした表情で二人を向く。
「王都よ。」
彼女の目には、固い信念が宿っていた。
「あたし、真実を知りたいわ。どうして魔法使いは嫌われるのか、どうしてみんな魔法を恐れるのか。」
「メリア…」
「魔法教会に行って、全てこの目で確かめたいの。…お母さんの手紙には、王都に来るなって書いてあるけど、こうなったら仕方がないわ。」
フィエルは、静かな気迫に気圧されている。
こうなったメリアは止められない、と知っているようだった。
「仕方ねえな、付き合ってやるよ。」
フィエルは苦笑いを浮かべながら、ため息交じりで言った。
「モードも、ついてきてくれるわよね?」
メリアが食べかけのククリの実を差し出すと、モードは黙って受け取った。
「…最大の友は真理である、と昔の人は言いました。」
「へっ?」
「私はメリアの判断に賛成します。どこまでもついていきます。」
モードは、ククリの実を両手に持って口に運んだ。
「モードは相変わらずね。ちなみに、誰の言葉なの?」
「アイザック・ニュートンです。」
「ニュ…?誰よそれ。」
苦笑いするメリアの顔を、月明りがやさしく照らしていた。